青の都へ〜Samarkandまで

Veshkand~Samarkand
9/24 (1048days)

ウズベキスタン国境までは残り70キロ。
目指すサマルカンドまでは130キロ。

一日で目指すには少し厳しい距離な事と、出入国の煩わしい手続きを考えると、二日間かけてということになるか。

寝床と、更には夕食まで頂いた上に朝食まで…というのは大変申し訳ないので、それは固辞して出発する。

まだヒンヤリする7時前の早朝、村から3キロ程離れて、持っていたパンとソーセージを食べる。

ワハーンを思い出す様な、渓谷の中のアップダウンが続く。
集落がある所だけ緑が豊かで、それ以外のところは荒れた大地が広がる。

しばらくのんびりと走っていた所、道路脇に学校が現れた。
生徒達の身長を見るに、恐らく中学校だろう。
校門前にいた制服を着た生徒達がこちらに気付き、手を振ってくれる。

こちらも笑顔で手を振り返していたのだが、その中の悪ガキの何人かが英語の汚い言葉、いわゆるFワードを叫んできた。
汚い言葉を叫ぶ内に悪ガキはテンションが上がってきたのか、こちらに向かって石まで投げつけてきた。

流石にこれにはカッチーン。
急ハンドルを切り、校門へ向かって自転車ごと突進する私。
蜘蛛の子を散らす様に校舎へと逃げる生徒たち。

危害を加えようとする人間は、大人だろうが子どもだろうが、年齢など関係ない。
校庭までズカズカ入っていくと、異変を察知したのか先生が二人出てきた。

「生徒何人かが石を投げつけてきたんだが」とジェスチャー混じりで伝えると、先生二人は ‘それはすまない。ちょっと待ってろ’とジェスチャーで示し、校舎へと向かっていった。
数分後、二人の悪ガキが先生に引っ捕らえられて、私の前に連れてこられた。

先生も興奮しているようで、生徒の腕を強く掴み、ロシア語かタジク語か分からないけど大きな声で叱っている。
先生は私に両頬をペチペチ叩くジェスチャーを示して、’後でこうしておくから許してほしい’ という様なことを言ってきた。

私としても、先生がちゃんと指導してくれるなら問題無い。
それで良いよ、ということで学校を後にする。

子どもだろうが、他人に危害を加える様な奴は、いや子どもの内にこそ、’それは悪だ’という事を、身をもって分からせてやらなければならない。
タジキスタンの先生は、それが分かっている様で良かった。

しかし、子ども相手にあんなにキレなくても良かったんじゃないかと、先ほどの自分の態度を思い返してみる。
昨日も詐欺まがいの運転手に大声を上げたし、最近どうもキレやすくていけない。
もっと穏やかにならないと…

この日60キロ走り、昼食休憩。
久しぶりにラグマンを注文。
ラグマンは中央アジアのうどんで、私が好きな料理の一つだ。
キルギスでは良く食べていたのだけれど、タジキスタンでは提供しているカフェがほとんどなくて残念に思っていた。

私が走ってきた地域だと、麺の原料となる小麦の入手が難しかったのだろうか?
でもタジキスタンでよく食べたマンティ(肉饅頭)だって、皮は小麦が原料だろうしなぁ…
単純に、ラグマンはタジキスタンでは余り好まれていないのかな。

ウズベキスタン国境に近付いた事で、再びラグマンが現れたということは、食文化にも少し変化が現れ始めたということだろうか。

昼食休憩から10キロ走り、Pangakentに到着。
ここがタジキスタン側の最後の町となる。

タジキスタンの通貨を随分余らせてしまったので、大きめの紙幣は国境付近で両替することにし、細かいお金はここで使い切ってしまうことに。

お金を使い切るときは、スーパーマーケットに行くのがいい。
値段が表記されているので、私の様な外国人にも明朗会計、きっちり小銭を使い切れる。

今回は小銭がどっさり残っていたので、普段は高級品で買えないヌテラ(イタリア製のチョコとナッツのペースト)を買ったりしてタジキスタン最後の贅沢。

きっちり使い切ってPangakentを出発。

Pangakentから国境までは結構距離があり、20キロ。
少し向かい風はあったものの、緩やかな下り坂でペース良く走り切り、1時間ほどで国境に到着。

タジキスタン側の国境に両替商がたくさんいて、レートも特に悪くないのでウズベキスタンの通貨に両替をしていく。

タジキスタンとウズベキスタンの国境は巨大なゲートで閉ざされており、出入国審査はそのゲートの中で行うことになっているようだ。
ゲートの前には、トラック車が列を作って待っている。

