意外と美食の国〜Samkirまで

Alert西90km~Samkir
10/27~10/28 (1081~1082days)

10/27

テントを張らせてもらった果物露店は、夜通しずっと男が吹き曝しに置いたベッドで店番をしていた。
そして、深夜でも車が露店の前に停まる音がしていたので、実際お客も来るのだろう。

朝食に、ラーメンと昨日もらったザクロを食べる。
山ほどザクロをもらってしまったのだが、彼等の売り上げを圧迫してなければいいのだが。
お礼を言い、アゼルバイジャン二日目の走行を開始する。

道はずっとフラットで、車通りも多くて退屈そのもの。

退屈な道を走っていると、昼食の時間が待ち遠しい。それしか楽しみがないからだ。
そういう訳で、まだまだ早い時間の11時過ぎ、現われたレストランに飛び込んで昼食を食べることに。

メニューにケバブという表記があったので、それを注文する。
ケバブといえばトルコの代表的料理で、日本でも馴染みのある料理だろう。
棒に刺さった巨大な肉の塊が、ヒーターの前でくるくると回って焼かれ、注文するとその塊から薄くスライスされる、あの料理だ。
隣国ということもあって、アゼルバイジャンでもよく食べられているのか。

しかし、出てきた料理は薄くスライスされたものではなく、挽き肉の串焼きであった。
どうやら、ケバブというのは焼肉料理の総称であり、スライスされた肉料理を指す言葉ではないらしい。

辛い玉ねぎとケバブを合わせて食べ、その辛さにヒーヒーと辛い息を吐く。
次はさっぱりしたヨーグルトとケバブを合わせて食べ、辛さを中和して一息つく。
肉に飽きれば、付け合わせの焼きトマトを食べ、その酸っぱさで口の中をリセットし、またケバブを口に放り込む。

昼食後もひたすら退屈な道が続き、途中で眠気がさしてしまう程。
意識が飛び、これはまずいとバス停で20分ほど昼寝をする。

日没前、県境に到達したようで、モニュメントがある。
そのモニュメントの脇にはよく手入れされた森林があり、この日はそこで野宿をすることに。
久しぶりに誰の目にも届かない野宿とあって、開放感を得る。
静かな森で静かに夜を過ごすのも、自転車旅行の魅力なのだ。

10/28

昨夜は森の中にいたので気付かなかったが、今朝はかなり強めの風が吹いている。
ウィンドブレーカーを着て、走り始める。
農地と畑が続く中で、水源となる川が現れる。砂漠ばかり走ってきたので、ここまで幅の広い革を見るのは久しぶりだ。

この日もひたすらに退屈な道が続く。
まぁ、退屈な道が続くのは山岳地帯を選ばなかった時点で分かっていたので、これに文句を言っても仕方がない。
なので、アゼルバイジャンではとにかく食に重きを置いて、それを楽しもうと思う。

この日もレストランに入り、昼食を取ることに。
席につき、水を持ってきてくれた女将に「ヤー ハチュー イェスト(ロシア語で『私は食べたいです』」と伝える。
普通は、「何を食べたい?」とか、メニューを持ってきてくれるはずなのだが、この時女将はウンウンと頷いただけで、奥へ引っ込んでしまった。

え?今ので注文できてるの?というか、何が出てくるの…?

しばらく待っていると、女将が食事を持ってきてくれた。
ヨーグルトと、紫野菜のサラダ。
紫色の野菜というのは日本人にとっては中々馴染みがない。
恐る恐る手をつけてみると、微かな酸っぱさに、シャキシャキとした食感で中々美味しい。

サラダに舌鼓を打っていると、女将がやってきて、今度は壺を食卓に置いた。
壺にはスープが入っており、具材は豆、ジャガイモ、羊と思われる肉が入っている。
よく煮込まれたスープはコンソメが効いており、濃厚でとても美味しい。
あまりに気に入ったので料理名を聞いてみると、”ビンティ”というらしい。

全くノーマークだったアゼルバイジャン料理だが、ここまで美味しいとは思っていなかった。こんなに美味しいと分かってたなら、山岳地帯へ進んでもう少しゆっくりと滞在してみてもよかったかもしれない。
私のルートだと、明日にはジョージアとの国境まで着いてしまうので、もったいない気になってきた。

アゼルバイジャンもやはりイスラム教の国で、モスクと思われる建物を、時折見かけることがある。

Gangaという大きな街の手前で、アゼルバイジャンの先代大統領(1993〜2003年歴任)の大きな看板が設置されていた。
調べてみたが、彼の生まれ故郷という訳でもなく、縁もなさそうなのだが、今もなお尊敬を集めているということなのだろうか。

Gangaの街はかなり大きく、中心部は高いビルもあってお洒落なアパレルショップなどが並ぶ。ヨーロッパの地方都市くらいには栄えている。
久しぶりに見る都会と、そこを歩くたくさんの人々。
しばらく荒野を走り続けた身としては、そうした煌びやかな雰囲気や人の多さに馴染めず、カメラも怖くて鞄から出すことができない。

中心部を抜けると、赤煉瓦で造られた住宅街に出てきた。
ここまで出てくると、人通りも少なくなってホッとする。
レンガには、タイルによるザイクが描かれているのが多々見受けられる。煉瓦とタイルがこの街の名産なのだろうか。

郊外には、第二次世界大戦のモニュメントがある。
旧ソビエト圏の国だっただけに、当時は多くの犠牲者が出たのだろうか。

Gangaを抜けて走り続け、17時過ぎにSamkirの街に到着。

街の入り口にはオリンピックのスタジアム?があり、ボウリングの写真がデカデカと飾られている。
オリンピックにボウリングって見たことないな…と思って調べたら、かつてソウルオリンピックで公開競技になったことはあるらしい(正式競技ではない)。
アゼルバイジャンでは、オリンピックの正式競技にボウリングを推す動きがあるのかもしれない。

さてそんなSamkirだが、決して小さな街ではないのに、ホテルが全然ない。
唯一あるホテルは高級で、とてもじゃないが薄汚れた自転車旅行者は利用できない雰囲気だ。
オフラインマップで出てくる宿も、今は営業していないのかどれも見つからない。。

結局、街の中でホテルを探すことは諦め、街から少し離れたところで見つけていたホテルに投宿することができた。

ホテルに荷物を置いた後は、歩いて街へと向かい、レストランに足を運んだ。
壁にメニューが値段付きで貼り出されており、その中で値段の高くない”Basdirma”を注文してみた。

Basdirmaとはどうやらステーキだったらしく、立派な肉が運ばれてきた。
これがまた美味しい。つくづく、この国を離れるのがもったい無くなってきた。

(走行ルート:Alert西90km→Yavlakh東10km→Samkir)

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