カスピ海を越えて新たな国へ〜アゼルバイジャン・Alertまで

Zhetybai南65km~Alert
10/22~10/25 (1079days)
10/22
思えば、キルギスから始まった中央アジア走行は、砂との格闘の日々だった。
厳しいパミールの山脈で砂にタイヤを取られて自転車を引き摺り、1,000キロ以上延々続く砂漠地帯ではあまりの風景の変化の無さに気が狂いそうになり…
毎日砂漠でテントを張るものだから、ファスナーが砂を噛んでしまって締まらないようになり…
しかしそんな日々も、もう今日で終わりなのだ。
今日私はカスピ海到着をもってして、長きに渡る砂との闘争に終止符を打ち、中央アジア走破を青い海へ向かって高らかに宣言するのだ!
野営地から走ること10キロ。
まだ眠気から覚め切らずにボヤーっとしている内にクリークの郊外に到着、カスピ海が見えてしまった。
あ、あれ…?こんな近かったっけ…もうちょっと砂漠の余韻に浸りながら、満を辞して海を見たかったんだけど。
しかし、久しぶりに見た海は想像以上に青く、やはり小さくない感動を覚える。
茶色、黄色、灰色…味気ない色ばかりを連日見てきた両目には、この青は鮮やか過ぎる。
クリークの町で買い物をしようか迷ったのだが、そのままスルーした。
今日出航するフェリーがあるのなら、乗れるかもしれない。
今はとにかく港へ急ぐのだ。
しかしクリークから港へ行く道が分かりにくい上に、キルギスで買った私のスマートフォンは役立たずでGPSが全く動作しない。
道中にそれっぽい港があって、そこで警備員に尋ねるのだが、”もっと先だ”と言われる。
その内にカスピ海は見えなくなり、また砂漠だけが広がる世界に逆戻り。
道が本当に合っているのか不安になってくる。
途中で荷物満載の、明らかに旅行者なBMWのモーターバイクが追い越して行ったので、それでようやくルートが合っていることに確信が持てた。
クリークから砂漠を走り続けること25キロ、道の突き当たりにあるクリーク港に到着。
これで中央アジアは無事走破!
しかし本当に港しかなく、辺りには売店、ホテルの類は一切ない。
フェリーターミナルの入り口を入ると待合室になっており、10人程の旅行者が座っていた。
彼等もアゼルバイジャンへ向かうのだろうか?
ターミナルの建物にはチケットオフィスはなく、待合室の先へ続く扉は鍵が掛かっていて通れない。この待合室で行き止まりとなっているのだ。
座っている旅行者に尋ねると、彼等はアゼルバイジャン側からやってきたのだそうで、この待合室で昨夜を明かし、今は迎えの車を待っているのだとか。
それから程なくして、彼等はみな待合室から出て行った。
一人だけ残った男がいて、彼は港までの道中で私を追い抜いて行ったモーターサイクリストだという。
彼もアゼルバイジャンへと向かうのだが、何の案内もなくてどうしたものか…と困っているようだ。
彼はニュージーランド人で英語の訛りがきつく、ただでさえ英語が堪能でない私には、彼の話している内容が半分も理解できない。
待合室には一応トイレもあるし、職員に「ATMはないか?」と尋ねると、待合室先のゲートに案内してくれ、その先にあるチケットカウンターが並んだ立派な建物で、お金も下ろすことができた。
というか、そっちの建物にはレストランもあるしフリーWi-Fiも飛んでるのに、何でこっちで待たせてくれないんだ?
チケットの購入はまだだと、チケットオフィスには断られたし、結局何もない待合室に追い返されたので、ここでいつ出港するか分からないまま待つしかない。
晩ご飯は、待合室の外でモーターサイクリストと並んで、ガソリンバーナーで自炊をした。
これ、バーナー持ってないバックパッカーはどうやって生き延びるんだろう…?
中にあったレストランも、頼めばその都度利用させてくれるのだろうか?
夕食後、モーターサイクリストは税関のチェックがあるとかで、待合室先のゲートへバイクごと進んでいき、待合室にポツンと残された私は、初日を一人で寂しく寝ることに。
10/23
8時起床。
誰も待合室にやってこないので、この日も出航はないのかもしれない。
ストーブで自炊した食事を食べ、ウクレレを弾いたりブログを書いたりして時間を潰す。
待合室には飛んでないが、あるポイントでWi-Fiが拾える所も見つけたので、生存報告やブログアップも一応できる。
夕方になると一人、ベルギー出身のサイクリストがやってきた。
どこで情報を入手したか分からないが、彼曰く翌日の3時に船が出港するらしい。
その後はもう一人、フランス人バックパッカーがやってきて、この日は彼等と3人で待合室で過ごした。
10/24
朝食を食べ終えてのんびりしていると、10時頃にフェリーのスタッフが待合室にやって来て、”もうすぐ出港するから、ここでチケット代金払って”という。
一昨日、ATMでお金を下ろす前にチケットオフィスで値段を聞いていたのだが、その時は自転車込みで28,000テンゲ(約7,000円)と言われていた。
それが今朝は31,000テンゲ(約7,800円)との事で、おいおい金足りんやんけ!
