≪世界遺産≫ブハラ旧市街地

Bukhara
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‘ーブハラでは光は地から射し、天を照らす’
かつてはそう称えられる程、イスラム世界の中心として栄華を極めたブハラ。

13世紀にチンギス・ハンによって壊滅させられたのだが、その後ティムール朝によって再興し、16世紀にはシャイバニ朝の都として栄えた。

ブハラの象徴といえば、やはりカラーン・ミナレット。
旧市街地のどこからでも見通せるこの塔は、事実ブハラの建造物で最も高く、その高さは46メートルにもなる。

1127年に建造されたこの塔は、毎金曜日、この塔の上からイスラーム教徒に祈りを呼びかけるのが本来の役割だった。

しかしその役割は時として代わり、ある時は見張り台、ある時には処刑場として囚人を塔から投げ落としたという。
残されている記録としては、1884年までこの塔での処刑は続いたのだとか。

ミナレットに接続しているカラーン・モスク。

カラーン・モスクの対面にある、ミル・アラブ・メドレセ。
こちらは今なお現役の神学校らしい。
ちらっと中を覗いたが、生徒らしき若者ばかりで観光客が入っていいのか分からず、外だけ眺めることに。

こちらもブハラを象徴する建造物、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。
1622年建造の神学校。
アーチには二羽の鳳凰が白い鹿を爪で掴み、太陽に向かって飛んでいる絵が描かれている。
太陽には人面が描かれており、これはサマルカンドにあったシェルドル・メドレセ同様イスラム教の偶像崇拝禁止のタブーを犯している。

イスマイール・サーマーニー廟。
こちらは中央アジア最古のイスラム建築で、892〜943年の間に作られたという。
チンギス・ハンの侵攻による破壊を免れ、奇跡的に現存している。

非常にこじんまりとしており、内部も慎ましい。
蜂の巣状になった窓から日が差し込み、光と影のコントラストが美しい。

アブドゥル・アジスハーン・メドレセ。
宿から近かった関係で、ブハラで最初に訪れた建物。
入場料に9000スム支払い、レシートを見たら4000スムと入場料ぼったくられたのであんまり良い印象ない。
まぁぼったくられたと言っても日本円で50円に満たないので、特に何も言わなかったけど、入場料徴収してるのが土産屋のおばさんなのであり、そんな所で土産を買う気にはなくなるわな。

中はちょっとした展示スペースがある他、中庭は土産屋が並んでいる。
サマルカンドでもブハラでも、世界遺産に登録されているメドレセ内で出店してる土産屋が多くて、ちょっとびっくりする。
それも地面にござを敷いて出店とかではなく、メドレセには小部屋がたくさんありそこに出店しているのだ。
博物館でよくあるようなオフィシャルの出店という感じでもなく、中には職人が革製品や陶器を作っている店もある。

もちろん建物の保全とかはするんだろうけど、先進国だとあまり考えられない光景ではある。

タキ・バザール。
16世紀当初は多民族がこのバザールで専門店を開き、ここにさえ来れば見つからない物はない、というくらいに栄えた…と、地球の歩き方には記載されている。
私は活気に溢れた市場を歩くのが好きなので、このタキ・バザールは来訪を一番楽しみにしていたのだが、滅茶苦茶こじんまりとしていてガッカリした。

バザール内部、交差点上の丸屋根は外光が入りやすいように設計されている。

後は適当にブハラをブラブラと。
ブハラは小さいので、一日もあれば見所は全て回ることができる。

以上、ブハラからお届けしました。

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