消えた海・アラル海〜Shang’irlikまで

Qo’ng’irot北26km~Shang’irlik
10/10 (1064days)
昨日は追い風に押され、順調すぎるくらいに距離を重ねる事ができた。
この日朝、風に揺すられるテントの天井を見上げながら目が覚めた。風はかなりの強さで、ポールがしなってギッギッと音を立てる。
こうして目覚めた時に風が吹いていると、「どうか追い風であってくれよ」と願いながら、テントの入り口を開けるのだ。
この日はその願い虚しく、進行方向に対して向かい風だった。
こりゃあ今日は骨が折れそうだ…と、がっくりきながら朝食を作り、テントの中で食べる。
朝食を食べ終えて出発準備を済ませた頃には、風は更に勢いを増していた。
げんなりする気持ちを何とか奮い立たせ、8時過ぎに向かい風に向かってエイヤっと自転車を漕ぎ出す。
走り出して数分後には、奮い立たせた心は穴が空いたゴムボートの様に、プシューっと音を立ててなびていた。
向かい風が猛烈で、平坦な道なのに時速10kmも出ない。
自転車は一漕ぎすれば、惰性である程度進む乗り物だ。しかし風が強すぎて、ペダルを漕ぐ足を止めればその瞬間にピタッと止まってしまう。
私はこの猛烈な風を体に浴びながら、カヤックで川下りをしたカナダのユーコン川を思い出した。
アラスカとカナダを跨いで流れる大河・ユーコン川は流れがゆっくりで、カヤックの上で居眠りしていたって勝手に進んでくれ、穏やかな川旅を楽しむことができる。
しかしいざその流れに逆らって上流へペダルを漕ごうしても、カヤックは全然進まずに下流へ流されていく。
必死にパドルで水を掻いて、蟻が這うくらいの速度で進む事ができる。
流れはゆっくりに見えていても、圧倒的な水量は巨大なエネルギーを持っているのだ。
今朝の風も、台風や嵐と比べれば大したことはないかもしれない。
しかし遮蔽物が一切ない砂漠に吹く風は、「重たい」のだ。
実際はどうか分からないが、圧倒的な量の風が壁の様になって、それを必死に自転車で体当たりして押している感覚を覚える。
昨日は爽やかだった風に靡くすすきの音が、今日はとても恨めしい。
必死になってペダルを漕ぐと、どうしてもお腹が空いてくる。
しかしこの風の中でコーンフレークを準備しても、食べる頃には大量の砂のトッピングがサービスされていることだろう。
昨日買い足したクッキーで、どうにか当座を凌ぐ。
40キロ程走って、ようやくこの日初めての遮蔽物となるバス停を発見。
その影に隠れて、ようやく昼食にありつくことができた。
しかしコーンフレーク程、味気なくてつまらない食事はない。
合理的な欧米人が考えた、いかにもアメリカンなしょうもない食事だ。
パッケージは腕組んだ変な虎だし、生産者の顔は見えてこないし、人生最後の食事には絶対したくない。
昼食以降は、ちらほらと民家が現れだし、チャイハネも一軒だけ見つけることができた。
しかしこんな所にチャイハネで食事をする人間がいるのかだろうか。何を生業にして生きているのだろうか。
目指すモイナクの町の手前10キロくらいで、驚く光景が目に入ってきた。
ー海だ。
これがアラル海に違いない。
モイナク周辺は完全に干上がっているとばかり思っていたが、僅かながらアラル海は現存していた。
しかしやはり殆ど枯れているのだろう。
砂漠と水草が浸食している様は、海が禿げ上がったかのようで、とても痛々しく目に映る。
海を眺めながら進んでいると、海面を歩いている人間がいてギョッとした。
現代のイエス・キリスト!?
でも見た目は長靴履いて、袋を持ったおっちゃんだ。そして彼一人だけでなく、他にも何人かの男が、海面を歩いていた。
貝か何かを拾っているのだろうか。
水深はどうやら踝辺りまでしかないようだ。
アラル海が見えてからすぐ、モイナクの集落の入り口に到着した。
看板には魚のマーク。
今でも魚は獲れるのだろうか?それとも昔の名残として、看板を残しているだけなのか…
ちなみに後日談になるが、砂漠に張られた警察の検問に引っかかった時。
質疑応答を終えて雑談となり、私が「モイナクに行った」と言うと、警官は”魚は食ったか?”と聞いてきた。
食ってない、と答えると “オーノー”と顔に手を当てて天を仰いだ後、”モイナクに戻って食ってこい!”と言われた。
どうやらまだ魚は獲れるらしく、しかも名物のようだ。勿体無いことをした。
モイナクの町はこじんまりとしているが、ゲストハウスの数は結構ある。
道路には工事が入り、家屋の建築現場もよく見たので、これから観光業を盛り上げようとしているのかもしれない。
町の奥に入り、筋を一本折れた所に、目的の場所はあった。
しかし、そこにはやはり何もなかった。
地平線の彼方まで広がる、終わりの見えない広大な砂漠。
この砂漠全てがかつてのアラル海であり、人間によって破壊された自然の成れの果てである。
かつてこの砂漠全てが水に満ち、空との境界線も分からないくらいいっぱいの青色で、視界は埋め尽くされたのだろう。
砂漠には鉄屑となった船が数隻、取り残されている。
急速に干からびたアラル海から逃げそびた哀れな船たち。
かつてアラル海の湖底だったこの砂漠は、今は “船の墓場” と呼ばれている。
砂漠に入り、船に近づいてみた。
貝の破片と思われる物が散見され、かつて海だった名残を残している。
船は外側こそ残っているものの、内部のエンジンや機械類は持ち運ばれたのか空っぽだ。
その様は火葬された人間の骸骨を、私に想起させた。
別の場所に移動すると、アラル海歴史博物館があった。
博物館は残念ながら営業しておらず、展望台から砂漠を眺める。
ここにもやはり、船の残骸が横たわっている。
展望台にはモニュメントがある。
アラル海の年代別の海面減少推移が表現されている。
これがいつ作られた物か分からないが、現在の海面は1960年代の30%程しか残っていない。
漁業などで人々の生活を支えたアラル海は、その大半が消え失せた。
その消えたはずのアラル海に縋り、今度は観光地としてモイナクの人々は生き延びようとしている。
この地に暮らす人々とアラル海の繋がりは、まだ切れていないのだ。
私は複雑な気持ちを抱きつつ、モイナクの町を離れた。
モイナクからは来た道を100キロ戻り、メイン道路に合流しなければならない。
モイナクから20キロ走り、往路に見つけたチャイハネに頼み、敷地内にテントを張らせてもらった。
晩ご飯はチャイハネで、焼き鳥を注文。
魚料理は、なかった。
(走行ルート:Qo’ng’irot北26km→Moynuq→Shang’irlik)