自転車でその隙間を縫って先頭まで行くと、軍人がパスポートをチェックして、私だけ先にゲートを通してくれた。

さてまずはタジキスタン側の出国審査。
タジキスタンのビザは45日間。この日はタジキスタン滞在31日目なので、問題はないはずである。
しかし滞在可能なのはその内30日間で、それを超える場合は政府機関にて滞在登録が必要になる…というルールが、実は存在している。
これは日本の外務省のページにも明記されている。

このルールについて心配していたのだが、ドゥシャンベで会ったサイクリストから ‘他のサイクリストが45日間マックスで滞在しても、出国で何も言われなかった’ という情報を得た。
それを信じてここまでやってきたが、内心ビクビクものだ。

審査官は私のパスポートをペラペラ捲り、英語でexpand(延長)がどうのこうの…と言ってきた。
あれ…やっぱりちょっと不味かったのか…?

私と審査官の英語の相性が悪かったのか、イマイチその延長がどうのこうのの部分は理解できなかったのだが、’ウズベキスタンに入ったら、タジキスタンに戻ってこれないよ’という事で、それは問題無いと伝えると、ようやく出国スタンプを押してくれた。
あー、ちょっと焦った。

お次はウズベキスタンの入国審査。
ウズベキスタンは荷物検査が厳しく、全ての荷物をX線に通される…と聞いていたのだが、審査官は荷物満載の自転車を見るや入国スタンプだけ押して、 ‘外の車両用のチェックに行って’と、そちらに回された。

車両用のチェックはというと、’どこから来たんだ?へぇー日本! その木の棒は何だ?釣竿!いいねぇ〜。じゃ、行っていいよ’と、何のチェックもなく通過。

こうして無事、ウズベキスタンに入国。

ウズベキスタンに入るとアスファルトの舗装状態が悪くなり、ガタガタ道が続く。

ひたすら真っ直ぐな道が続き、無心で走っていたら130キロ走り切って17時、サマルカンドに到着してしまった。

サマルカンドはシルクロードの中心として遥か昔から栄えた古都で、ティムール朝時代の多くの建物が今もなお現存している。
それらの多くは美しい青のタイルで装飾されており、それを指してサマルカンドは’青の都’とも呼ばれる。
サマルカンドはその歴史的価値・芸術価値から世界遺産に登録されており、世界中から観光客が集う。
私も、ウズベキスタンでは最も訪問を楽しみにしていた都市だ。

世界的観光地だけあってホステルもたくさんあり、無事に投宿することができた。
最初二人部屋を20ドルと言われたのだが、一人客なので10ドルに負けてくれた。

晩ご飯はウズベキスタン名物のシャシリク。
肉の串焼きで、これがまた美味い。
ショーケースに並ぶ生肉を指差して注文し、それを焼いて持ってきてくれる。

言葉が通じないので何の肉か分からないけれど、イスラム教の国なので羊か牛には違いない。
脂身が少なくて歯応えがあり、塩胡椒が効いている。
そしてなんとこの店、生ビールを提供しているではないか。
普段一人だと酒を飲まない私も、ついつい生ビールを注文。

串に刺さった肉をクイっと食べた後、ビールをグビッ。
くーっ!たまらんな!

晩ご飯を終えた後、夜の散歩がてら、宿のすぐ近くにあるレギスタン広場へ。
レギスタン広場は三つの神学校が並ぶサマルカンドの象徴的な広場、。
想像していたよりも小さいが、人も意外と少なく、落ち着いた雰囲気が良い。

明日から数日間、サマルカンドを観光します。

(走行ルート:Veshkand→Samarkand)

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