ウォッカのように〜Xivaまで

Bukhara西95km〜Xiva
10/2~10/5 (1056~1059days)

砂漠の夜明けは、相当に冷え込む。
灼熱の昼間との大きな温度差は、放射冷却によって引き起こされる…という事は、多くの人が承知のことだろう。

なお、私は放射冷却がどういう現象なのか、全く理解はしていない。
ただ理解しているのは、これから先、毎朝寝袋から抜け出るのが億劫になるのだな…ということである。

私の場合、朝起きてまずすることは、テントの入り口を開けて自転車のタイヤをチェックすること。
テントを撤収して荷物をまとめ、さぁ自転車に取り付けて走り出すぞ!いう時にパンクが発覚すると、チューブからプシューっと空気が抜けるのと同じ様に、やる気も一気に萎えるのだ。

その点、朝起きてすぐパンクが発覚しても、「あぁパンクしてる…まぁ飯食ってから修理するか」と、ある程度そのショックを和らげることができる。

この日もまず、そのルーティンをこなさなければならない。
しかしこの寒さで寝袋から出たくはないので、テントの入り口を開け、寝袋から腕だけをグイッと伸ばしてタイヤに触れる。
後輪の手触りが若干だが柔らかい。
しかしパンクにしては、空気がずいぶん残っている。

何故だろう。
標高4,000メートルから標高100メートルまで降りてきたから、その気圧差とか?
そんなこと起こるのか?
まぁ、朝食食べてから考えようか…

朝食を食べ終わってもう一度タイヤを触ってみるが、やはりパンクというには固すぎる。
スローパンクという、穴が小さくゆっくり空気が抜けるパンクもあるのだが、それでももっと空気は抜けるはずだ。

取り敢えず修理はせず、空気だけ入れて出発する事に。

さて、貴重な冒頭部分を割いて、パンクしたのか否かという、どうでもいい話を長々と書いた。
よく本を読む人なら、「このパンク疑惑が後々の布石となって、この記事の落ちになるのだな」と察してくれるかもしれない。

しかし今回に限っては、このパンクの話に落ちはないし、なんの布石にもならない。
朝に空気を入れてからは、一切パンクをせずにウズベキスタンを走り抜けた。
落ち無し意味無し、本当にどうでもいい話だったのだ。

では何故そんな話を…というと、そんなどうでもいい話を長々と書かないと記事が成り立たないくらい、ヒヴァまでの4日間の道中何も無かったからである。

ひたすら砂漠。

ただただ砂漠。

たまに海。

たまに電車。

エゲツない程劣悪な路面状態。

ヒヴァ到着の日にようやく緑が再び現れた。

そんな感じで4日間のうち3日間は、ひたすらに砂漠を走っていたのだ。
だから走っている道中の印象なんて全く残っていないし、写真すら撮っていないので、書くことが何もない…

書くことが何もないというのは、ブログ筆者にとってこれ程辛いことはない。
だって、記事にしようがない。
どんな風に記事にしようか…そんな感じでうーんと悩んでいる内にどんどん後回しになり、ブログとリアルタイムのラグが半年もある…という現在の体たらくになったのである。
そう、今のブログ更新の停滞はまさに、この砂漠のせいなのだ。

決して偶に泊まるホテルでブログを書かずに散々ネットサーフィンしてたからだとか、日本人宿で酒ばっかり飲んでたとか、そういう理由ではないという事は、ここで声を大にして申し上げたい。

全ては、この砂漠のせいなのだ。

ちなみにそんな砂漠でも、ちょっとくらいは面白いイベントもあったり。

2日目に昼食で入ったカフェで出会った、ウズベキスタン人の徒歩旅行者。
彼はなんと徒歩でウズベキスタンを横断中という猛者で、この数百キロに及ぶ砂漠ももちろん歩いて突破するのだとか。
昔はKー1のファイターだったそうで、大きな体で非常に逞しいので、確かに彼ならやり遂げられそうである。

彼は数日間このカフェで泊まっているそうで、お互いの英語があまり堪能ではなく私の理解が完全に合っているか分からないが、’飛行機が撒く農薬にやられて、ぶっ倒れてしまい、ここで休んでいる’と言っていた。

昼食に出された生焼けのチキンを突きながら、彼と話す。
その内に話が盛り上がり、’今日は夜中にウサギ狩りするから、お前もここに泊まれ’ ということに。

最初は断るつもりだったのだが、洗い仕事を終えたカフェの女将がウォッカを机にドンっと置き、いつの間にか酒盛りが始まった。
もちろん私も強制参加である。

ウズベキスタン流の酒の飲み方なのか、ウォッカとコーラが机に用意される。
まずウォッカを一気飲みし、コップが空になればコーラが注がれる。
そしてそのコーラを一気飲みし、またウォッカが…
さすがウォッカ原産国・ロシアの傘下だった国だけあって、このウォッカが飲みやすい。

その内に、ウサギ狩りへ行くためのトラックを出してくれる親父がカフェに来て、酒盛りに参加。

いくら飲んでも気持ち悪くならず、スルスル飲めてしまう。
私、徒歩旅行者、女将、親父でガハガハ笑いながら飲んで、女将は上機嫌にボトル二本目まで出してくる始末。

…意識を取り戻したのは、夕方16時。
横には大イビキをかいて寝ている親父が。

途中の記憶が全くない。
いきなり眠ってしまったのか?体には毛布が掛けられている。

徒歩旅行者はピンピンしていて、’おう、起きたか。親父があのザマだからウサギ狩りは中止だ。晩は俺がシャシリク(肉の串焼き)を焼いてやる’ と声を掛けてきた。

…ダメだ、体が言うことを効かない。
…また眠りに引きずり込まれる…

………
……

次に目が覚めたのは20時。
その頃には親父も起きていて、徒歩旅行者と女将と一緒にシャシリクを焼いている。

私も何とか動ける様になっていて、そこへ混じってシャシリクを食べ、その後は一緒にダンスを踊った。
みんなダンスが特別上手いわけじゃないし、ドアを開け放った車のカーステレオから大音量出流す音楽に乗って、各々適当に飛んだり跳ねたりしているだけなのだけれど、何だか愉快でずっと踊り回っていた。

翌朝。
流石本場のウォッカ、全く悪酔も二日酔いもなく、スッキリした目覚め。
徒歩旅行者とガッチリと握手をし、女将にも礼を言い、出発。

いやはや、何とも気持ちの良い連中だった。
再び走り始めた砂漠は、まだ早朝で涼しくて、体に受ける風も爽やかだ。
そう、揮発したアルコールが鼻をスーッと抜けていく、ウォッカの様に。

(走行ルート:Bukhara西95km→Bukhara西145km→Saimory→Tortkul→Xiva)

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