砂漠の友人〜Yelabad北西130kmまで

Shang’irlik~Yelabad北西130km
10/11~10/13 (1065~1067days)

10/11
見た目には常夏に思える砂漠にも、ひたひたと冬が近付いている。
日に日に夜明けが遅くなり、気温も低くて寝袋を抜けるのが億劫になってきた。

標高100メートルにも満たないウズベキスタンでこれだと、真冬にぶち当たる予定のトルコではどれくらい冷え込むのだろう。
少し不安になってきた。

あんまり寒くて、タイツと靴下、それにフリースと手袋も引っ張り出して走り出す。

昨日あれだけ猛威を振るった風は、今日はピタッと止んでしまった。
来た道を戻っているのだから、今日は追い風の恩恵を受けられると思っていたのに、この仕打ちはどういうことだろう。

40キロほど走り、木陰の下に入って昼休憩を取る。
木に立てかけた自転車に目をやると、なんとサイドバッグに裂け目ができているではないか。
これでは防水バッグの意味をなさない。
4年間の使用で小さな穴はたくさん開いているが、それはテープで塞ぐことができる。
しかしこの箇所は構造上テープでの補修も、縫い合わせることもできない。
ヨーロッパに着いたら、新しいのを買わなければならないか…

サイドバッグの裂け目を嘆いているところへ、羊飼いが群れを率いてやってきた。
こちらをまじまじと見つめた後は、羊と共に砂を巻き上げてさっさと去っていった。
昨日は全く羊を見なかったけれど、遮蔽物のないこの砂漠で、一体どこにこんな数の羊を飼っているのだろう。

13時過ぎ、Qo’ng’irotに到着。
2日前に離れたメイン道路に戻ってくることができた。

Qo’ng’irotから少しばかり上りがあり、その途中に変わった人工物が密集しているのが目に付いた。

どうやら墓場らしく、中には小型のモスクのように立派な物がある。
町の有力者や金持ちの墓は、大きくなるのだろうか。

17時頃、車の修理工場と一緒になった大きなレストランがあった。
1,000キロの無人地帯とはいえ、こういうトラックの運転手用のレストランは点在しているようだ。
敷地内にテントを張っていいか尋ねると、快諾してくれた。

せっかくなので、食事はレストランで取ることに。
中央アジアのうどん、ラグマンを食べた。

10/12
ここまで意外とチャイハネで食事ができているため、食料が余りそうだ。
朝食はインスタントラーメンの他に、米も炊いてガッツリ食べ、少しでも荷物を減らしていく。

野営地の近くには工場らしきものや、地図にも載らない集落があったりと、こんな環境でも人はいるらしい。

しかしそれらを過ぎると、本格的に砂漠地帯に突入した。
生えている草は僅かで、それも枯れているのかどうか分からない。

この日は若干ながら追い風で、自転車はスイスイと進んでいく。
楽に走れるし、どうせ風景は退屈だしで、考え事が捗る。

この時考えていたのは、今後のルート。
それも直近のルートではなく、長期的なルートについて。

自転車旅行をしていると話すと、何の予定もない気ままな放浪…と思っている人が結構な数いるのだが、とんでもない。
直近のルートは確かにその時の気分で変わるが、長期的なルート、特に大陸間の移動に当たるところは計画を立てておかないと、後々痛い目を見る。

私の旅行も4年目に入り、もう後半戦を迎えている。
そろそろどうやって終わりを飾るかを、考える時期にきている。
最終ゴールは南アフリカの希望峰と定めているが、そこに至るまでに、どう回れば気持ち良いか。

そう、ルートを計画するのに大事なのは、「一番気持ち良いルート」を検討する事に尽きる。
気持ち良い条件とは、自分の好みそうな場所が多い(私の場合は山岳地帯多めの場所)、サイクリングに適した季節、飛行機を使わなくて済む移動、予算に余裕を持った期間…などなどが挙げられる。

あーでもない、こーでもないとブツブツ言いながら妄想を膨らませていると、こんな退屈な砂漠地帯でもあっという間に距離を稼ぐことができる。

しかし楽しい妄想も、45キロ程走った所からアスファルトに凸凹が目立ち始め、中断を余儀なくされた。
穴は結構深くて、油断しているとそれに嵌ってガツン!と大きな衝撃を受ける。とてもじゃないが、ボケーっと妄想に耽っていられず、走行に集中して穴を避けなければならない。

この日は遮蔽物は何も見つからず、道路標識に自転車を立てかけ、その陰で昼食のコーンフレークを食べる。
ハエが多くて鬱陶しい。

昼食を終えた後も延々と続く砂漠地帯。
自分の横に広がる砂漠に目をやると、遠くに一頭のラクダが目に入った。野生のラクダ…?
さらに先へ行くと、その一頭の後ろにはたくさんのラクダの群れがいるのが分かった。そしてバイク乗った男が、それを追い立てている。
野生ではなく、男が家畜として飼っているようだ。

