紳士の国・アゼルバイジャン〜Alert西90kmまで

Alert~
10/26 (1080

10/26
さて、記念すべきアゼルバイジャン走行初日。
差し当たり、目指すは隣国ジョージア。

アゼルバイジャンからジョージアへ抜けるルートは大きく二つあり、アゼルバイジャン北部の山岳地帯を越えていくか、西部のひたすら続く平野を貫くメイン国道を走るか。
メイン国道の方は交通量も多くて退屈だと、そこを走ったサイクリストには聞かされていたので、心情的には山岳地帯を走りたいところではある。

しかし冬はもうすぐそこまで迫っているし、11月に入るとジョージアでは雪が降り始めると聞いたので、のんびりとしてられない。
そういう訳で、メイン国道を走ってアゼルバイジャンはささっと抜けてしまうことに。

同部屋のベルギー人サイクリストは山岳地帯ルートへ行くとのことで、一人で走り始める。
私が走るE-20という国道は片側2車線、反対車線とは完全分離の立派な道路で、要は高速道路の様なもの。

交通量はめちゃくちゃ多く、どの車も時速80キロくらいでかっ飛ばし、ビュンビュンという音に耳が支配されてすごくウザったい。
路肩は広く取ってあり、自転車はそこを走ることができるのが救いなのと、歩行者もその路肩を歩いている。

途中、路肩を歩くおばちゃんとすれ違った。
このおばちゃんが私にとってはアゼルバイジャンでの第一村人だったのだが、向こうが笑顔で挨拶をしてくれ、「お、何かアゼルバイジャンは感じが良いな」と嬉しくなった。

この立派な国道には、基本的にガードレールが敷かれているのだけれど、時折バス停や緊急時停車用に広くスペースが設けられていることがある。

そこは大抵商人が陣取っていて、黒海に面したアゼルバイジャンらしく魚を提げた男達が、時速80キロ近くでビュンビュン飛ばす車に呼び込みを掛けている。

一度は片手に耳を掴んで、ウサギを売り込みに掛けている男を見かけてドキッとした。
どうやらアゼルバイジャンではウサギも食べるらしい。

国道を走り28キロほど進んだところで、レストランが現れた。
ちょうどお腹も空き始めた頃で、時間も11時半だったので昼食を食べていく事に。

しかし、ユーラシア大陸横断の計画を組んだ時点では、アゼルバイジャンは訪れる予定はなかったので、事前情報が何もない。もちろん食事についても、何も知らない。
こういう時にこそインターネットを使うべきなのだろうけれど、SIMカードとか今は持ってないし、そもそも私はネットではその国の情報はあまり調べない。「現地に行けば何とかなるだろ!」と思っている節がある。

レストランの親父は英語は通じなかったけれど、アゼルバイジャンではロシア語が通じる様で、助かった。
メニューを聞いてみると色々と説明してくれたのだが、私が唯一聞き取れたのは “シャシリクとナン” 。
シャシリクとは串焼きにした肉料理で、これはウズベキスタンやカザフスタンでもよく食べられていた料理だ。カスピ海を挟んでいるとはいえ、料理文化はスタン系国家と共通するところがあるらしい。

早速シャシリクとナンを注文しようと思ったが、ちょっと待った。値段を先に聞いておかないと。
「シャシリクとナンで、いくら?」
“26マナトだ。”

はいはい26マナトね…いくらだ?入国してまだ間もない時は、円に換算するのに時間が掛かる。
…おいちょっと待て!昨日のホテル代が22マナトだったから、それより高いぞ!?
電卓で計算すると、26マナト=1,600円と出た。
ふざっけんな!

