LOCKDOWN/非常事態宣言〜スペインからの脱出②

2020年3月15日

翌朝8時、アルバセテの鉄道駅へ向かう。
駅は静まりかえり利用客はゼロ、警備員が数名コンコースを巡回しているのみ。
運行しているのか警備員に声を掛けると、「それ以上近付くな」とジェスチャーで静止され、距離をとった状態で会話をすることになった。警備員曰く運行はしており、ホームに行く前にX線で荷物をチェックするとのこと。

荷物をチェックしてホームで待っていると、少ないながらも他の利用客もホームに入ってきた。人数は5名程だろうか…。

電車は定刻通りホームにやってきて、自転車用スペースに置き、座席に座る。
自転車以外の乗り物はここ最近乗っていなかったので、電車の僅かな揺れでも酔ってしまう。
2時間後、電車はバレンシアに到着した。

バレンシアは、水を打ったように静まり返っていた。通りを走る車はなく、そして歩いている人すらほとんどいない。
4日前までは、市場は観光客で賑わい、宿泊していたホステルも旅行者で溢れていたのに…あの活気が霧散し、今はまるでゴーストタウンのようになってしまった。

駅からホストであるペペの家までは10キロ。自転車で1時間弱の距離だ。
公園を突っ切るルートが車も少なくて安全だ…とペペに教えられていたのだが、そのルートを選ぶ必要がないくらい、車通りはない。
ただ少ないながら歩行者はいて、すれ違いざまにこちらを見てくる視線を感じる。「コロナと呼ばれないだろうか」と、ビクビクしながらペペの家を目指す。

途中警察が二人、道路に立っていて検問を張っていた。
非常事態宣言に伴う検問に会う可能性は、ペペから事前に知らされていた。

「警察に会ったら、空港へ行くと言うんだ。スペインから出国しますと。それなら旅行者の君に対し、警察は何もしないだろう。」と、ペペから助言をもらっていたので、その通りに警察に言うと、無事に通してもらえた。

ペペの家には無事到着。
アパートのチャイムを押すと、窓からヒョコッと顔を出し、すぐに玄関に来て迎え入れてくれた。

ペペは物腰も柔らかい紳士で、スペイン人に持つイメージが地に落ちていた私にとっては、彼が別の人種に思える程だった。

荷物を部屋に運び入れ、シャワーを浴びてひと心地着いてから、ペペは暖かい緑茶を振る舞ってくれた。
ペペは5回も日本に訪れたことがある親日家で、この緑茶は福岡でゲストハウスをしている友人が送ってくれたのだという。

緑茶を飲みながら、今のスペインの状況に付いて説明してくれた。
外出禁止令が出ていて、食料品の買い物と仕事以外での外出には罰金が課せられること。3日後、長距離列車を除いて全ての電車とバスの運行が停止されること…。
どちらも私が日本語で調べていたニュースでは得られなかった情報であり、昨日今日でバスと電車での移動は、まさにギリギリのタイミングだったわけだ。

付けっぱなしにしているテレビからは、ドイツが隣国との国境封鎖に踏み切ったというニュースが流れてきた。
シェンゲン協定の名の下、国境のない集合体であったヨーロッパが、目に見えないウィルスによって分断され、生活機能が破壊されていく。

“とにかく今日はゆっくり体を休めるといい。明日、月曜日になれば日本領事館に連絡して、相談してみよう。 このまま収束まで、家に滞在してもいいんだよ”
そう、ペペは言ってくれたので、随分と気は楽になった。

せめてものお礼に、私が持っていた日本のカレールーを使って、夕飯にカレーライスをご馳走した。

“日本に帰るなんて言わずに、このカレーをここで作り続けてくれよ!”と、ペペが大層気にいってくれたので、私も嬉しくなる。
しかし、何としてもスペインを離れる術を見つけなければ。

2020年3月16日

営業時間になり、すぐさま在スペイン日本領事館に電話をする。
混みあっているかと思ったが、意外にもすぐにダイヤルは繋がった。

さて、この時点で私は日本へ帰国する事は既に決断している。
欲しい情報は、①空港は機能しているのか ②万が一帰国が叶わずスペインに滞在を余儀なくされた場合、オーバーステイは可能なのか という2点である。

電話先の女性はすぐさま質問に答えてくれた。
①飛行機のキャンセルは非常に多いが、空港は現時点は営業している。
②ビザに関係する機関が既に営業停止しているため確認できないが、今の状況でオーバーステイに何らかのペナルティが下される事はないだろう。

