アジア?それともヨーロッパ?〜Tbilisiまで

Qirmizi Korpu~Tbilisi
10/30 (1084days)
7時に起床し、ホテルの前でラーメンを自炊して朝食を済ませる。
アゼルバイジャンの出国手続きをする管理棟は、ホテルからは目と鼻の先だ。
アゼルバイジャンの通貨が4,000円分も余ってしまったので、出国する前に両替をしたい。
しかしホテルにWi-Fiがなかったため、為替の確認ができない。ホテルの親父にアゼルバイジャン通貨とジョージア通貨の両替適正レートを聞こうとしたけれど、私のロシア語では上手く伝えられず、はっきりしないまま出発する。
ホテルを出るとすぐ、二人の両替商がこちらに駆け寄ってきた。昨日ホテルに入る前に声を掛けてきたのと同じ男たちだ。
所持金を聞かれたので金額を伝えると、男たちはレートを示した後、電卓を叩いて見せてきた。
正直、レートが分からないので彼らの言い値を飲むしかない。彼らを信じ、その額で両替してもらう。
両替後、出入国管理棟へと向かう。
アゼルバイジャンの出国手続きは、車両と同じく屋外にある窓口へ案内される。
この窓口が列の整理も何もしないものだから、一つの窓口に対して一気に5、6人が押し寄せている。
途中まではお行儀良く順番を待っていた私だが、横から割り込んでくる人々を見て馬鹿らしくなり、自転車を押して人垣を分け、有無を言わせずパスポートを窓口にねじ込んだ。
パスポートさえ渡してしまえば速いもので、ポンっとスタンプを押されて出国完了。
お次はジョージア側の入国審査。
ジョージア側の入国審査は、高速道路の一般用入り口に似た窓口が並び、そこに並ばされる。
すぐに私の番が回ってきて、窓口の女性がにこやかに迎えてくれた。
パスポートの処理をしている間に、銃を持った守衛の男が私の元にやってきて、何事か言ってきた。どうやらグルジア語で話しかけてきたらしい。
窓口の女性はニコッと笑い、”あなたが自転車の後ろに括り付けている釣竿を見て、喜んでいるのよ。彼は釣りが好きなんだって”と、英語で私に通訳してくれた。
私が男に笑いかけると、男もニカっといい笑顔で返してくれた。
入国審査は全く時間が掛からず、すぐに終了。女性は”ようこそジョージアへ!”と、またにこやかな表情で送り出してくれた。
ジョージア、過ごしやすい国になりそうだ。
首都のトビリシまでは50キロ弱。
ウズベキスタンのサマルカンド以降、長居しての休養をとってこなかったので、いい加減しっかりと休みたい。
幸いジョージアは物価が安いと言うし、しばらく自転車に触れずに観光をしてもいい。
ちなみにグルジア文字はジョージア独自のアルファベットで、ラテン文字との共通項は一切ない。人間の脳は自分の慣れ親しんだもの以外は拒否したがるのか、初めてみるグルジア文字はフニャフニャした線としか思えない。
首都に向かって続くメイン国道なのに、家畜が道路を横断するのんびりした雰囲気が漂うジョージア。
風景は退屈だけれど、結構道路標識が多く常にラテン文字も併記されているので、グルジア文字の勉強で暇を潰しながら走ることができる。
しばらくすると上り坂が始まった。
大したことのない上りだけれど、久しくなかったペダルにのし掛かる重み。
上り切った後、視界が広がってトビリシの郊外が見通すことができた。
峠を上り切った後の、高みから見下ろす風景は久しぶりのことだ。
下り坂ではアスファルトに小さな隆起が所々あり、少しヒヤッとする場面もあったが、下り切った先は高速道路になっており、道路幅が広く、舗装の質もグッと上がった。ただ、交通量が多くてめちゃくちゃ怖い。
トビリシの中心部に入る前に、レストランで昼食を食べていくことに。
ホテルの一階にあるレストランで、出来合いを指差して注文するスタイルで、それぞれ値段を聞いてみたらまぁー高い。あれ、ジョージアって物価安いんじゃないの…?