「ちょっと高すぎるよ」
“じゃあ15マナト(940円)でどうだ。”

「はいサヨウナラ」と退店しようとする私。
“待った!6マナト(380円)でいいよ。” と親父。

おいおい、最初の言い値から4分の1以下まで下がったよ…というか、最初どんだけボロうとしてるのよ?
まぁ、6マナトならフェアな料金だと思うし、その値段でオッケーして注文する。

私が日本人だと知ると、親父は急にテンションが上がり出した。
何でも日本のサッカーが好きなのだそうで、”ナカタ!ナカムラ!!ガンバ大阪!!!” と、連呼する。確かに中田英寿や中村俊輔を知っている外国人はいれど、ガンバ大阪を知っているのは中々いない。

しかし、アゼルバイジャンでもJリーグの試合を放映するテレビ局はあるのだろうか?
まぁ、それこそネットでいくらでも見れるんだろうけれど、その中でわざわざ極東の島国のサッカーリーグを観戦するという人間はレアだ。もしかしたら親父には、ロベルト本郷の様な過去があり、日本に対する思い入れがあるのかもしれない。
これだけ日本の事で盛り上がってくれている親父対してすっかり親近感が湧いて、ぼったくられかけた事実など私の頭からはすっとんでしまった。

20分ほど待って、食事が私のもとに運ばれてきた。
あんだけ値切ったので、食事の量もカットされる物かと思っていたが、予想に反してテーブルは数々の皿で埋め尽くされた。

生野菜、鶏のシャシリク、パン、それにヨーグルトも付いてきた。
シャシリクは中央アジアでもよく食べられていると先述したが、ヨーグルトが一緒に付いてきた記憶はない。カイマックはヨーグルトに似ているけれど、どちらかというとあれはクリームソースだったし、日本で食べられる様なヨーグルトとは全く味も違った。
今出されたヨーグルトは、日本で食べるプレーンヨーグルトそっくりの味だ。

ふと、隣国のジョージアではヨーグルトが名産だったことを思い出した。
ジョージアは地理的にはアジアだが、文化や政治的にはヨーロッパに位置づけられる。
シャシリクという中央アジアの食文化と、ヨーグルトというヨーロッパの食文化が、今同じ食卓に並んでいる。
陸続きの国ならではの、文化の混ざり合う瞬間が垣間見れた様で嬉しくなった。

走っている風景は長閑そのもの、アップダウンも全くない。
交通量が多いので耳にはうるさいが、それが当たり前になってくるので、騒音にも慣れてしまい、ボケーっとしながら走っていく。

そんなボケーっと走っている間、結構な数の人に声を掛けられる。
追い抜いていった車が路肩に停まって写真をせがまれたり、バス停で休憩していたら家から出てきた人が袋一杯に詰めたザクロをくれたり。
声を掛けてくれる誰もが、穏やかな笑みをたたえている。そして友好的な態度にあって、決して一線は越えないというか、落ち着いた紳士的な振る舞いをしている。これがアゼルバイジャンの国民性なのだろう。

この日90キロ走ったところで、日没が近付いてきた。
アゼルバイジャンの困ったところは、野宿場所が全く見つからないこと。
ガードレールが敷かれているため道路から出られないし、交通量も多くて身を隠せる場所もない。

途方に暮れながら走っていたところ、果物露天を開く男に声を掛けられた。
男はニコッと笑い、売り物のザクロを手で割って、手渡してくれた。
お礼を言い、ザクロを食べながらロシア語でしばらく話をする。
私が食べ終わると、男はまた新しいザクロを割って、手渡してくる。”遠慮するな” という風にニコッと笑う。
もう何個食べたか分からないくらい、ザクロでお腹一杯になる内に、日没を迎えてしまった。

ロシア語で「パラトゥカ(テント)」と男に伝え、身振り手振りでここで野宿していいか?と聞いてみる。

男は合点いったようで、”ここは夜通し店番がいるから、安心して寝るといい” と言ってくれた。
確かに果物を並べる棚の横には、吹き曝しに簡易のベッドと毛布が置かれている。夜中でも客が来て、果物を買っていくのだろう。大変な商売だ。

男に礼を言い、私はテントを立て、壁も天井もあるテントへと潜り込んで、アゼルバイジャン初日を終えた。

(走行ルート:Alert→Alert西90km)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です