自戒と感謝を〜Veshkandまで

Dushanbe北65km~Veshkand
9/23 (1047days)

夏の終わりと秋の訪れを実感させる、今朝の冷え込み。
昼間はガンガン水を飲まないといけない程暑いのに、ギャップが激しい。
その昼間の暑さも、これから徐々に時間が短くなり、気付いた頃には一日中寒い冬が、もう少しすればやってくるのだろう。

そうなる前に、何とかトルコまで辿り着かなければ。

なぜトルコかと言うと、これから訪れる予定の国の中ではまだ比較的気温が暖かそうなのと、ヨーロッパ圏直前と地理的にも都合が良く、物価もヨーロッパと比較すると安いため。
実際にはトルコも相当寒く、山岳地帯ではマイナス40度を記録するくらいらしいのだが、黒海や地中海沿いは比較的温暖な気候らしく、冬の間でも走ることは可能らしい。

もしくはジョージアで長期滞在するというのも、考えの一つ。
日本人はビザ無しで365日滞在可能で、物価もべらぼうに安いらしい。
首都のトビリシには日本人宿があり、一泊なんと400円以下で泊まれると聞く。
そうなるとジョージアで沈没して、春になるのを待ち、満を辞して夏のヨーロッパを走る…というのもありかもしれない。
ただその場合、ジョージアには三ヶ月程滞在することになるわけで、怠惰な生活を送り続けるのが目に見えている。
ただその三ヶ月で普段はできないこともができる訳で、例えば完全に放置しているブログの更新も、やる気が出てき始めたウクレレの練習もすることができる。

決断は急ぐ必要はないので、走りながらゆっくり考えますか。

ドゥシャンベから昨晩の野営地に掛けては緩やかな登りだったのだが、この日は斜度が結構きつい。
加えてトンネルの出現頻度が高くなり、自転車には優しくない道のり。

10%を超える斜度の坂道だと、私の脚力では時速5キロ程度しか出せない。
この速度でトンネルを通過するのは自殺行為なのだが、幸いトンネルの外側に人一人は通れる幅の路肩があるので、何とか回避することができる。

交通量はかなり多く、トラックが多い。
一般車両も多いが、セダンばかりで荷台を持つバンタイプはほとんど無い。
峠のトンネルは自転車走行不可なのでヒッチハイクをしなければならないのだが、セダンだと私の自転車と装備積めないだろうから、今から心配になる。
トラックはこの坂道だと停まるのに一苦労だろうから気を遣うし、荷物満載の可能性が高いので、載せてもらえるかも分からない。

ドゥシャンベから数えて19本目のトンネル。
峠まではまだ距離があり、20本超えは必至。
いくつまでトンネル本数が伸びるか数えてみよう。

その後も登りとトンネルは続く。
トンネルの本数は途中まで数えていたのだが、それも疲労で朦朧としてきて、何本潜ったのか忘れてしまった。

野営地から走ってきて10キロ、標高2,700メートル、ようやく峠のトンネルに到着。
トンネルの入り口脇には広い路肩があり、そこに何故か一匹の犬を連れた親父が一人座りこんでいる。

親父は手招きして私を呼び、’ここは自転車走れない。車が載せて行ってくれるはずだからちょっと待ってろ’という。
親父の近くに座ってしばらく待つのだが、道中多かった交通量が何故かここにきて少ない。
たまにセダンが通り、親父がおーいと手を振ってヒッチハイクを手伝ってくれるのだけれど、なかなか停まってくれない。

20分くらい待っただろうか、ようやく一台の大型トラックが停まってくれた。
トラックには運転手と助手の三人が乗っており、’金はいくら持っている?’ と運転手が尋ねてきた。

ヒッチハイクするとはいえ、金は払わないといけないと最初から思っていたので、「20ソモニでどうだ?」と言うと、運転手は渋った顔をして’50ソモニだ’ という。

トンネル自体は僅か5キロ程であり、車なら10分程度で抜けられるはずである。
それを50ソモニ(580円)とは、余りに足元を見ている。

しばらく交渉したのだが、’40ソモニ。そこからはびた一文負けない。乗るか乗らないか、すぐ決めろ’と言う。
この先トラックが停まってくれるか分からないし、その値段でこちらも折れる。

