LOCKDOWN/非常事態宣言〜スペインからの脱出①

※読者の皆様へ
いつもご覧下さり、ありがとうございます。
SNSではご報告していたのですが、新型コロナウィルスの影響で3月中旬、スペインから日本に帰国致しました。
帰国後は自主隔離として、実家のある大阪ではなく県外にて2週間を過ごしました。
自主隔離期間を終えた今も、実家には戻らず、単身県外で過ごしております。
昨日2020年4月7日、安倍首相が大阪を含む7都府県に緊急事態宣言を発令しました。
宣言の発令は時間の問題と思っていましたが、いざ発令されると「日本は正に土俵際まで追い詰められたのだ」という事を、実感させられました。
日本に帰国したにも関わらず、緊急事態宣言下にある大阪に両親祖父母、兄とその家族を残して一人ぬくぬくと安全な場所にいる事は、とても情けなく歯痒い思いをしています。
今はただ、この世界を大混乱に陥れている感染症が一刻も早く収束し、私自身も、そして読者の皆様もご家族ご友人と無事に再会できる日がくる事を、願うばかりです。
当ブログはウズベキスタン走行時を更新していましたが、非常事態宣言下にあったスペインを出国した時の緊張感やギリギリ感が、私の中で薄れる前に書き記しておきたかったので、出国までの数日間を先んじて記事に致します。
2020年3月14日
「新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、本日よりスペイン全土は、首相による緊急事態宣言発令を受け、ロックダウンされます」
いつもの様に朝食を食べ、テントを撤収し、自転車に荷物を取り付ける。
いざ走り出す前にスマートフォンを確認した時に飛び込んできた、ロックダウンのニュース。
この瞬間に、私のユーラシア大陸横断は終わりを余儀なくされた。
随分と更新が遅れている当ブログではあるが、直近の更新分であるウズベキスタンからのルートをざっと説明させて頂くと、
カザフスタン→アゼルバイジャン→ジョージア→トルコ→ギリシャ→イタリア→フランス、そしてスペインと走ってきた。
スペインは沿岸部を走り、バルセロナ、バレンシアと訪れ、今は内陸に舵をとってシウダーレアルを過ぎた辺り、ちょうどスペイン国土のど真ん中を走行中だった。
お正月をトルコで迎え、フェリーを使って1月10日にEU圏内のギリシャへ入国。
その後はイタリア南部から北上し、ヨーロッパでのサイクリングを満喫していた。
ヨーロッパでの最終目的地はポルトガルのロカ岬。
ロカ岬はヨーロッパ最西端のポイントであり、中国からユーラシア大陸横断を目指して走ってきた私にとっては、一つの区切りとなる場所となるはずであった。
そこへ、今朝の非常事態宣言のニュース。
ロカ岬まで、残り僅か600キロの出来事だった。
この非常事態宣言が出される数日前から、この先の身の振り方について、かなり悩んでいた。
当初予定だと、ロカ岬に到着した後は南下し、スペインから出るフェリーに乗ってモロッコに入るつもりだった。
しかし3月13日に、モロッコ政府はスペインからの渡航者の入国を禁止する処置を発表。これにより、船によるモロッコ入国の目は潰えた。
この頃になると、新型コロナウィルスは首都マドリードを中心に感染が拡大しつつあり、イタリアと同じ様にスペインで緊急事態宣言が出されるのも時間の問題だろうとは、私も思っていた。まさかその翌日に発令されるとは思っていなかったが…。
私に残された選択肢は、緊急事態宣言が出される前までは、いくつかあった。
①ポルトガルのリスボンから飛行機でモロッコへ
②リスボンから飛行機で長期滞在が可能な国へ(ジョージアが第一候補)
③一時帰国
以上が、私が考えた選択肢である。
①の場合。
少し前からモロッコ政府は国境での検疫を強化しており、過去2週間の渡航歴によっては入国後に隔離措置を取られる様になっていた。
前述の3月13日の措置に伴い、スペインも検疫対象国となった。
