1000キロの砂漠地帯への準備〜Nukusまで

Xiva~Nukus
10/7~10/8 (1061~1062days)

10/7

旧市街地全体が世界遺産として認定されているヒヴァだが、その規模は非常に小さく、半日あれば十分見て回ることができた。

一日休養を挟もうか考えたのだが、宿泊したゲストハウスはキッチンがないし、ダラダラとネットで遊ぶだけになるのが目に見えたので、出発することに。

旧市街地は城壁に囲まれており、城門が東西南北にそれぞれ一つずつある事は、前回の記事で触れた。

私がヒヴァを抜けるのに選んだのは東門、通称 “奴隷の門”。
この門の側に中央アジア一の規模を誇る奴隷市場が存在していた事が名前の由来である。
当時買い付けられた多くの奴隷は、この門を潜って旧市街地へと入った事だろう。生涯奪われる自由に対する絶望感を感じながら。

それなら私は逆に東門から出る事で、自由への逃避行をきめてやる!という、今考えるとよく分からない理由で、東門からヒヴァを抜けたのだった。

ヒヴァを抜けた後は水田、芋畑、綿花畑ばかりで、退屈そのもの。
ウズベキスタン南部に山は全くなく、起伏すらないド平坦な道が続く。

ヒヴァへはメイン国道から外れて位置しており、わざわざローカル道路を走って訪れた。
北西へ向けて走る今も、メイン国道へ合流するまではローカル道路を走らなければならない。
故に路面状態を心配していたのだが、アスファルト舗装はしっかりされており、風景は退屈ではあるもののその点は安心した。

ヒヴァから40キロ程走り、バス停で腰掛けて昼休憩を取る。
中央アジアの主食といえば、ナン。
円形にふっくらと膨らんだパンで、おかずが麺類だろうが米類がこれと合わせて食べる。

放牧が盛んな中央アジアでは上質な牛乳が取れるためか、このナンが非常に美味しい。
特にウズベキスタンのサマルカンドで買えるナンは、程よい硬さの中にもっちりとした柔らかさ、そして光沢を放つ見た目は芸術品の様で、絶品だった。

しかしヒヴァ以降は、このナンに変化が現れた。
円形のナンではなく食パンが主流になり、円形のナンは殆ど見ないか、あっても薄っぺらいインドのナンの様になった。
ウズベキスタンは東西に長い国であることと、今でこそ道路が通っているもののかつては都市間を移動するのが困難だったと考えると、都市によって文化がはっきりと変わるのも頷ける気がする。

ヒヴァから走る事80キロ、大きなゲートが現れる。
このゲートの先は、カラカルバクスタン共和国となる。
しかし国境があるわけではなく、あくまでもウズベキスタン国内で自治を認められた地域、イタリア国内のヴァチカン市国の様なものと思ってもらえば分かりやすいだろう。

ゲートを潜った後も風景に変化はないのだけれど、路面状態が明らかに悪くなった様に思う。

ゲートから更に30キロ走った所に集落があり、レストランに頼んで敷地内にテントを張らせてもらう。

自転車旅行者なんてほとんど来なくて珍しいのか、テントを囲んで数人が、私が料理している様を眺めている。
この日はサマルカンドで買ったスパイスでカレーを作っており、少しずつ味見をさせて上げたら、美味しいと言ってくれた。

10/8

野宿させてもらった集落から8キロ程走ったところに、川が現れた。
川に積み上げたタイヤの上に鉄板を載せただけの粗末な橋を渡り切ると、メイン国道に合流する。

本線に合流してからは集落や農地は一切なく、辺りは砂漠が延々と続く。

お昼時になり、路肩でパンでも食べようかと思ったのだが、何故かこの辺りはハエが多い。
少しでも立ち止まろうものなら、結構な数のハエが顔や腕に纏わりついてくる。
流石にこの状況でパンを食べる気にはならず、仕方なく先へと進む。

そうこうしているうちに、Nukus(ヌクス)に到着してしまった。
ヌクスはカラカルバクスタン共和国の首都で、こじんまりとはしているものの、3階建以上のビルがあり、一応都市の体裁は保っている。

13時と早い時間にヌクスに着き、ゲストハウスに投宿した後はのんびりとはせず、市場へ急ぐ。
ヌクスの市場は活気凄まじく、人の歩く足音、店の呼び込み、店と客の値段交渉のやり取りが入り混じり、さながらライブ会場の様な賑わいである。

市場を歩き回り、5日分の食料を購入。
普段なら朝夕しか自分で用意せず、昼食はレストランで食べる事が多いが、今回は昼食分も自分で用意しているので、かなりの重さだ。
水も合計10リットルを積み込んだので、食料だけで15kg以上の重さになる。

なぜこれだけの準備をするかというと、ここヌクスからカザフスタンの最初の町・Beynew(ベイネウ)までの530キロは、砂漠が延々と広がる無人地帯となる。
手持ちの紙地図にも、集落は一切表記されていない。

またベイネウ以降も、カスピ海を渡るフェリーが出る港町・Kylbik(キルビク)までの600キロ、これも砂漠広がる無人地帯である。

実に1,100キロにも及ぶ砂漠地帯がこのヌクスから先待ち受けているのだ。
多くのサイクリストは、この1,100キロ区間を鉄道を使って飛ばしている。
中央アジアでは数え切れない数のサイクリストと出会ったが、私と逆方向から来たサイクリストでこの無人区間を自走したのは、二人くらいしかいなかった。

1,100キロの区間、発狂するかもしれない程退屈な風景が広がっているはずであり、鉄道を使いたくなる気持ちは十分理解できる。

しかし自転車を使って旅行している以上、私は自走に拘りたい。
特別な事情がない限り、そこに道があって走る事ができるなら、自転車で走り切りたい。
退屈な道はバスや電車などで飛ばし、良い所どりというスタイルで走るなら、何も仕事を辞めてまで自転車旅行をしなくていいわけで、長期休みの度に日本から飛行機で来て走ればいい。
ここら辺はそれぞれに考えがあり、何が正解という訳ではないが、一応私はこういう拘りを持っている。

買い込んだ食料を鞄に無理やりギュウギュウ詰め込み、自転車を持ってみると、今まで感じた事ない重みになってしまった。
南米のボリビア〜チリ間の無人地帯でもかなりの食料を積んだが、ここまで重かった記憶はない…

果たして、無事にカザフスタンを抜けて、カスピ海まで辿り着けるだろうか…

(走行ルート:Xiva→Qipchak→Nukus)

コメント

  1. 懐かしい、、、、、。僕もそこ走ったよ(カザフからだけど)。 カザフ国境からヌクスまでが暑さに加えて、路面状況が悪くて泣きそうでした。  辛い思いをした場所が、一番懐かしく思う場所ですねー。もう一度行きたいよ。
     

    1. コメントありがとうございます。
      僕の走った時は暑さはそこまででは無かったのですが、とにかく路面状況に苦しめられました。
      重量に加えての悪路で、この4年間一度も折れなかった程強固だったリアキャリアが折れたのには、戦慄しました。
      僕はここには自転車ではもう二度と行きたく無いですね笑
      でも、辛い思いをした場所が思い出に色濃く残るのは、わかります。
      僕はいつかもう一度、タジキスタンの山岳地帯にもう一度行きたいです。
      あの砂と汗に塗れ、フルパッキングの自転車を引き摺って進んだ地獄に、もう一度行きたいと感じるなんて、自転車旅行者とは業が深い生き物です。

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