メヴレヴィー教団のセマー〜Konyaにて

Konya
12/10~12/12 (1125~1127days)

冬の寒さに苦しみつつも、何とかコンヤに到着した昨夜。
その翌朝は、宿のホテルのベッドの温もりを貪るように、惰眠を決め込む。ベッドを抜けてからも、団欒室でウクレレを弾いたりして過ごす。

そんな感じでダラダラしていると夕方に、カッパドキアで出会った日本人サイクリストの輪人さんが、同じ宿に到着した。
ルート的に同じ方向に進む予定だったので、ちょくちょく連絡を取り合っており、ここコンヤで合流することができた。

翌日、輪人さんと共に、市街地にある自転車屋へと向かう。
お互い自転車にトラブルを抱えており、消耗品を交換する必要がある時期に来ていたのだ。

コンヤの自転車屋はなかなかレベルが高く、シマノパーツの取り扱いが非常に豊富だ。
メカニックは英語は話せないが、身振り手振りで伝えると理解してくれ、作業に掛かってくれた。

私はボトムブラケット、チェーン、ブレーキワイヤーを交換。フロントのインナーチェーンリングも交換したかったのだが、日本から持ち運んでいた物が曲がってしまっており、使い物にならなくなっていた。在庫はないそうで、これはしばらく我慢するしかない。

年末年始を迎える予定の都市・イズミールには、トルコ最大のシマノサービスセンターがあるらしく、そこでチェーンリングは交換できるだろう。
コンヤのメカニックは腕はそこまで良くないが、パーツ代を除く工賃が驚きの40リラ(約800円)!
あまりに安い。この安さで文句を言ってはバチが当たってしまう。

ちなみに輪人さんはスプロケットを交換。

さて、自転車は無事にメンテナンス終了したので、夜はいよいよメヴレヴィー教団のセマーを観に行く。
輪人さんもセマーに興味を持ってくれたので、一緒に行くことに。
さすがにトルコを代表する祭事だけあって会場は立派で、席はほとんど満席だ。

オープニングセレモニーとしてお偉いさんのスピーチ、民族楽器の演奏が一時間ほど続いた後、いよいよセマーが始まった。
黒装束を纏った男たちがステージに現れた。このセマーにおいて、帽子は墓石を、ジャケットは墓を、スカートは葬式用の覆いをそれぞれ表現したものと言われている。

しばらくすると男達は黒ジャケットを脱ぎ捨てた。その中には真っ白い装束を纏っている。
ジャケットを脱ぐ行為は地上の束縛からの解放や、墓からの脱出を表現している。

男達の中に司祭が一人いて、その他の男達はゆっくりとその司祭の元へ向かい、頭を下げて礼をすると、くるくると旋回して舞い始めた。

やがて全ての男達が司祭に礼を終えて、ステージはくるくる舞う男達で埋め尽くされた。
どの舞手もうっとりと酔いしれるように、音楽と照明で彩られたステージの上を、くるくると旋回し続ける。
右手を上(天)に、左手を下(地)に向けるのは、神からの恵みを人々に振り撒くことを表している。
スカートがふわふわとめくれる様は、風に踊るカーテンを見ているようで、柔らかで優しい印象を受ける。とにかく不思議な光景だ。

セマーには区切りがあり、一旦旋回を止め、また列を作って司祭に礼をしてから再び旋回を始め…それを3回ほど繰り返して、セマーは終了となった。
インドのラダック地方で見たチベット仏教の祭りもそうだったが、神への祈りの方法として踊るというのは、原始的というか宗教の原型というか、そういうものを見ているようでとても興味深い。
一年の内十日間しか開かれないこのセマーの祭事に、ちょうどよくコンヤを訪れる事ができたのは幸運としか言いようがない。とても印象に残る夜となった。

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