私はまず間違いなく検疫対象者であり、隔離されるはず。
そして更に恐れたのが、西アフリカ諸国の国境が閉鎖されること。
アフリカは医療レベルが低いことから、新型コロナウィルスが蔓延した場合、想像を絶する地獄になる事は容易に想像できた。
西アフリカ諸国ができるのは、ウィルスの流入を何としても阻止する事のみ。
そう考えると、隣国間の国境閉鎖は、近い内になされるだろう。
モロッコでの隔離期間を終えても、走行継続は難しいと思えた。
②の場合。
正直、新型コロナウィルスによるパンデミックが短期間で収束するとは、私には思えなかった。このまま走行を継続しても、恐らくどこかの国で国境閉鎖で立ち往生することになるだろう。
それなら、どこかの国で長期滞在し、収束を待つのが良い。その第一候補に上がったのが、ジョージアだ。
ジョージアはトルコの東に隣接する小国で、自然豊かな美しい国だ。物価も安く、なんといっても日本人はノービザで最大1年間も滞在できる。首都のトビリシには日本人宿があり、居心地が良くて10月に訪れた時は2週間も沈没してしまった。
しかし、この頃ジョージアは既に外部からの入国を厳しく規制し始めており、トルコから来た邦人が入国を拒否された…という話が流れてきた。
また、新型コロナウィルスによる恐れから、アジア人への差別も見られるようになってきた…と、ジョージア滞在中の日本人自転車旅行者から聞かされた。
この分だと、ジョージアに入国は難しいだろう。
だがジョージアに拘らなければ、どこかまだ規制が掛かっていない国もあるだろう。
例えば、東アフリカではどこかの国が国境を閉鎖したという情報は、今のところない。新型コロナウィルス感染者が発生していない国がほとんど。
リスボンから飛行機で東アフリカへ行き、南下して南アフリカを目指すなら、ちょうどヨーロッパからの感染拡大から逃げる形にもなる。
③の場合。
これは私とっては、望ましくない選択肢だ。
今でこそヨーロッパの方がパンデミックの渦中だが、少し前までは日本は感染リスク国として看做され、多くの国が日本からの入国を制限、もしくは拒否している。一度帰国すると、今度いつ日本を出国できるのか目処が立たない。
走りながら吟味した結果、②の選択肢が最善だろうと考えた所での、今朝のスペイン非常事態宣言、ロックダウンである。
「今すぐ来た道を戻り、バレンシアへ戻ろう。」ニュースを見て、即座に決断した。
首相がスペイン全土ロックダウンを宣言した前夜で、効果を発揮するのは今朝から。ということは、もう既にポルトガル国境は封鎖されているだろう。もうスペインを脱出するには、飛行機しかない。最寄りの国際空港は、バレンシアだ。
しかし同時に重大なニュースも飛び込んできた。非常事態宣言を受けてスペイン各州の知事達が、それぞれの州にある空港の閉鎖を中央政府に申請している…というのだ。
どうやらロックダウンされても、即座に空港が閉鎖されることはないようだ。しかし、それも時間の問題に思われた。とにかく今はただ、バレンシアを目指して足を動かす以外にできる事はない。
バレンシアから昨晩の野営地までは4日間掛かった。行きは上りが多く、向かい風だったが、それを味方に付ければ3日間で到着できるかもしれない。何とか、空港のロックダウンに間に合ってくれれば…。
また心配なのは、空港が開いていたとしても、飛行機が飛ぶのか。
3月11日、アメリカ合衆国大統領・トランプは「3月13日深夜をリミットに、欧州からアメリカ合衆国への渡航を30日間停止する」と宣言した。
この宣言を受けて、既にパンデミックになっていたヨーロッパから、アメリカへ脱出しようと多くの人が空港へと押し寄せた。
空港はパニックになり機能は混乱、多くの飛行機が大幅な遅延やキャンセルになったと、メディアは報じていた。
今朝は3月14日。既にそのリミットは過ぎており、空港の混乱もピークは過ぎただろうが…
