嗅覚〜Beysehir北70kmまで

Beysehir~Beysehir北70km
12/15 (1130days)

深夜1時。
静寂の漂う森林に、突如鳴り響いた6発の乾いた音。
瞬時に目が覚める。間違いない、銃声だ。それもかなり近い。

森林はすぐに静寂を取り戻し、何事もなかったかの様に佇んでいる。
それと裏腹に、激しく鼓動を打ち、ざわつく私の心臓。

とりあえず靴を履き、いつでも逃げられるようにする。
テントの入り口を僅かに開けて、息を殺して外の様子を伺う。特に異常は見当たらない。
隣のテントで寝ている輪人さんは起きていないのだろうか。テントは入り口が閉ざされているため分からない。

外の様子を見れないテントの中に戻るのが、逆に怖い。テントの入り口付近で、足に根が生えたように動けない私。

動けないまま20分ほど経った頃、木々の隙間から僅かに光が差し込んできた。夜の真っ暗な森林の中に、存在するはずのない明るい光源。しかもその光は移動している。
間違いない、誰かが懐中電灯を持ちながら、森林の中を歩いている。しかもあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。…何かを探している?
落ち着きかけた私の心臓はキーを回した車のエンジンの様に、ドッドッドッと再び鼓動を速める。

間も無くして、光は一旦、どこかへと消えていった。
思考が頭の中をぐるぐると巡る。
深夜に響いた6発の銃声。懐中電灯で森林を彷徨う人物。
思考はどんどんとどす黒い暗雲となり、大きな不安を私にもたらす。

ーこれは殺人事件では?

6発の銃声は全く間を開ける事なく、連続で発射された。これは対象物を間違いなく排除する殺意の表れではないのか?
森林に現れた光。これは死体を埋める場所を探しにきたのではないか?
いや、目撃者がいなかったかを探しているのではないか?
サァーっと一気に血の気が引くのが分かった。

ーこの森林にこのまま留まるのは危険だ。すぐ逃げるべきだ。
本能がそう呼びかけてくる。
しかし一人では逃げるわけにはいかない。輪人さんのテントの前にいき、声をかける。

「輪人さん、起きてますか?」

やはり輪人さんは眠っていた様で、何が起こったのか分からない様だ。
銃声が鳴り響いた事、人がその辺りを歩き回っている事、すぐに逃げた方がいいかもしれない事を伝えた。
そして正にその話をしている最中に、また懐中電灯が戻ってきた!

輪人さんは動揺したのか、テントの中で眼鏡を探すために、一瞬だけライトをつけてしまった。
私が慌ててそれを消灯する様に促したのだが、遅かった。懐中電灯の光がこちらに向けられたのだ。
見つかった!
しかも懐中電灯の光は一つではなかった、三つ、こちらに向かってくる!

もうこうなっては、他人のことなど構っていられない。
私はまだテントにいる輪人さんを捨て置き、自分のテントへ駆け戻って貴重品バッグだけ引ったくり、自転車に跨った。
しかし、タイヤに荷造り用のゴム紐が絡まって進めない!くそっ!

自転車を捨てて走って逃げようとしたが、もうダメだ、懐中電灯との距離はほとんどない。射程距離だ。
ーここで死ぬんだ。

私は逃げることを諦め、手を挙げて懐中電灯の方へと向き直った。
どうやって許してもらおう?どうしたら殺されずに済むだろう?

懐中電灯が私の顔を照らした。
眩しさに顔をしかめながら相手を窺うと、POLICEの文字が見えた。警察だ!
その瞬間、体の緊張が一気にとれ、うはぁ〜〜〜っ、という大きなため息が、体全体の力ごと口から飛び出した。
殺人鬼じゃない…助かった…。

警察3人は、銃声を聴いて駆けつけたらしく、現在捜索中だという。
銃声は森林の奥でなったと伝えると、警察はすぐにそちらへと向かい、夜の森の闇へ溶け込んで行った。

再び取り残された私と輪人さん。
とりあえず、ここで世を明かすのは危険だと意見が一致し、テントを撤収、荷物を回収して市街地へと出ることに。

警察署で一晩明かすのが一番安全だろうと、そちらへ向かう。
当直が入り口におり、事情を話すと、「もうノープロブレム。どこかそこらで野宿しろ」という。

詳しく聞いてみると、「住民が犬に向けて発砲しただけだったんだ。だからノープロブレム。」
おいおい、トルコでは犬に6発もぶち込むのが普通の出来事なのか!?

警察署でテントを張らせてもらうことはできず、公園の東屋で夜を明かすことに。
テントを張るのも面倒で、ベンチに寝袋だけ敷いて眠りに就いた。

無事に夜が明け、朝がきた。
アラスカやカナダで熊に怯えながら過ごした夜も、朝が待ち遠しくて溜まらなかったが、この日の朝もそれと同じくらい、待ちに待ったものかもしれない。

朝日に染まるBeysehir湖の素晴らしい風景を見て、「生きててよかった…」と、染み染み感じいる。

東屋で朝食を食べ、出発する。
このBeysehirで分岐があり、地中海へ抜けるルートと、そのまま内陸を行くルートがある。
本来ならここで輪人さんと別れる予定だったのだが、輪人さんも予定を変えて内陸ルートを取る事にしたとのことで、イズミールまで一緒に向かう事に。

Beysehirからは、湖の西側を通るルートを走る。
このルートはメイン国道から離れたローカル道で、車通りはほとんどなく、畑や牧草地が続いていく。湖はほとんど見ることができない。

アップダウンが続いてたが、頂上に達したところで展望台があり、そこで昼食休憩を取る。ここでようやく湖が見える様になり、それを眺めながら気持ちよく体を休める。

アップダウンは多いけれど、ようやく見えた湖の青さは美しく、素晴らしい。
自転車旅行を楽しくするのは、”嗅覚”が大切だと、ここ最近の私は思う。

楽しそうなルートを見極める嗅覚、危険を察して避ける嗅覚…
この感覚は、一朝一夕では身につかない。何日も何ヶ月も自転車に乗って、自分のルート趣向や体力の限界を知り、何カ国もの空気を吸い治安を見極める目を養う…そうすることで、ようやく身についてくるのだ。

このルートを選んだのは正にその嗅覚の賜物であり、選んでよかったと思える風景の中を走ることができている。

湖畔に反射する空と雲が、世界の境界線をあやふやにする。合わせ鏡を覗いて不思議な感覚を覚えるのに似ている。
静かな湖の上をボートが通り、小さな波を立てる時にだけ、その境界がはっきりとしてくる。

偶に集落が現れるが、レストランや商店の類は一切ない。
人の気配もなく、人が住んでいるのかもわからない。畑にも、人が働いている姿はない。住民全員が湖に出ているのだろうか。

夕方、湖畔で野宿をする事に。
家畜の糞が多く足の踏み場もないほどで、糞を蹴っ飛ばしてテントを張るスペースを作る。
テントの入口を開けると、微かに香る香ばしい臭い。
嗅覚が良すぎるのも考えものだ…

(走行ルート:Beysehir→Beysehir北70km)

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