ちょっと払えないので外に出ると、入店する前に会釈程度に挨拶をしていた、外でたむろする地元の男たちに声を掛けられた。
“どうしたんだ?食わないのか”
「ちょっと高すぎるから、別のところで食べるよ」
“おいおいそれじゃ腹が減るだろ!食ってけ!俺の奢りだ!”
男たちは私を店内の椅子に座らせ、カウンターに注文した後は、自分たちは外へまた出て行った。
運ばれてきたのは、スープとコーラ。
かなり美味しい。しかし、確かこのスープもさっき聞いた時は、確か滅茶苦茶高かったはずだ…
レストランではWi-Fiが使えたので、ジョージアリラから日本円換算して、スープの価格を確認してみた。ところが、思ったよりも随分安い数字が出てきたではないか。
不審に思い、アゼルバイジャンマナトからジョージアリアへの為替レートを確認すると、やっぱりやられていた!
アゼルバイジャンに出国する時に、4,000円分のアゼルバイジャンマナトをジョージアリアに両替したのだが、なんと1,500円も損をする悪質なレートで両替されていたのだ。
私はこの時の両替レートを基に、ジョージアの為替レートを計算していたので、実際よりも随分高いと勘違いしていたのだ。
アゼルバイジャンはずっと良い出来事ばかり会っていたのだが、出国する最後に棚されてしまった。
悔しさはあるが、ジョージアに入国してすぐ、こうしておもてなしを受けたことで随分と溜飲は下がった。
私が食事中に、お礼を言う間もなく男たちはレストランを去ってしまった。
なんと爽やかな国民性だろうか。
昼食後は片側3車線の広い高速道路を走るのだが、向かい風がまぁー強い。
天気も曇り空で、自転車に乗っていても肌寒いくらいだ。
ヨーロッパの雰囲気漂う中心部に入った。
ジョージアは地理的にはアジア圏ではあるのだが、文化はヨーロッパ圏の影響を大きく受けている。
中国から始まったユーラシア大陸横断。それぞれの国で文化が混じり合っているのは体感してきたが、ジョージアでは「文化の切れ目」を見た気がする。
キルギスやタジキスタンでは、人々の顔はモンゴロイドに近い顔付をしていた。ウズベキスタンから、ロシア系の顔つきの人が増え始めたが、文化はキルギスやタジキスタンと共通していた。
カスピ海を越えてアゼルバイジャンでは、顔付きは中東っぽい顔付きだったが、食文化はまだ中央アジアと共通する食事があった。
後々実感することになるのだが、ジョージアはそれらの国に共通していた文化は、プツンと途絶えたように思う。食べる食事が全然違うし、建物の見た目、街の作りも違う。宗教も、中央アジアで主だったイスラム教ではなく、グルジア正教会を総本山とするキリスト教が主である。
この後、数週間後にトルコへ入国するのだが、トルコでは逆に中央アジアを思わせる文化が多かった。
2週間少々の滞在中で、私にとってジョージアという国は、「アジアに割り込んだヨーロッパの一国」という、ちょっと変わった印象を持つことになる。
中心部から少しだけ離れたところにある、コンフォートプラスホステルに到着。
ここは日本人旅行者の定番宿になっていると評判だ。
私は日本語が恋しくなる性格なので、日本人宿は積極的に宿泊するタイプである。それに長期休養をするなら、日本人が集まる方が防犯上でも安心することができる。
コンフォートプラスに入るとやはり宿泊客は日本人ばかりで、しかもウズベキスタンのサマルカンドで出会った逸見さんがいるではないか。
再会を喜んで話していると、今度はキルギスで出会った鈴木さん、それに中央アジアで度々再会したモーターサイクリストの佐藤さんまで宿に入ってきたではないか!
投宿したばかりのホステルが、一気に地元のような安心感へとなってしまった。
3人以外の宿泊している人達も、落ち着いた雰囲気、いわゆる大人の旅行者という方が多く、それがとても居心地が良い。
夜はいつもみんなでビールやワインを持ち寄って飲んでいるらしく、初日から私も混ぜてもらってしこたま飲んでしまった。
これはトビリシ、足に根っこが生えて中々脱出できないかもしれないな。
(走行ルート:Qirmizi Korpu→Tbilisi)