よし、チケットさえ取れれば出国はまだできる。第一関門突破。
万が一の場合のセーフティネットもある。

逆に私からも、バレンシアの現状に関する情報を求められた。
領事館も目まぐるしく変わる状況で、混乱の中にいるのだろう。
“とにかく出国が叶う内に、スペインから早く離れてください。ご無事で。”
最後に女性にそう励まされ、通話を終了した。

電話の後、早速飛行機のチケットの確保へと動いた。
格安航空券を一括で調べられるサイト、スカイスキャナーを開くと、画面上にずらっと候補が並んだ。

欧州を脱出しようとする人間が多くて需要が高まっているためか、片道12〜15万円という価格が画面に並ぶ。
あまりの値段の高さに目が眩む。

飛行機のチケットを取るというのは、自転車旅行者にはとてもストレスが溜まる。
一番安いチケットを購入して、はい終わり…とはいかない。

まず確認しなければならないのは、自転車梱包のサイズ規定と、持ち込みに掛かる超過料金。
これは各航空会社によって全く違う。梱包がハードケースでなければならない会社もあれば、ラッピングでの簡易包装でも可能な会社もある。
超過料金も、自転車は無料の所もあれば、自身の座席よりも高い料金を請求されることもある。

更に気にすべきは、乗り継ぎの少なさ。
一般的に乗り継ぎが多くなるほどチケット代金は下がるが、それと反比例してロストバゲージのリスクが高くなる。
それに荷物の積み直しの際に自転車が破損する事も、大いにあり得る。
値段、乗り継ぎの回数のバランスを見極める事が、自転車旅行者のフライトには求められるのだ。

一刻も早くチケットを取らなければならない状況で、各航空会社のホームページで荷物規定を確認する事に時間を割くのは、とてつもないストレスになる。
こうしている間にも、残り数少ない座席を誰かが購入してしまうかもしれない。

しばらくiPadの画面を睨んで作業していると、中々チケット購入の報告が無いことをペペが気にして、声を掛けてきた。
自転車持ち込みの規定を確認している事を話すと、”自転車と装備はここに置いていっていいよ。戻って来るんだろう?” と言ってくれた。
とても有難い申し出であり、それに甘えさせてもらうことにした。

自転車と装備の持ち込みがないなら、話は早い。
できるだけ安いのを選びたくなるのが人情だが、今の状況だとLCCの格安フライトはキャンセルになる可能性が高い。
今回は値段にはある程度目を瞑り、ナショナルフラッグの航空会社にすることに。

“往復チケットにしてみると値段がもっと安くなるかも”
ペペが助言してくれ、往復にして検索をかけ直してみると、同じフライトの値段が半額の6万円になった。
よし、この値段ならまだ払える。

チケットはスカイスキャナー上ではなく、航空会社のホームページで購入することに。
スカイスキャナーの代理店を通して、タイムラグができるのを嫌ったためだ。
直接航空会社で購入すれば、その時点で座席は確定されるはずである。

フライト条件、個人情報、カード情報を手早く打ち込んでいく。
そして最後、購入ボタンまで辿り着いた。
よし、これで購入完了だ。

ボタンを押し、シークバーのゲージがゆっくりと溜まっていく。
サーバーが混みあっているのか、ゲージの動きはかなり遅い。

しばらくして画面に表示されたのは、「エラーにより購入できませんでした」という表示。

ゲージの溜まりの遅さから何となくは予想していた事なので、気を取り直してもう一度やり直す。
しかしやはり、2回目もエラーが出てしまった。

“iPadとの相性が悪いのかもしれない。僕のパソコンでやるといい”
ペペのパソコンを借りて再度試みるが、やはりエラー。
その後一体何回試したか分からないが、その全てがエラーによって弾かれてしまった。

くそっ!もうスペイン脱出は手が届く位置まで来ているのに!ギリギリの状況を何とか切り抜けてここまで来たのに!

