首都・ドゥシャンベに到着〜Dushanbeまで

Obigarm~Dushanbe
9/17~9/21 (1041~1045days)
100キロという距離は絶妙で、1日で走り切れる可もなく不可もない…という長さである。
ただこれは飽くまで平坦な舗装路に限る話。
実際の走行には、これに色々な条件が加わる。
天候、路面状況、峠の有無と勾配、トラブルの有無…
100キロというのは飽くまで目安であって、条件が味方すればそれ以上に走れる事もあるし、味方しなければ走行距離は全く伸びない。
首都・ドゥシャンベまでは残り100キロ。まさに絶妙な距離。
ドゥシャンベの標高は700メートル。現在地は1,350メートル。
この先の路面状況はわからないが、昨日の後半は比較的綺麗な舗装路が続いた。
現時点で判明している条件で判断すると、ドゥシャンベまでの100キロを一日で走り切るのは、比較的容易いということになる。
しかしここはタジキスタン。
再び悪路になることも十分考えられるし、悪路ではトラブルに遭う可能性も高くなる。
明日は早起きして、早朝出発しよう。
…そう誓って床に就いたのに、寝坊したというね。
結局普段よりも遅い、8時に出発。
路肩に現れた、賄賂禁止の看板。
貧しい国や社会主義国では、得られる現金収入が少ないから、賄賂の受け渡しが当たり前になっていると聞いた事がある。
タジキスタンは旧社会主義国家、そして現時点で中央アジア最貧国なので、賄賂が横行している可能性は非常に高い。
ちなみに、今のところ法外なボッタクリに会った事はないし、警官からイチャモンを付けられたことはない。
出発した集落からしばらく登りが続き、標高1,700メートルに達したところで高原地帯に達した。
しばらくは平坦な道が続く。
街路樹はまだほとんどが緑だけれど、一部は赤や黄色に色付いてきている。
半袖半ズボンで自転車を漕げている今、実感は全く湧かないけれど、確実に冬が近付いてきている。
タジキスタン以降はウズベキスタン、カザフスタンと進んでいく。
今いる山岳地帯と打って変わり、標高100メートルにも満たない砂漠地帯が続くはずだが、そんな砂漠地帯でも冬はマイナス10度にも達する事があるらしい。
そしてカザフスタンを抜けた後はジョージア、アゼルバイジャン、そしてトルコを目指す。
ジョージアとトルコは標高の高い山を多く抱えており、冬になると地域によってはマイナス40度を記録することがあるのだとか。
本格的に冬が始まる前に、何とかトルコのイスタンブールまで辿り着かなければならない。
中央アジアでは、もうそこまでゆっくりしてられる時間はない。
高原地帯に入ってから4キロくらいしただろうか、いよいよ下り坂が始まった。
非常に緩い斜度で、カーブもほとんどない。
まさに、最高の条件のダウンヒルだ。
ペダルを漕がなくても時速20キロ以上出るし、かといってスピードが出過ぎることもない。
もちろん信号もないので、ブレーキを掛ける必要もない。
何の心配もする事もなく、ただボケーっと風景を眺め続ける。
途中、カフェに入って昼食を取っていくことに。
ガソリンスタンド併設のカフェで、ホットドッグやハンバーガーなどの軽食しかないようだ。
値段を確認しようと、女性にロシア語で話しかけたのだが、全く通じない。
向こうが言っている事も、私のロシア語レベルじゃ全く理解できない。
女性が ‘ちょっと待ってて’ とジェスチャーを作り、外へ出て行った。
しばらくすると、男性一人を連れて戻ってきた。
ははーん、英語を話せる人を連れてきてくれたんだな。
そう思っていたら、男性はロシア語は話せるけど、英語は話せない人だった。
なるほど、女性が話していたのはタジク語で、だからロシア語が通じなかったのか。
中央アジアの旧ソビエト圏のスタン系国家では、ロシア語は現在でも広く使われている。
しかし飽くまでも第二言語であって、決して公用語ではない。
ロシア語はビジネスや教育の場、民族間のコミュニケーションツールとして使われるに過ぎないらしい。
ソビエトが崩壊し、各国が独立した今、各国はそれぞれの民族の言語を公用語として使用している。
タジキスタンならタジク語、ウズベキスタンならウズベク語というように。
そのため、若年層の中にはロシア語を話せない人も珍しくなくなってきているのだとか。
確かにこのカフェの女性も、若い方だった。
男性伝いにロシア語で値段を聞き、何とかホットドッグを注文することができた。
この先、ロシア語が通じない機会が増えていくのかもしれない。
休憩後も長く緩い下り坂が続く。
道中やたらと目についたのが、路肩で作業する人達の姿。
何をやっているかというと、路肩にカラフルな旗を立てているのだ。
ドゥシャンベまでの長い距離、何度も何度も、作業している人を見かけた。
何故だろう。何かのお祭りが近いのだろうか。
そして14時半、無事にドゥシャンベに到着。
平坦な道だと100キロ走るのに、同じく8時から出発したとすると大体16時くらいまで掛かるのだが、随分と早く着いた。
それだけ、この日は好条件が揃っていた。
ま、これまで散々悪路を走らされてきたんだから、これくらい楽させて貰ってもいいだろう。
寧ろ、まだまだチャラになってないくらい苦しめられてきたんだから、この先ももっと楽な道を続けて欲しい。
首都とは言えど、規模で言えば日本の大きめの市程度。
飽くまでタジキスタン国内比で、高層ビルや車が多いに過ぎない。
予め目を付けていた、グリーンハウスホステルに投宿。
このホステルは自転車旅行者やモーターサイクリスト御用達の宿で、宿泊客の半数以上がそうした人達。
広い中庭には、いつも十台くらいの自転車が停められており、自転車を整備しているサイクリストの姿も珍しくない。
パミールハイウェイで出会った、タンデム自転車世界一周の磯田さんもここに泊まったようだ。
そしてグリーンハウスホステルで、ホログで再会したモーターサイクリストの佐藤さんに再会。
何でもバイクにトラブルがあり、パーツの取り寄せと修理で、ドゥシャンベに長期滞在しているのだとか。
こうも再会するということは、縁があるのだろう。
とりあえず、やらなければならない事は自転車整備と、就寝用のエアマットの購入。
中心街に繰り出したのだが、アウトドア用品や自転車の専門店はなく、中華製品を掻き集めて売っている様な店ばかり。
自転車パーツやエアマットの購入は諦め、何故か釣竿を購入。
ワハーン以降川沿いを走ることが多かったので、「釣りでもしてみたいな」という思い付きから、衝動的に買ってしまった。
中庭で自転車整備をした後は、特にする事もなく、自分の食いたい物を自炊して佐藤さんとシェアする日々。
料理をつつきながらグラスを傾けてビールを飲み、走ってきた道への愚痴からこれからのルートを語り合う。
なんか佐藤さんといると、食って飲んで体重がみるみる増えるな。
(走行ルート:Obigarm→Dushanbe)