自転車を道路に置いて、砂漠に入ってその群れに近付いてみる。
ラクダにはそれぞれ役割があるのか、一頭が私を横目にジッと見つめ、その脇を他のラクダ達がささっと抜けていく。彼は見張り役なのだろう。
鹿の様に角があるわけではないので、オスメスの区別が分からない。コブが大きいのがオスなのだろうか?
そしてラクダ達は家畜として、何の役に立つのだろう?乳を飲むのか、肉を食べるのか…

バイクに乗ったラクダ飼いは私に近付いてきて、”どこから来た?”と私に尋ねた。
日本からだ、と答えるとそれに満足した様で、またバイクでラクダを追いたて、彼等は遠い砂漠の向こうに小さくなっていった。

この日130キロ走ったところで、ガソリンスタンドと、それに併設したチャイハネが現れた。
ガソリンスタンドは潰れているが、チャイハネは開いており、敷地内でテントを張らせてもらえないかを頼んでみる。

“テントを張る必要はない、建物の中で寝ていいよ。お金も払わなくていいよ。”
女将さんは親切に言ってくれ、ありがたく甘えさせてもらう。
入り口にはバイカーの物と思われるステッカーがビッシリ貼ってあり、たくさんの旅行者を女将さんはもてなしてきたのだろう。

夕方になると大型トラックが数台止まり、ドライバーがドカドカとチャイハネに入ってきた。
彼等に混ざり、私もプロフを注文して晩ご飯を食べる。

晩ご飯を食べた後は、外にでて日没を眺める。
太陽は地平線の向こうに中々隠れていかない。砂漠では、完全に日没するまでがとても長い。
その分、日没するとあっという間に辺りは真っ暗になる。

ドライバーも何人かここで寝るようで、チャイハネには数人の男が寝っ転がっている。
私も、自分の寝袋とマットを敷いて眠りに就いた。

10/13
朝食にサモサ(肉の入ったパイ)を注文し、朝食とする。
出発準備をして女将さんに礼を言って外に出ると、強烈な向かい風とが吹き、今にも雨が降りそうな曇り空。

出発を躊躇したのだが、もうお金も食料もそこまで余裕がない。
レインウェアを着込んで出発する。

猛烈な向かい風のせいで、時速8キロほどしか出ない。
そして案の定、出発してすぐに雨が降り出した。

出発して僅か5キロ、かつて警察の検問所だったと思われる建物の屋根に入り、雨宿りをする。
20分ほど待ってみたが雨も風も、止む気配がない。
雨宿りできる場所はこの先ないだろうし、雨でグチャグチャになった砂漠でテントを張って野宿も、難しい。

結局来た道を5キロ引き返し、またチャイハネに戻ってきた。
女将さんはニコッと笑い、”今日も泊まっていったらいい” と言ってくれた。

チャイハネでは本を読んだりウクレレを弾き、飽きれば昼寝をしてダラダラと過ごす。

日没となり、晩ご飯にラグマンを注文した時に、大型バスがチャイハネに着き、乗客が雪崩れ込んできた。
狭いチャイハネはあっという間にギュウギュウになり、座れない男たちは立ったまま食事を取っている。

大型バスは出発時間があるので、自然彼等の注文が優先される。
私のラグマンは1時間以上経っても出てこず、椅子に座ってジッと待つ。
女将は時々私に目を向け、”ごめんね”と合図してくる。

私も理解しているし急ぐ必要がないので、イライラせずにのんびりと待つ。
しかし東洋人が一人だけいると目立つためか、たくさんの人の視線が刺さるのはちょっとしんどい。

その内、私に興味を持った男が声を掛けてきた。
“どこから来た?” 「日本から」という、ありきたりな話から始まる。
私がロシア語を少し話せるのが分かると、それまで遠巻きに見ていた男達が、ワッと私を囲む様に集まってきた。

どこへ行くんだ!? なんだと自転車で旅行!?4年間も!?
あっという間に人気者になってしまい、たくさんの男と握手、写真を撮ることに。

ようやく私の元に運ばれてきたラグマンは、一人の男がお代を払ってくれ、更にはお小遣いまでくれる男まで現れた。
さすがにそれは受け取れないと固辞したのだが、男は小遣いを私の手に握らせ、さっさとチャイハネを去ってしまった。

ウズベキスタンの男達は、気の良い人が多い。
紳士的で、旅行者を特別もてなしくてれる。
これは、イスラム教の教えである「喜捨」によるものだろう。

イスラム教は、一部過激派のためにどうしても悪いイメージを持たれがちになる。
しかし実際に接してみると、世界で最も高潔な宗教の一つであるということを感じることができる。

スパシーバ、ドルーグ。(ありがとう友達)

(走行ルート:Shang’irlik→Yelabad→Yelabad北西130km)

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