午前中に始めたチケット購入手続きが、もう既に夕方に差し掛かっていた。

“今はヨーロッパにいる多くの人がアクセスしていて、サーバーがパンクしているんだろう。深夜にもう一度試してみよう。それでダメなら、どうするかはその時に考えよう。”
慰めと励ましの言葉を掛けてくれるペペの存在は、本当に有り難かった。

夕食を食べる前に、もう一度試してみよう…。
この日何度も見た航空会社のホームページを目の前にし、半ば諦めた気持ちで乗客情報を打ち込んでいく。
打ち込んだ情報を確認し、「購入」のボタンを押す。これまた何度も見た「確認中。お待ち下さい」の画面。いつもこの先でエラーが出て、購入に至らない。

またダメか。そう思ったところで、画面がパッと切り替わった。
今まで見た事のない画面が写っている。

「購入を承認しました。あなたのチケットナンバーは…」

うおおぉぉっ!
思わず声を上げる私とペペ。

帰れる、帰れるぞ!

フライトは翌朝の深夜。
ボサっとしている時間はない。荷造りをしなければならない。
普段は鞄の奥底に眠らせている40リットルのバックパックを引っ張り出し、それに必要最低限の物を詰め込んでいく。
衣類、撮影機材や電子機器を持ち帰るので精一杯。自転車やキャンプ用品は全て、ペペの家で預かってもらう事にした。

3月17日
時刻は深夜。
天気は生憎の雨。雨は久しぶりのことで、なんでこんな日に限って降るんだろう。

大慌てで荷造りしたものは、バックパックとダッフルバッグに纏めた。
空港で店が閉まっているといけないと、ペペはサンドイッチを持たせてくれた。また、スペインでは今や超貴重になっているであろうアルコール消毒液を分けてくれ、頻繁に消毒するように、と助言を授けてくれた。

アパートの階段を降り、まだ暗い外へと出る。
「元気で。お互い生きてまた会おう」
玄関先で、ペペとはお別れだ。ロックダウン中の今、彼の行動範囲はアパートの玄関までしかないのだ。
今まで多くの別れを経験してきたけれど、ここまで切迫した挨拶はしたことがなかったように思う。それ程に、今の世界は不安に包まれている。

バスも電車もタクシーも、ロックダウンによって営業を停止している。空港までは歩いていくしか選択肢がない。
外出制限の掛かっているスペインは、不要不急の外出をしている者には警察によって罰金されるようになっている。ペペは、困ったら警察に渡すといいと、「帰国するため空港に向かっている。必要な外出です」と書いたスペイン語のメモを持たせてくれた。

背中には大きなバックパック、片手は重たいダッフルバッグ、もう片手は傘。
空港までは3キロの道のりが、とても遠く感じる。途中で何度も何度も立ち止まり、休憩を挟む。
ネパールで買った防塵用の布マスクを鞄の奥底から引っ張り出して使っているが、とても蒸れるので息苦しくて仕方がない。

1時間もあれば着くだろうと思っていたのだが、時計の針が一周してもまだ空港には着かない。
焦りと不安で急ぎたいのに、重たい荷物がそうはさせてくれない。あぁ、焦ったい。

空港の敷地内に入った時は、心底ほっとした。
フライトまでは1時間を切っている。急いで航空会社のカウンターへと向かう。
自転車がないので、超過料金も一切なく手続きはすぐに終わった。

空港内はがらんとして、静まり返っている。
利用者は散見されるが、非常に少ない。予想に反して店は開いていたが、コンビニなどの必要最低限のものしか営業していない。
アメリカが3月13日以降ヨーロッパからの渡航を拒否すると宣言したため、それまでに脱出しようと多くの人が空港に殺到したとニュースで見た。映像で見るととんでもない長蛇の列が航空会社のカウンターに並び、ソーシャルディスタンスは一切守られていなかった。
もう既に渡航拒否は始まっており、ヨーロッパ脱出のピークも過ぎたため、この閑散具合なのだろう。

フライトの状況が映し出されているスクリーン。縦に並ぶフライト情報の横には、「CANCEL」の文字がずらっと並ぶ。パッと見る限り、9割以上の飛行機が運行を停止している。
自分のフライトは、今のところキャンセルにはなってはないようだ…。

フライト時間が迫ってきたので、搭乗ゲートへ進むために出国手続きをする。
驚いたのが、検温も問診も一切なかったことだ。
高熱の人間は別室に連れていかれ、問答無用で出国拒否だと思っていたのだが、この対応は逆に不安になってくる。

混乱の中で何時間も待たされるだろうと思っていたのだが、出国スタンプはすぐに押され、搭乗ゲートに通された。
搭乗待機場所で待つ同便の乗客は、私以外もほとんどが日本人だ。