手持ちの紙幣が100ソモニしかなく、それを運転手に渡すと、’釣りは後で。取り敢えず乗れ’との事で、自転車と私を荷台に載せ、トラックは走り出した。
荷台にはニンジンが満載されており、土臭い匂いが充満している。

トラックは10分もしない内にトンネルを抜け、出口にある路肩で停まった。
私と自転車を降ろし、運転手は私に釣りとして10ソモニを渡してきた。

おいおい、釣りは60ソモニだろ?
それを指摘すると、運転手は’お前が渡してきたのは50ソモニだった。だから釣り銭は10ソモニだ’とかホザいてきた。

ふざっけんなよ!
あまりにも頭にきたので、ロシア後と日本語がごちゃ混ぜになりつつ、60ソモニ出せ馬鹿野郎!と、自分でもびっくりするくらいに大きな声が出て、運転手を糾弾する。

同乗していた助手二人は流石にまずいと思ったのか、まぁまぁと私を宥め、運転手はようやく60ソモニを渡してきた。

タジキスタン出国まで残り僅かというのに、良い思い出に味噌が付いた気分だ。

トンネルからは一気に下りが始まる。
九十九折が重なる所もあり、風景は非常に良い。
下りで受ける風は心地よく、それを体全体に浴びて、血が昇った頭を冷やそうとするが、なかなかイライラは収まらない。

下りが落ち着いた頃に現れた集落のバス停で、昼休憩を取る。
鞄からパンとソーセージ、蜂蜜を取り出して、口に放り込む。

休憩中に少年がやってきて話しかけてきたのだが、先ほどのイライラが収まらず、釣れない返事の塩対応をしてしまった。
彼には申し訳ないと思うのだが、私はそこまで精神的に成熟した、良くできた人間ではない。
自分がイライラしていたら、思いっきり態度に出てしまう。

間もなくして、少年は去って行った。
少年に申し訳なさと、自己嫌悪を感じる。

下り坂が落ち着いてからは、川沿いにアップダウンが続く。
向かい風が吹き始め、走行距離がなかなか伸びない。

この日走ること70キロ、標高1,500メートルの地点で、分岐が現れた。
分岐はタジキスタン北部へと向かう道と、ウズベキスタン国境へと向かう道に別れる。
この分岐には露天が並び、湧き水で冷やされた飲み物と、干し杏が売っている。

干し杏はインドでは良く買って食べていたこともあり、好きなお菓子だ。
オススメされたものはちょっと高かったので、見た目が少し古そうな杏が入った麻袋
を指すと、随分安かったので、そちらを購入。

分岐をウズベキスタン国境側に折れ、しばらく走ってから杏を齧る。
齧った杏にふと目を落とすと、中にワームみたいな虫が巣食っているではないか。
他の杏も齧ってみると、それからも虫が出てきた。
全部の杏を確認すると、半分以上の杏には虫が侵入したと思われる穴が空いているではないか。
これでは食べられないと、穴が空いていない杏だけを残したら、袋の中は随分と少なくなってしまった。

17時半頃、そろそろ野宿場所でも確保しないとな、というところで農村に入ってしまった。
農地が広がり、まだ作業をしている人もたくさんいる。
こうなると野宿はとてもできないし、かと言って先に進むにもちょっとリスクのある時間帯だ。

農村にはゲストハウスはないが、カフェは何軒かあるようで、その内の一軒にテントを張らせてもらえないか尋ねてみた。

するとご主人は快諾してくれ、カフェの中の座敷で寝るといいと言ってくれた。
そして夕食に食事も出してくれた。

私が「お金を払うから値段を言ってくれ」と言うも、首を横に振って’金は必要ない’とニコッと笑うばかり。

そう、基本的にタジキスタンの人は高潔で、とても親切なのだ。
金をちょろまかそうとしてきた人間なんて、昼間の運転手くらいで、これまで出会ってきた人達は、誰もが紳士淑女ばかりだった。

良い思い出は忘れがちで、悪い思い出は尾を引きやすい。
この記事を書いている正に今、「そういえばここでも親切にしてもらった人がいたなぁ」と思い出している所だ。

自戒と感謝を、今一度。
ありがとう、ご主人。

(走行ルート:Dushanbe北65km→Veshkand)

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