そんな重々しいバレンシアへの帰路を、更に憂鬱とさせている問題がある。それは、バレンシア以降受けてきた、地元民によるアジア人差別だ。
新型コロナウィルスの発源地は、中国の武漢と言われている。そして旧正月での中国人達の海外旅行に乗って、世界中に拡散されたという。
「このパンデミックの元凶は中国だ。」とする意見が日本語問わずSNS上で多く見受けられ、世界各国でアジア人差別が起き始めている…とは、私がフランスにいる頃辺りから言われていた。
幸いな事に私はそうした差別を受ける事なく、バレンシアまでは走る事ができていた。
しかしバレンシア近郊で、遂に私もその差別を受ける事になった。
最初の事例は自転車で街を抜ける時で、少年が “コロナウィルス!” と私に向けて叫んできた。英語と日本語だと発音が大分違うので最初はピンと来なかったのだが、少しして「なるほど、これがアジア人差別か」と気付いた。
この時は「まぁそういう人もいるよね」と、そこまで気にしていなかったのだが、それ以降、複数回こうした差別を受けることになった。
一番傷ついたのは、レストランに入ろうとしたら、私の目の前でドアが閉じられ、内側から鍵を掛けられた事だ。もちろん営業時間中で、閉まる時間ではなかった。
これまで旅行をしてきて、悪意のある差別を受けるのは、これが初めてのことだ。中南米をはじめとする途上国で、「チャイナ、チーノ(中国人)、ニーハオ」と言われる事はたくさんあった。
当時は随分と苛立ちを覚えたが、今思うとこれは全く差別に当てはまらない。ただ見分けが付かないだけのことだ。
私達日本人だって、白人がどの国の人か全く見分けが付かないし、声を掛けるならまず「ハロー」と声を掛けるだろう。
しかし今受けているのは明らかな差別行為であり、小中学生がよくやる「バイ菌扱い」のいじめに等しい。
自分の名前も呼ばれず、人扱いもされずにバイ菌扱いされる。非常に心が傷付いたし、更にこれが先進国であるスペインで起きていることが、そのショックにさらに拍車を掛けた。
当初こそ、コロナ扱いしてくる奴に中指を立て返したりしていたが、反応するだけ喜ばせるだけだと思い、止めた。
そうなると自分の心の中でグッと堪えることになり、発散させる矛先がなくなる。フラストレーションがどんどん溜まり、心がが疲弊していく。
ぶん殴ってやろうと思う事は何度もあったが、それをすると私が犯罪者として裁かれることになるのだろう。理不尽にもほどがある。
そういう事が重なるにつれて、段々とスペイン人と会うのが怖くなってきた。いつ「コロナ」と言われるのかに怯え、「スペイン人は全員レイシストでクズ野郎だ」と思うようになり、「スペイン人とは二度と話さない」という結論に至った。
差別をしてくる人間は一部かもしれない。全員をレイシストと捉えるのはあまりに幼稚だという事も分かる。
しかし、誰とも話さない事が、精神衛生上今できる一番の自衛手段と私には思えた。
スーパーマーケットで買い物をしている時も、客や店員と目が合わないように顔を伏せ、用が済むと逃げるように店を出た。
これらの差別を受けることになったのはバレンシア以降のことであり、つまり今からその差別を受けてきた街を再び走り抜け、バレンシアに戻らなければならない。
また差別を受けるかもしれない。そう思うと、とても気が重かった。
しかしバレンシアに戻って飛行機のチケットも確保できたとして、フライトまでの滞在先はどうしようか。スペインのロックダウンはかなり強力で、食品と日用品店以外は全て営業停止されている。ホテルも営業停止されるという話だ。
そしてフライトに必要な自転車用ダンボールも、自転車屋が開いてないと入手ができない。考えるほど、スペイン脱出は絶望的に思えてきた。
こうなっては、スペイン人に助けを乞うしかない。
