地雷峠を越える〜Qal ai Khumb北西35kmまで

Qal ai Khumb~Qal ai Khumb北西35km
9/14 (1038days)

昨日ゲストハウスに投宿した時点で体調はかなり回復してたのだが、今朝になると下痢もほとんどなくなってくれ、ホッとする。

Qal ai Khumb(カライクム)が如何に大きな集落とはいっても、所詮はスーパーマーケットが一軒しかない程度の規模。
ゲストハウスもキッチンを使う事はできないので、長期滞在には向かない。
そういう意味で、体調不良が僅か二日間で治ってくれてよかった。

朝食で出されたパンもやはりカビていたので、その部分だけ千切って食べる。
日本だと、髪の毛が入っていたりするだけでクレームになってしまうけど、海外ならそれを従業員に言ったところで「ほーん、それで?」くらいな感じで、髪の毛だけ取り除いて、はい終わり。

今回は従業員に何も言わなかったけど、中央アジアでクレームを言っても「これはノープロブレムだ。食え食え!」と更にぞんざいな扱いされそう。
それに、こっちももうカビ程度なら別に気にしないし。

朝食を食べ終え、9時過ぎに出発。
タジキスタンの首都・ドゥシャンベまで残り285キロ。
さて、目敏い人ならば、下の写真に写っている標識にはドゥシャンベの表記が二つあり、それぞれ距離が違うのに気付いただろう。

カライクムからドゥシャンベまでのルートは、二つある。
欧米人サイクリストからはノースルート(North route)とサウスルート(South route)と呼称される通り、カライクムから北上するか、南下するか…という違い。

私が走ろうとしているのは、ノースルートで、ドゥシャンベまでの距離は285キロ。
対してサウスルートは、371キロ。
およそ100キロ近くもノースルートの方が短い。

しかし一般的には、ノースルートは非常に厳しい道と言われており、未舗装路に加えて大きな峠越えが待ち構えている。
サウスルートは距離こそ長いものの、概ね舗装路で、かつ大きな峠越えはないらしい。

ここまでキルギスタン、タジキスタンでは厳しい走行を余儀なくされた身としては、正直これ以上苦しみたくないのであり、サウスルートを選びたくなるのが人情というもの。

しかし、サウスルートには一点問題がある。いや、あった。
2018年7月某日、サウスルート上で、欧米人サイクリスト4名が襲撃されて殺される事件が発生している。
犯人は警察によって拘束、ないしは射殺されている。

その事件後に公表されたビデオの中で、犯人が国際テロ組織 ‘IS’ に忠誠を誓うと述べるシーンがあることから、イスラム過激派によるテロ事件と言われている。
(日本語記事はこちら 英語記事はこちら

ISと言うと、どうしてもイラク・シリアで勢力を保持しているイメージが強いが、その構成員は多国籍に渡ると聞く。
タジキスタンからも、多くのイスラム過激派がその活動に参加したと、事件を報じた記事には記されている。

そのISも、2017年頃からイラク・シリアでの勢力を維持し切れなくなり始めた。
構成員達は自国へと戻り、それぞれの国でテロを行う、所謂 ‘ローンウルフ型’ がこれからのテロリズムの主流になるだろう…と、その当時に読んだ本に記されていた
と記憶している。
サイクリストを襲ったテロリストは、まさにそのローンウルフ型のテロだったのだろうか。

タジキスタンにとって、観光産業は大きな収入源だ。
その観光客を狙ったテロ事件が発生したことにより、観光客が激減することを恐れた政府は、事件後かなり厳重な警備を敷いたと聞いている。
しかしやはりこの事件の影響は大きく、当時日本人サイクリストの間でも衝撃的なニュースとして話題になり、多くの人がパミールハイウェイ走行を断念する事態となった。

事件から一年が経ち、現在。
今では観光客もサイクリストも、再びタジキスタンに訪れるようになった。
旅行者間の会話の中で、このテロ事件は特別話題になることはない。

しかしやはり、多くのサイクリストがサウスルートを避け、ノースルートを採っている。
随分事件は風化していると感じる。
それでもテロが落とした暗い影は、未だ多くの旅行者の心に残っているのだろう。

そういう事情があり、私もノースルートを採ることにした。

カライクムからは即上り坂が始まる。
小さい少年が、「金くれ!チョコレートくれ!」と声を掛けてくる。
春から夏にかけて世界中からサイクリストがやってくるこの場所では、子供たちは外国人に慣れており、人見知りをしない。

金やお菓子の無心に対し、ほとんどのサイクリストは「ノー」と応えるだろうし、もしかしたら一部のサイクリストは手渡しているのかもしれない。

そんな子どもに、「おう!俺も金とチョコが欲しいからくれ!くれ!」と言ってやると、キョトンとした顔をするから面白い。
そんな事を言ってくる奴は、他にいないのだろう。

そんな感じで子ども達をいなしながら、坂を登っていく。
途中、後ろから自転車を押してくれた姉弟がいた。
しばらく押してくれた後、彼等は別に金もチョコも無心してこなかった。
しかし不思議なことに、男の子の方がカバンに付けているカラビナ(登山で使うフック)を欲しがった。

カラビナはトラブル対応の時に使用する事があるので、流石にあげられない。
持っていたフルーツの砂糖漬けをあげようとしたのだが、それは要らないという。
普段から食べ慣れているためだろうか。
残念あがら彼等にあげられる様なものがなく、お礼だけ言ってまだ続く坂を登る。