幸いベルギー人サイクリストがカザフスタン通貨をかなり余らせており、彼から借りることができて事なきを得た。
その後はゲート内の待合室に移動させられ、30分程待機の後、フェリーに乗船開始。
カザフスタンの出国審査は船内の一室で行われる。
審査官が2名、それぞれ目の前に機械を置いて待機しており、乗客は列を作って順番に処理されていく。
機械でパスポートをスキャンし、パスポートにスタンプを押してはい、終わり。
これで、後はフェリーが事故なく航海してくれれば、アゼルバイジャンが待っている。
乗客の内旅行者は待合室で顔を含めた3人、私含めて4人だけで、後は全員トラックドライバーである。
我々旅行者は全員同じ客室を当てがわれ、人一人すれ違うのもできない狭さに、二段ベッドが二つある客室に案内された。
船は12時半頃、汽笛も鳴らさず静かに出港。
客室の窓の外の風景が移動していっているのを見て、初めて出港しているのに気付き、慌ててデッキへと出る。
出港してすぐ、食堂で昼食が出された。
パンとライス、チキンにジュースが付いてくる。
質はともかく、食事は一日三食出してくれるらしいのでありがたい。
昼食を食べた後はずーっと暇なので、ロビーでひたすらウクレレを練習する。
それに飽きればデッキへ出て、外の空気を吸う。
砂漠での走行では毎晩、地平線に沈む夕日を見てきた。
この日デッキの上で見るのは、水平線に沈みゆく太陽。
沈む先が地面か海かの違いでしか無く、見えている風景はほとんど同じはずなのだが、物凄く新鮮に感じるのは何故なのだろう。
砂漠では感じ得なかった波の音、潮の匂い、そして新しい国と文化圏への期待感が、そうさせているのかもしれない。
10/25
夜明け前にデッキに出て、潮風を浴びながら日の出を待つ。
太陽が海の上にヒョコッと顔を出すのを見届けると満足して、船内に引っ込む。
朝食を食べた後は、やはりロビーでウクレレを練習する。
音楽というのはコミュニケーションに良いツールで、私の様な下手くそが奏でる音楽にも興味を持ってくれ、話しかけてくれる人が多い。このフェリーに乗っているドライバーの運ちゃん達も、そんな良い人が多い。
「ちょっと貸してみろ」と運ちゃんがウクレレを手にして、少し触っただけでコツを掴み、即興で一曲弾いてしまう。私なんか足元にも及ばない巧さで弾くのだから恐れ入る。
さて、カスピ海は荒れやすく、最短で1泊2日の航海が、天気次第で3泊4泊になるという話は、前々回の記事で触れた。
今回は海が穏やかで、予定通り2日目のこの日14時に、アゼルバイジャン側の港・Alert(アラート)付近に到着。
しかしアラート港の連絡橋が破損しているとかで、着港ができないらしい。
乗客にはそれ以上の情報は与えられないまま、不安の中2時間ほど待機させられた後、ようやく船が動き出した。
港に対してフェリーが大きいためか、港から派遣されてきた小さなボートがフェリーを突くように押して先導していく。
無事着港し、ドッグは空いて外は見えているのにてからも中々上陸許可が下りない。
待っている間に、外は日没を迎えてすっかり暗くなってしまった。
乗船許可が下りたのは18時頃だっただろうか、ゴーサインが出た。
同室だったモーターサイクリストとバックパッカーと別れの挨拶をし、ベルギー人サイクリストと入国管理棟へと走り出す。
アゼルバイジャン側は荷物のチェックが厳しく、全てX線でチェックされ、更には電子機器が入っている鞄は個別で開けてチェックまでされた。
入国のスタンプが押されて管理棟を出たのは19時過ぎ。もう真っ暗だ。
とりあえず港の出口にあるATMで無事にお金を下ろせてほっとしたが、どこで寝ようか。
港出口にはフェリー待ちのトラックが何台も停っており、ここで夜を明かすのだろうが流石に入国初日で治安状況も掴めていない中、こんな所で野宿はしたくない。それにここら辺の野犬は凶暴で、ついさっき追いかけ回されたばかりだ。
ベルギー人サイクリストと相談し、スマートフォンのマップ上、港から数キロ進んだところにホテルがあるようなので、そちらへ向かうことに。
真っ暗闇な上、ホテルは砂漠の上の道なき道を行かなければならず、へとへとになってようやく到着。
45マナト(約2,800円)の部屋を二人で割り勘にし、なんとか投宿。
港近辺にはこのホテルしかなく、アゼルバイジャンからカザフスタンへ向かうフェリーを待つバックパッカーがたくさん泊まっていた。
到着した我々を見て、”じゃあ明日には俺たちフェリーに乗れるんじゃ!?” とテンションの上がる彼らとビールを飲み交わし、眠りに就いた。
しかし、ブログの都合上、国はアジアとか南米とかカテゴリー分けしているのだけれど、アゼルバイジャンはどこに当たるのだろう?
アジア?ヨーロッパ?
(走行ルート:Zhetybai南65km→Kuryk Port→Alert)