≪世界遺産≫サマルカンド

Samarkand
9/25~9/27 (1049~1051days)

ーシルクロード。
この道を耳にした時、無数のラクダを引き連れたキャラバンや、三蔵法師の西遊記を頭に思い浮かべる人が多いことだろう。

遥か古の時代。アジアとヨーロッパを結ぶこの道は、絹と黄金の貿易の主要ルートとなり、莫大な富を国々にもたした事で、そう呼ばれるようになった。

しかしその道のりは過酷で、平均標高5,000mを超えるパミール、広大に広がるタクマラカン砂漠、荷物を狙う山賊…。

それでも人々は富を求め、シルクロードを歩み続けた。
旅人達は道中にあるオアシスで休息を求め滞在し、そして交流した。
オアシスには多くの旅人が集い、金、文化、そして人種が混ざり合う都市として大いに発展した。

物流、そして人の移動のほとんどが大型船や航空機に移行した現代でも、シルクロードは大きなロマンを持ってして、人々の心を掴んでやまない。

(※画像はWikipedia「シルクロード」より引用)

ここサマルカンドも、そのシルクロード上のオアシス都市として、大いに栄えた。
ティムール朝時代には首都として最盛期を迎え、世界遺産として現存している多くの
建物も、この当時の物である。
建物には青いタイルがふんだんに使われており、その美しさから人々はこのタイルを指して’サマルカンド・ブルー’、サマルカンド全体を指して’青の都’と呼ぶことが多い。

そしてそのサマルカンド・ブルーと呼ばれる美しいタイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が組み合わさりできたものとされている。
まさにシルクロードで交わった異文化同士が作った、新たな芸術文化こそがこのタイルなのである。

そんな青の都・サマルカンドを、数日間に渡って歩いて観光してみた。

ほとんどの観光客がまず最初に訪れるであろう、レギスタン広場。
白っぽいレンガ造りの大きな建物が三つ並ぶ、サマルカンドを象徴する場所だ。

建物は左からウルグベクメドレセ、ティラカリメドレセ、シェルドルメドレセ。
メドレセとは神学校の事で、いずれも当時は神学や哲学がここで学ばれていた。
どのメドレセも青い装飾が施されており、白いレンガとの青いタイルのコントラスト、幾何学的な模様が見て取れる。
美的芸術としての鮮やかさ、神学校としての厳かさを感じることができる。

レギスタン広場はモンゴル来襲以降、アフラシャブの丘から都市機能を移動させたサマルカンドの商業中心地となった。
この広場は公共の場として謁見式や、時に処刑の場としても使用したと言われている。

日本人の感覚だと、処刑が行われていた場所で縁起的にいいのか?と思うのだが、数多くのカップルがレギスタン広場で結婚写真を撮影している。
縁起はともかく、純白のドレスはメドレセとマッチして非常には映える。
ウズベキスタン人の特徴なのか、どの新婦も目鼻がくっきりしておりモデルの様に美しい。(本当にモデルによる撮影なのかもしれないけど)

レギスタン広場で最古の神学校、ウルグベクメドレセ。
1420年に建造された神学校で、ティムール朝第4代君主・ウルグベク自らが教鞭を執ったとされる。

入り口のアーチには青い星のタイル模様が施されている。
アーチ両側に設置されているミナレット(塔)は空を支えるためにあり、北側のミナレットが傾いているのは、空の重みを受けてである…という言い伝えがある。

レギスタン広場向かって正面にある、ティラカリメドレセ。
1660年建造の神学校。

中庭へ入って左手にある青いドームの中に、金箔を贅沢にあしらった礼拝所がある。
ウズベク語で’金箔をする’の意味のティラカリをとって、ティラカリメドレセと名付けられた。

サマルカンドにはビヒハニムモスクという、中央アジア最大のモスクが現存しているのだが、シェルドルメドレセが建造された当時すでにモスクは廃墟となっており、ここがサマルカンドの主要礼拝所となった。

レギスタン広場向かって右手、シェルドルメドレセ。
建造は1636年。

シェルドルとは’ライオンが描かれた’の意味で、アーチには小鹿を狙う、人面を帯びた日輪を背負うライオンが描かれている。

本来イスラム教は偶像崇拝を禁じており、この様に人面を描く事もタブーである。
それを破っているのは権力の誇示するためだった…とされている。
なお、そのタブーを破った責任をとる形で、建築家は自殺をした…という伝説が残されている。

レギスタン広場を北上し、次に向かったのはビヒハニムモスク。
先述したとおり、中央アジア最大のモスクとして、1404年に建造された。

しかし建築を急ぎすぎたために崩壊が続き、廃墟となってしまった。
さらには妃と建築家の浮気が発覚し、当時の君主・ティムールは激怒。
建築家はもちろん処刑、妃は黒いベールで顔を隠されることになったのだとか。

中庭に置かれる巨大な本の石像に見えるものは、ラウヒという書見台で、オスマンクラーン(最古のコーラン)を置くためのもの。
この周りを三周すると願い事が叶うという言い伝えがある。

ビヒハニムモスクをさらに少し北へ進むとすぐに現れるのが、サマルカンド一の規模を誇るシヨブバザール。
お土産はもちろん、パンや野菜、肉も売っており、観光客だけでなく地元民も多く訪れ、活気に溢れている。

中でもここで買うパンは芸術品の様な美しさで、磨き上げたかのように光沢を放っている。
程よい硬さで歯応えがあり、味も文句なしで美味しい。
個人的には、今まで食べてきた世界中のパンの中で、サマルカンドのパンを世界一だと申し上げたい。
私は滞在中、毎日この市場に訪れてパンを購入していた。

野菜や果物、スパイスの種類も豊富で、ここで買ったスパイスを使い、キャンプ中何度もカレーを作った。

バザールから北上して新市街地へと抜けたところにある、シャーヒズィンダ廟群。
敷地内には家の様な建物がズラっと並び、その家そのものが古の権力者達の墓である。
個人的には、この廟群で見るタイルの青さが、サマルカンドで最も美しかった。

廟の入り口すぐに階段があり、この段数を数えてその数が行きも帰りも同じなら、天国へ逝ける…という言い伝えがある。

以上、青の都よりお届けしました。

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