しばらくして上りが収まり、川沿いに出てきた。

川沿いに出て程なくして、軍の検問所が現れる。
ここではパスポートの掲示を求められ、個人情報を記録される。
パミールハイウェイ、ワハーン回廊、そしてここでも検問所があって、しっかりチェックしているあたりタジキスタン政府は治安維持に努めているのがわかる。

さて、検問所を過ぎるといよいよ峠越えが始まる。
検問所の標高が1,600メートル。峠は標高3,258メートルとある。
峠までの距離は70キロと、非常に長い道のり。

この日はとても暑く、ゲストハウスで満タンにした水も、500mlのペットボトル2つが既に空。
検問所を過ぎたところに流れている小川で、浄水器を使って補充してから挑む。

道が悪いと聞いていたけれど、今のところそんなことはなく、アスファルトが続いていて走りやすい。
九十九折が続く、いかにもThe 峠という感じ。

個人的にはダラダラとアップダウンが延々に続く道よりも、こういう風に一発ガツンときつい登りで完結する峠の方が好きだ。
後腐れがないというか。

標高2,000メートル地点、カーブの路肩が広く、木陰がある休憩にうってつけの場所があったので、そこで昼休憩。

パンに蜂蜜とソーセージ。
パミールハイウェイの時はパンにケチャップだけだったので、それを考えると随分と豪勢。

ちなみに、パミールハイウェイで蜂蜜とソーセージが売ってない訳ではない。でも、何故か買わなかった。
ホログで佐藤さんに「昼食にソーセージ良いですよ」と言われ、ホログで初めて買ったのだけれど、値段も普通に安い。

何で今まで買わなかったんだろう?
高いに違いないという先入観があったのだろうか?
自分でも分からない。

パン以外は完全にパッケージされた製品なので、自分さえ管理をしっかりすれば食あたりになる事もない。
レストランは極力行かず、今後はこの組み合わせの昼食がメインになりそうだ。

昼食以降は非常に暑くなり、水分補給のためにボトルの水がガンガン減っていく。
一応地図を見る限りは峠前後に川は流れている様だけれど、そういう所で忘れずに水を補充しないと。
本当、中央アジアでは浄水器は大車輪の活躍というか、持ってなかったらとてもじゃないけど走れない。
この峠にしろ、110キロ近くは全くの無補給区間なので、しっかりと準備しないといけない。

もし仮に準備を怠り、途中でギブアップしてヒッチハイクをしようとしても、この道を通る車は非常に少ない。
補給の難しさに加えて劣悪な路面状態。
中央アジア走行は、他の地域と比べても初心者にはいささかハードルが高いように思う。

ただ、このノースルートは今のところ路面状態だけは良い。
昼食以降いつのまにか未舗装路になったけれど、コルゲーションもなく走りやすい。

風景も谷が深く立体的で、前後左右どこを身渡しても絶景が広がる。
風景だけならワハーン回廊よりも良いかもしれない。

しばらく快調に進んでいたのだが、徐々に勾配がキツくなってきたことと、体調がどうも良くない。
茂みに隠れて出してみると、やはり下痢。
どうやら体調はまだ完全には回復し切っていなかったようだ。

体調が悪くなり始めたのは、標高2,600メートルあたり。
峠まではまだ標高を600メートルもアップしなければならない。

途中、かなりボロボロのコンクリート製の建物があり、ガレージスペースがある物を見つけた。
ここで野宿しようか考えたのだが、もしかしたら誰かの家かもしれず、そのまま先へと進むことに。

しばらく進むと、それまでゴツゴツした岩に囲まれていた風景が、草原が広がるものへと変わった。
よかった、野宿するなら草原地帯の方が都合は良い。

そう思っていた矢先、一つの看板が目に入ってきた。

これって地雷だよな…
なんでこんな国境付近でもないところに地雷が埋められている?
ソビエトのアフガニスタン侵攻の時に、国防のためにタジキスタンが埋めたとか?
それでも自国の、それも国境でもないところに埋めるか?
もしくはソビエトが埋めたとか?

いずれにせよ、これでは野宿なんてとてもじゃないができない。
先へ進むしか、選択肢がない。

驚いたことに、地雷原となっているこの草原地帯には、数世帯が暮らしている。
そしてたくさんの羊を連れた羊飼が、草原を歩いている。

今は全部撤去されたのかな?とも思ったのだが、その後ドゥシャンベで出会ったサイクリストに聞いた所、今でも地雷は埋まっており、たまに羊がそれを踏んで爆発するらしい。

18時過ぎ、なんとか峠に到着。
峠からは、まさに今沈まんとする太陽の姿が。
日没寸前に着いたからよかったものの、もし間に合わずに真っ暗になってしまい、草原に足を踏み入れて地雷を踏んだら…想像するだけで恐ろしい。

ただ峠にも地雷原を示す看板があり、とてもじゃないがここの草原でも野宿はできない。

峠にはバス停があり、唯一安全が保証されているのはここしかない。
道路からは丸見えだが、仕方ない。
車もほとんど通らないし、地雷を踏むよりはマシだ。

バス停の中にテントを設営する。
日没後は風が強くなり、バス停がちょうどいい風避けになってくれた。

(走行ルート:Qal ai Khumb→Qal ai Khumb北西35km)

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