定刻通りに飛行機への搭乗が始まった。
ここでもやはり検温などは一切ない。

バレンシアから乗り継ぎ先への飛行機は非常に小さく、映画を見るためのスクリーンも、機内食もない。

私はプロ野球が好きで、その中でオフシーズン、移籍や帰国する外国人が「体は移籍するが、魂は日本に置いてきた」と口にするのをよく耳にする。
今正にその気分を味わっているようで、帰国の実感が全くない。あんなに慌ただし買った脱出準備が嘘の様に、ボケーっとしている間に飛行機に押し込まれたような感覚を覚える。
飛行機自体も、私に何の感慨も覚えさせる暇を与えずに、さっさとバレンシアの地を蹴り、上空へと飛び上がったのだった。

乗り継ぎ地の搭乗待機場所からは、更に日本人が増えた。パッと見る限りは留学生のグループや、企業の駐在員家族達が主な乗客らしく、それぞれ互いに見知った仲なのか挨拶や会話を交わしている。

飛行機はジャンボジェットになり、サイズも機材もグッとレベルアップした。映画だって見ることができるし、機内食も結構豪華だ。
気になったのは、日本人乗客の振る舞いだ。頻繁に立って移動し、何をするのかと見ていると誰かと話をするためだけだったりする。マスクをしている人も少ない。
私が神経過敏になり過ぎているのかもしれないし、狭い機内で一人でもコロナ感染者がいれば逃げようがないだろうけれど、ちょっとした事が目に付いてしまう。

神経質になっているからか、余り眠たくならない。
映画を三本見て(内二本は同じ物を二回見た)、少し仮眠を取っている内に、あっという間に日本に着いてしまった。

日本での入国審査も驚くことに、検温も問診も一切ない。不安に思い、スタッフに声を掛けたのだが「スペインからの帰国者は検査の必要がない」ということだった。
イタリアや中国、それに何カ国かからの入国者は検査が必須になるものの、その数は非常に少ない。
呆気にとられるほどあっさりと、空港外に放り出されることとなった。

久しぶりに踏む日本の地。
しかし、帰国という感じは一切せず、どちらかというと「日本という国に観光に来た
」という感覚を覚える。

帰国初日はホテルに宿泊し、翌朝には車で山奥へと向かった。
私が子どもの頃から縁のある地で、ここなら人よりも鹿や狸などの獣に会う確率の方が高いため、自主隔離場所には打ってつけだ。
ヨーロッパにいる間、実は歩けなくなるくらい重度の腰痛を患っていたため、その休養も兼ねてのんびりしている内に日本も緊急事態宣言が発令されてしまった。
幸い、ここは自然に囲まれた素晴らしい環境で、家族への心配はさておき、自身の健康に対する不安は感じることなく過ごすことができた。

緊急事態宣言が解けたゴールデンウィーク明けに、ようやく家族と会うことができた時、「あぁ、これで旅行に一区切りが付いたんだな」という実感が湧いた。

さて、帰国してもう3ヶ月以上が経った今だが、私は実家に戻り、非正規ではあるものの仕事を見つけ、普通の暮らしを送っている。
今年いっぱいは旅行を再開するのは不可能だと考えているし、実際仕事の契約も来春までのため、それまでは日本に滞在することが決定している。
自分の力ではどうしようもない物に旅行を中断され、そして再開の目処も立たない中で、他に選択肢はなかったと言えよう。

正直な気持ちを吐露すると、また旅行を再開するのかどうか、迷っている。
毎日毎日、気持ちが変わるのだ。
「絶対に旅行を再開してやる!」
「もうどこかに正社員として就職して、普通の生活を送ろう」
シーソーの様に、不安定な精神状態で暮らしている。

どうしたらいいのか、正解が欲しい。
来春になったら旅行が確実に再開できるのなら、誰か教えて欲しい。
しかし、そんなもの誰も答えられないし、誰も分からない。

とりあえず、私は日本にいます。
応援して頂いた方々、ブログを読んで頂いた方々、ありがとうございました。
日本も今後どうなるか分かりませんが、またお目に掛かれれば幸いです。
更新が滞っている当ブログですが、ジョージアからスペインに掛けての記事はボチボチ更新していきます。賞味期限が切れた旅日記でしょうが、書いていこうと思います。

コメント

  1. 泣いた
    泣けた
    ペペさんが日本に来たら恩返しがしたい
    他者に優しくしていきたいと心から思った
    スペインからの帰国は想像していたより大変だったんだね。
    今はお祖父ちゃんのこともあり、身近に居てくれてとても心強い❣️

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