冷たさは痛みを伴って〜Konyaまで

Derinkuyu西20km~Konya
12/4~12/9 (1119~1124days)

12/4
テントを張った目の前の山は、昨日よりもさらに雪が積もっている。
雪化粧という言葉があるけれども、薄化粧で可愛らしかったあの娘が、ファンデーションを抜かりなく施してすっかりお洒落に目覚めた…というのが今朝の山。

もちろん気温もグッと下がっており、フリースを着るのはもちろん、普段活躍の機会が少ないネックウォーマーまで引っ張り出す。

トルコの雪山は艶やかで、巨大な氷の塊のようで非常に格好がいい。それこそバチッと化粧が決まったモデルを見ている気分になる。

しばらく走り、Ihralaという集落に到着。
大地が裂けて深い谷を作り、縮小版グランドキャニオンのような風景が広がる。
グランドキャニオンと違うのは、ここには崖すれすれに家が並び、集落が形成されている点だ。
ギョレメといいこの集落といい、本当にゲームの世界観のような集落が、この辺りには多い。

Ihralaからは下りが続き、一気に標高を落としてSelimという集落に到着。
どうやらここもカッパドキア同様に洞穴住居だったらしく、岩山に窓と思われる穴が無数に開いている。観光地にもなっており、何組かの観光客が入場ゲートから岩山へと入っていく。
私はカッパドキアで満足しているので、そのまま通過。

夕方になり、Aksaray(アクサライ)という街に到着。
黒海沿いのサムスン以来の、結構大きめと言える規模の街で、ホテルも多くあるのですぐに宿を見つける事ができた。

12/5
翌朝になってみると、外は雨混じりの雪が降っているではないか。
遂に本格的な冬に捕まってしまった…。
出発しようか迷ったのだが、流石に濡れながら走るのは嫌なので、この日はアクサライで延泊していくことにし、適当にブラブラと市街地を歩く。

歩きながら写真を撮っていると、俺を撮ってくれ!というトルコ人の多いこと。
撮った写真をモニターで見せると、ニコッといい笑顔で喜んでくれる。

そのままブラブラしがてら、ハマムに行ってみた。
ハマムとは公衆浴場のことで、トルコでは大衆に親しまれているらしい。
中に入って番台に料金を支払うと、タオルを一枚渡される。裸になってそれを腰に巻き、浴場へと通される。

浴場は正方形に広く、壁際に蛇口と洗面器が等間隔に設置され、体を洗えるようになっている。
中央にはこれまた正方形の、大人が十人以上は寝そべれそうな大きな大理石が設置されている。

しばらく体を洗っていると、客が一人と、先ほど私が料金を支払った番台が浴場に入ってきた。
当然客は腰巻タオルだけの裸だが、なぜか番台も裸ではないか。

不思議に思って眺めていると、客が大理石に寝そべり、番台がマッサージを始めた。なるほど、ハマムとはマッサージがメインの施設なのか。
しかし、ほぼ裸のおっさんがマッサージとはいえ、体を重ねている姿はなかなか強烈だ。だが、これがトルコでは当たり前なのだろう、他の客は特に気にしている風はない。
こういう風に男同士が体を重ねることに抵抗がないから、海外は同性愛に寛容なのかもしれないな…という事を、ふと感じたハマム初体験だった。

12/6
アクサライからは、北へと進んでトゥズ湖を目指す。
トゥズ湖はトルコで二番目に大きな湖だが、塩湖でもある。
乾季には水位が下がり、鏡張りの湖の上を自転車で走れるという。
今は乾季ではないが、このトゥズ塩湖はトルコでは最も楽しみにしていた場所だ。

アクサライを離れると、砂漠のような荒野がひたすらに続き、幹線道路を黙々と進んでいく。
途中には集落がほとんどなく、レストランも見当たらない。

やっとガソリンスタンドを見つけたと思ったら、ここではレストランはやってない、と言う。
「近くにレストランはない?」と身振り手振りで聞いてみると、”ここで俺らが食ってる昼食でよかったら食っていけ”と言ってくれた。
食べ終わった後は、”寒いだろ”と、ストーブの前に案内してくれ、チャイをご馳走してくれた。
お金を払おうとしたのだが、首を横に降ってニカっと笑う彼等。

“トゥズ湖の辺りは寒いから気をつけて”と忠告をもらい、再び走り始める。

しばらくして、反対車線のガードレール越しにトゥズ湖が見えてきた。
湖畔は白く、確かに塩湖特有の風景を見せている。
水面には山と空が鏡張りに写っている。ここからだと水深は分からないが、反射にほとんど揺らぎはないため、浅い可能性が高い。
これなら鏡張りのトゥズ湖の上を走れるかも。

17時過ぎ、トゥズ湖のビューポイントに到着。ここには大きな商業施設が一軒立っており、中にはレストランや土産屋が入っている。
トゥズ湖の周りはガードレールやフェンスが立っていて侵入できないのだが、このビューポイントが一応正規の湖への入り口となる。
湖は一度この施設に入らなければならない。汚れた自転車を内部に持ち込むのを躊躇っていたのだが、従業員が”全然問題ないよ、通って”と案内してくれた。