インターネット上には、Warmshowers(ウォームシャワーズ)という、自転車旅行者の相互支援コミュニティが存在する。メンバーがお互いホストやゲストとして登録しており、自宅での短期の宿泊を援助し合う…という事を趣旨としたコミュニティである。
今の状況でゲストを受け入れてくれるか分からないが、一旅行者がどうこうできる事態ではない。バレンシア在住のホストに、S.O.Sとして、「スペインを脱出したいこと、フライトまで宿泊させてほしいこと」をしたためて送信した。
すると、15分もしない内に返信をくれたホストがいた。
「君を助けたい。これは非常事態だ。とにかくバレンシアに来て、うちに泊まるといい。」
そう言ってくれたのは、バレンシア在住のホスト、ペペ。
よかった、地獄に仏とは正にこの事だ。3日後にバレンシアに到着すると伝えると、「2日後はバレンシアは強い雨の予報だ。バスか電車で移動して、今日中にバレンシアに到着した方がいい」とのこと。
ペペは素早く情報収集してくれ、「今日の電車は自転車用のスペースが既に売り切れている。バスに乗るべきだ」と助言してくれた。
現在地から最も近い長距離バスが出る町は、Manzanares。距離はわずか10キロほどだ。
Manzanaresまでは、高速道路沿いの道を走っていく。行きはあれだけ多くの車が高速道路を行き交っていたのに、今は一台も走っていない。
追い風に乗って、Manzanaresには1時間も掛からず16時前に到着することができた。バス停へ行くと、「バスは16時に出る。でもバレンシア直通はないぞ。ALbacete(アルバセテ)が終点で、そこで乗り換える必要がある。」
他に選択肢はない。アルバセテには18時着とのことで、十分乗り継ぎは可能だろう。チケットを購入して自転車をバスの荷台に詰め込んで座席に着くと、バスはすぐに走り出した。大型サイズのバスに乗る乗客は、私を含めて4人しかいない。
バスの中でも、新型コロナウィルスに関係する情報を収集する。しかし、入ってくる情報は悪いものばかりだ。
取り分け私にとって悪いものは、東アフリカのエチオピアでちょうど今日、国内初の感染者が出たことと、それが滞在していた邦人であるというものだ。
東アフリカでも感染拡大が始まりつつあることは、前述の私の計画に大きく影響を及ぼす。しかも邦人が新型コロナウィルスを持ち込んだことで、アジア人への風当たりは非常に厳しいものとなるだろう。
ウィルスそのものへの罹患もそうだが、それにパニックを起こした人間による襲撃を、私は恐れいている。特に後進国では、元々良くない治安が更に悪化する可能性が高い。
このバス車内で、私の腹は決まった。
「日本に帰ろう。」
ユーラシア横断、アフリカ大陸縦断をもって、この自転車世界一周は完結となるはずだった。後一年ほどで最終ゴールである南アフリアの希望峰に到達…という予定だった。それが今、唐突な、そしていつ再開できる分からない中断を迎えることになるとは、想像もしていなかった。
余りにも唐突すぎて悲しみや失望感はなく、ただただ虚無感に包まれる中、バスはアルバセテに定刻通り到着した。
アルバセテのバス停で早速バレンシア行きのチケットを購入しようと思ったのだが、自転車は袋か箱に入れないとバスを利用できないと言われてしまった。バス会社によって規定が違うらしく、袋なしで自転車を載せられるバスは、2日後になるとのこと。
ペペに助言を求めたところ、すぐに調べてくれ、翌朝9時に自転車のスペースがある電車のチケットを抑えてくれた。そして今晩まではホテルが営業しているとの事で、アルバセテのホテルの一室を予約してくれた。翌朝、全客のチェックアウトをもってしてホテルは営業を停止するらしい。
本当に、ペペに助けを求めてよかった。頭が上がらない。
(※お金はもちろん出会った時に支払いました)
やや高めのホテルだったので、部屋にはバスルームが付いている。
久しぶりに浴びた暖かいシャワーはしかし、体は温めても不安になった心を解してはくれなかった。