《世界遺産》ゲラティ修道院〜Kutaisiまで

Zestaponi~Kutaisi
11/13 (1098days)

長期旅行をしていて割とよくされる質問が、「旅行を通して成長したり、性格が変化することはありましたか?」というもの。
個人的には旅行というのは俗世の煩わしいものから解放され、自分の欲望のまま勝手気ままに楽しむものだと思っている。そんな遊びが、人間性の成長や性格の変化をもたらす事はないのではないだろうか。

ただ私の場合、旅行の楽しみ方や好みはその時々によって、結構変化していたりする。

例えば、旅行初期の頃は「映画や写真集で見た有名観光地や、アクティビティを体験したい」欲が強かった。これは、それまで海外旅行に行ったことがなく、どういうところへ行けば楽しめるのかがイマイチよく分かっていなかったのに起因している。

これが旅行中期、南米辺りになると「有名観光地なんて興味ないね。とにかく自転車で走って楽しい場所をひたすら目指すのみ!」という、ちょっとスレた中学生みたいな思考になる。自転車走行原理主義…とでも言おうか。
マチュピチュにも行かなかったし、ナスカの地上絵もセスナに乗って見ることはしなかった。

ここ最近は、そこから更に変化して「自分の行きたい場所を世界地図にピン留めする。そこへ行く手段に自転車を使う」という思考になっている。
飽くまでも私のやりたいことは世界一周。極端な話、自転車は移動手段に過ぎない。というのも、世界中どこでも面白い道ばかりではない。退屈で仕方ない道だってある。自転車ファーストの思考でいくと、そういうつまらない道を走った時に感じるストレスが半端でない。

ただ、点を移動するだけの旅行というのはしたくない。移動する過程も楽しみたい、汗水垂らしてようやく目的地に着いた時の達成感は、喜びを更に大きくする。
それに、偶に存在する人力で行ってこそ美しい場所も余す事楽しみたい。
そういうワガママな理由から、私は自転車で世界一周を始めたんだな、ということを最近ようやく分かってきた。

もちろん、この思考もまた変化していく可能性もあるのだが。

そしてジョージアで行ってみたかった場所が、クタイシという街の郊外にある世界遺産・ゲラティ修道院。
ガイドブックで見た、フレスコ画が美しく、訪れてみたかったのだ。

観光に時間を割くため、昨日の時点でクタイシまで距離を詰めていたので、正午前にはクタイシに到着。
ゲラティ修道院までは峠を一つ越えるので、今のうちに昼食を。

フラッと入ったレストランで食事を頼むと、壺入りのスープ・ファッソリという料理が出てきた。
ジョージアの隣国・アゼルバイジャンでも同じように壺入りスープを食べたが、そちらはビンティという料理名だった。
言語による違いだけで、料理としては同じ物だろうけれど、ルーツはどこになるんだろう?やはりトルコ発祥なのか、もしくはロシアからだろうか。

クタイシの市街地を抜ける前から、上りは始まる。斜度がキツく、日本の地方都市のようだ。
ヘトヘトになって峠にたどり着くと、そこから下りが始まった。
下った先に修道院があるのかな?と思っていたのだが、山の中にそれっぽい教会に似た建物が目に入ってきた。おいおい、まだ上りが続くのかよ…

ペダルを漕ぐ力を強めると、ペダルがカクツクことに気が付いた。
ペダルを揺すってみたが、許容範囲。どうやらペダルではなく、クランクを通しているBB(ボトムブラケット)に異常があるようだ。
今まで5万キロ以上走っても平気だったので、全く交換していなかったのだが、さすがに駆動系が一度も交換されずに走り切るのは難しいか。
ジョージアではまともな自転車屋がある街を訪れる事はもうないだろうから、トルコでなんとか交換できればいいのだけれど。

そんな不安の種を抱えつつ、ゲラティ修道院に到着。
どうやら改修作業中のようで、工事用のシートやらが掛かっている。訪問するタイミング次第で仕方ない事なのだが、少しだけがっかり。

ただ、修道院付近から見通せる展望は素晴らしい。
クタイシから苦労して登ってきた苦労が報われる。

世界遺産に登録されているゲラティ修道院だが、料金ゲートは存在しない。
門を潜ると、シスターのような格好をしたおばちゃんと小さな子どもが、5ラリ(約175円)を請求してくる。これが正規の徴収なのか分からないが、それを支払って敷地内へと入る。

敷地内はよく手入れされた芝生に、石組みの歩道が通されている。
修道院は3つの聖堂で構成されている。

特徴的なのが、それぞれの屋根に使われている建材。
素材は陶器だろうか。補修用に新しく作られたと思われる、エメラルドグリーンの瓦が敷地の隅に並べられている。今している工事は、屋根の張り替えなのだろう。
エメラルドグリーンという色は、華美過ぎず質素すぎず、かつ清潔感を覚える色で、修道院に相応しい色のように思える。

一通り敷地を歩いたところで、聖堂に入る。
12世紀に建てられた古い建物だが、設計がきちんとしているのか、天井や壁に設けられた窓から光が差し込み、灯りがなくても十分に明るい。

そしてやはり目を惹くのが、天井のドームや壁に描かれたフレスコ画。
キリストやマリア、賢者達と思われる人物の肖像が、聖堂内部を余す事なく描かれている。
聖堂を訪れた人々を暖かく見守る視線か、それとも聖堂内での規律や静寂を促す厳しい視線か…何れにせよ、彼らの視線を聖堂内どこにいても感じる様だ。

フレスコ画は世界中どこでも見られる芸術だが、ガッツリ補修されて鮮やかになり過ぎているか、もしくはカビや風雨の影響で原型がどうだったのか分からないくらいダメージを受けているか、二極化しているイメージがある。

ゲラティ修道院は補修技術が高いのか、ちょうどいい塩梅を保っていて、古ぼけたフレスコ画…という雰囲気を楽しむことができる。

ゲラティ修道院での観光を終え、来た道を戻ってクタイシへ。
まだ時間は早かったが、この日はクタイシで一泊していくことに。
調べてみると、日本人に評判のゲストハウスがあったので、そちらへと赴く。

一泊二食付きで25ラリ(約875円)と悪くない。
そしてこのゲストハウス、何とワインが飲み放題なのだ。
というのも、このゲストハウスを日本人に人気たらしめているのがオーナーの老夫婦なのだが、その旦那の方が自家製ワインをゲストハウスで製造しているのだ。

チェックインする前に、親父にそのワイン蔵(部屋)へと連れて行かれたのだが、狭い部屋を埋め尽くすバレルの数々。明らかに密造っぽい雰囲気が漂っている。

世界遺産にまでなる様な厳格な修道院がある一方で、この旦那の様に密造酒で終日へべれけになっている人間もいるのだから面白い。

奥さんの方も気合を入れた料理を振る舞ってくれ、それを肴に自家製ワインをしこたま飲む。
ジョージア独特文化なのか、ワインを友人同士で飲むときは、水牛の角を先っぽを切り、中をくり抜いたグラスを使う。
三角錐の様な形状なので、当然グラスは自立することができない。酒が入ったままグラスを机に置くのは、ジョージアでは無粋なのだろう。
グラスを持ち、お互いの腕を絡ませあってワインを飲み干す。

何度もこれを繰り返す内に酔っ払ってしまい、旦那と他の宿泊者を残し、ぐっすり寝入ってしまった。

(走行ルート:Zestaponi→Kutaisi)

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