施設内を通って外に出ると、目の前に広がる巨大な塩湖。水はほとんど張っておらず、これなら湖中央の水がある場所までは容易に行けそうだ。今日は塩湖にテントを張って寝よう。

期待に胸躍らせて塩湖へと自転車を進めたのだが、2メートルも進まない内に異変が。
強力な粘着性の粘土がタイヤに絡みつき、全く進めないではないか!足元もぬるぬると滑り、ニッチもサッチもいかなくなってしまった。
こりゃいかん、とてもじゃないが塩湖の上を走るなんてできない…
自転車をその場におき、体一つで塩湖の奥を視察したのだが、奥の方がもっと粘土質になっており、これ以上の侵入は不可、撤退すべしと判断。

粘土に埋まった自転車をなんとか引きずり出し、岸にたどり着いたもののしばらく呆然とする私。
トルコで一番楽しみにしてたトゥズ湖だったんだけどな…

野宿の当てが外れ、商業施設の従業員に頼んで駐車場にテントを張らせてもらい、寝るまでひたすらに自転車にこびりついた泥を落とす。
こんなはずじゃなかったんだけど…盛り上がっていた気持ちが、一気に萎えてしまった。

12/7~12/9

トゥズ湖以降は冷え込みが一層厳しくなってきた。
手袋をして、靴下二枚に更に登山靴を履いて、私が現状できうる最大限の防寒対策をして走る。
しかしそんな防寒対策は全く意味をなさず、メッシュ地から冷気がどんどん侵入してくる。

私としては全くの誤算で、登山靴なら真冬でも余裕で乗り切れると思っていたのだが、どうやら冬用登山靴でないと防寒性は全くないようだ。

足はどんどんと冷えていき、その内にあまりの冷たさに指先が痛くて堪らなくなってきた。
体は自転車を漕ぐことで温められるが、指先はどれだけ動しても僅かな運動にしかならず、全く温まらない。

そのうちに耐えられなくなり、ビニール袋を足に巻いて、僅かでも防寒の足しにする苦肉の策に出る。
これも全く効果がなく、そうこうする内に指先の感覚がなくなってきた。痛みも感じない。
まずい、これは凍傷寸前なのでは…

運よく現れたレストランに飛び込む。
ちょうど薪ストーブに火が入っていて、赤々と暖気を作り出している。
ストーブの前に陣取って、もう感覚がなくなった足を炎にかざす。
温めるために手でも懸命に摩るのだが、そのあまりの冷たさと足先の感覚のなさに驚きを覚える。確かに自分の足なのに触覚が麻痺していて、ブヨブヨした冷たいものを触ってるとしか感じない。
恐らく、このまま行っていたら本当に凍傷を負っていただろう。

温まってくる内に、ゆっくりとだが足に感覚が戻ってきた。ただ、一番最初に戻ってきた感覚は、痛覚だ。ジリジリチリチリという痺れた様な激しい痛みが、足先を襲う。
冷凍された食べ物たちが電子レンジで温め直される時、こんな感じなのかな…

30分くらい火の前にいて、ようやく痛みも引いてきたので、レストランで昼食を注文する。
この日まだまだ走らなければならない。食べることで、ちょっとでも体を温めないと。

この先も数日間、とにかく寒さとの戦いだった。
ビニール袋を複数枚、足に巻いて付け焼き刃の防寒対策をして、進んでいく。
運が良かったことに、寝床は常にガソリンスタンドで野宿をお願いしていたのだが、快く室内へと案内してくれ、暖かい中で眠ることができた。
日中でこの寒さなので、外での野宿は考えるだけで嫌になるので、本当に助かった。
ガソリンスタンドにはレストランが併設していたので、暖かい食事を取ることができた。

アクサライから走ること四日、目的地のKonya(コンヤ)に到着。
このコンヤ、イスラム神秘主義・メヴレヴィー教団発祥の地で、その教団の祈りの仕方がまた独特なのだ。
一般的なイスラム教は土下座をするようにお祈りするが、この教団は旋回して踊りながら祈りを捧げる。この踊りをトルコ語では”セマー”と言う。

教団は13世紀にジャラール・ウッディーン・ルーミーによって創始され、現在では創始者の命日である12月17日を最終日にした10日間を”セマー週間”という祭日にして、このコンヤで大舞踏会が毎年催されている。

この舞踏会の存在は日本にいる時から知っていたのだが、まさかこんな冬の時期にトルコ内陸ど真ん中にいるとは想像もしていなかったので、セマーを見られるとは僥倖だった。

寒さにやられた体を休めつつ、セマーの舞踏会を鑑賞しようと思う。

(走行ルート:Derinkuyu西20km→Aksaray→Aksaray北100km→Kulu南40km→Konya北40km→Konya)

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