【世界遺産】デリンクユの地下都市〜Derinkuyu西20kmまで

Göreme~Derinkuyu西20km
12/3 (1118days)

カッパドキアに浮かぶ熱気球を見たいがために6泊もしたギョレメ。
お目当ての風景も見られた事だし、翌日からこの地に降る予報となっている雪から逃れる形で、この日出発することができる。

同宿していた日本人サイクリストの輪人さんは、今朝に熱気球に乗り、明日雪のカッパドキアを見届けてから出発するとのこと。
一応、今後進む方向はお互い一緒なので、またどこかで会いましょうと握手を交わし、別れの挨拶は前夜のうちに済ませておいた。

ギョレメの町は盆地にあるので、脱出するには結構な坂を登っていかなかればならない。
ヘトヘトになりながら何とかしてギョレメを脱出。走りはじめてまだ一時間も経っていないのに、もうお腹はペコペコだ。

まぁ出発時間が11時と遅かったし…と自分に言い訳をかまし、さっさと昼休憩を取る事に。
この日の昼食は、シグキョフテ。
キョフテとはトルコ料理で、ハンバーグに似た料理を指す。シグキョフテは恐らくその亜種で、挽肉をさらに練り込んでペースト状になったものを、生春巻のように薄い生地に巻いて食べる。味は、少しスパイスが入っているのか、少しピリッとくる。
お好みで掛けるザクロソースの甘酸っぱさが、口の中に広がる。

かなりの肉の量で7リラ(約100円)と非常に安く、ファストフード感覚で親しまれているようだ。

昼食を食べ終え、再び走り始める。
天気予報では翌日から雪だというが、山間部ではもう既に降っているようで、遠くに見える山々は真っ白。まるで削りたてのかき氷が、こんもりとそこにあるかのようだ。

そんな雪山を見て、今後のルートに不安を感じつつ、Derinkuyu(デリンクユ)の町に到着。

一見何もない小さな集落なのだが、実はこのデリンクユは世界遺産を擁するれっきとした観光地。
しかし、観光の目玉となりそうな建物などは見当たらない。
というのも、デリンクユの世界遺産は地上ではなく、地下にあるのだ。

その世界遺産は、蟻の巣のように幾重にも道を張り巡らせた、巨大地下都市。
イスラム教からの迫害を逃れたキリスト教徒達がここに住み、なんと四万人もの人間がここに暮らしたと言われている。

地上の小さな公園が入り口となっており、入場料を払って階段を降りていく。

天井の低い階段をしばらく降りていくと、やや広めの空間が現れた。
ふーん、確かにこれなら人も住めそうな洞窟だけど、四万人は流石に言い過ぎじゃないかな…
しかしその後、観光を続けるにあたり、この地下都市の巨大さを身をもって知る事になる。

洞窟内には解説や展示物は一切なく、簡素な矢印程度の道標だけが設置されている。
それに従って奥へと進むのだが、奥に行くに連れて分岐が多くなってくる。
階段も、まだ地下へと潜っていくの?と不安を感じるくらいに掘り下げてあり、天井も非常に低い。普通に歩いて通過することは困難で、腰を曲げて頭が当たらないように進んでいく。
階段には、侵入者を防ぐための円盤石の扉が、至る所に置かれている。こんな仕掛け、インディージョーンズとかの映画でしか見たことがない。

階段を下り、地上からどんどん離れる毎に、逆に地下都市は人間の生活臭さが濃くなってきたように思う。広々とした空間に、明らかに何らかの用途で使われていた石細工が、洞窟内に現れ始めたのだ。
これらは公衆浴場だったり、トイレだったりしたのだろうか。

どんどんと奥に進むに連れて、何だか恐怖を感じるようになってきた。洞窟の中にいると方向感覚を失ってしまい、自分がどこにいるのかよく分からなくなるのだ。
他に観光客も数えるほどしかおらず、ここまで広いと出会す機会もほとんどない。

「これ、迷ってしまったら一生出れなくなるんでは…」
そういう不安からか、胸のあたりがゾワゾワしてくる。
わずか一時間弱の観光でこう感じるのだが、当時地下都市に暮らした人々はどう感じていたのだろう?もしかしたら、一生太陽の光を浴びる事なく生涯を終えた人もいたのかもしれない。

観光を終えて地上で太陽の光を浴びた時は、ホッとした。

デリンクユ以降、平坦な道を走っていく。
畑が広がり、家がポツポツあるのだが、住人が生活している気配はほとんどない。暖かい時期だけ耕作するのだろうか?
その中の一軒の壁を背に借りて、道路から見えないようにテントを張る。
この辺りでも、やはり山には雪が積もり始めている。

今晩は冷えるかも…
普段よりも厚着にして、寝袋に包まって眠りについた?

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