聞いてないよ〜Khargushまで

Alichur~Khargush
9/1 (1025days)

パミールハイウェイは、キルギスのオシュとタジキスタンのホログを結ぶ、ゴルノ・バダフシャン自治州の主要幹線道路である。
距離は約730キロ。

オシュから現在地まで約520キロを走ってきて、今が正にパミールハイウェイのハイライト、佳境を迎える場所だと言っていいだろう。

しかしながら、私は現在地であるAlichur以降、パミールハイウェイを離れ、別の道を走ろうとしている。
走ろうとしている道は、通称ワハーン回廊。

ワハーン回廊とは、タジキスタンとアフガニスタンの国境となっている川沿いを通る
道で、かつてはシルクロードの一部として重要な道路の一つであった。

ワハーンは厳しい地形と気候条件から外部からの人口流入がほとんどなく、非常に危うい政情が続くアフガニスタンにあって、ほぼその影響を受けずに僅かな人々が暮らしているという。
そこに住む人々はワハン人やパミール人と呼ばれ、タジキスタンやアフガニスタンの生活習慣とはまた違った暮らしを送っているのだとか。

サイクリスト的にはパミールハイウェイを走る人がほとんどなのだが、一部物好きな人間はワハーン回廊の方を走る。
そして、道はワハーン回廊の方が劣悪で、非常に厳しい道のりだというのが専らの評判である。

アフガニスタンは当然ながら、今現在の政情で一旅行者が入国するのは自殺行為だ。
しかし、ワハーン回廊ならアフガニスタンの文化の一旦を見る事ができるのではないか。
そういうわけで、私はワハーン回廊の方を走ることに決めた。

ちなみにルート計画として、ワハーン回廊を走り終えてホログに到着後、残りのパミールハイウェイも走る予定では’あった’。
ワハーン回廊とパミールハイウェイのちょうど真ん中に、小さな道が通るのが地図上で認められる。
ホログからこの小さな道を東へと進むと、パミールハイウェイへと合流することができ、ちょうどサークルを描くかのように、ワハーン回廊とパミールハイウェイをぐるっと走ることができるのだ。

しかし、その計画は結局果たされる事なく、ワハーン回廊のみを走った後、タジキスタンの首都・ドゥシャンベへと進むことになる。
というのも、ワハーン回廊が私の想像を超えて劣悪な道で、ホログに到着した頃にはぼっきり心が折れていたのである。
そこら辺を踏まえた上で、ワハーン回廊の困難さと景色を当記事本編でお楽しみ下さい。

Alichurで泊まったゲストハウスは朝食も結構しっかりとした物を作ってくれ、目玉焼き、トマトとジャガイモの炒め物にパンと、自転車旅行者の朝食としては完璧な量を作ってくれた。

しっかり全て平らげ、8時半に出発。
村の井戸で忘れずに水を補充していく。

Alichurには商店もあり、補給食のクッキーを購入していく。

しばらく上りが続いた後は、下り坂に入る。
右手には大きな湖がある。湖の縁が白っぽいので塩湖だろうか。

走りながら湖をチラチラと横目に見ながら進むのだが、道が凸凹しているためあまり風景に気を取られていると大転倒する恐れがある。
スピードも出過ぎないよう、ブレーキを小まめに掛けて進む。

キルギスの首都・ビシュケクで後輪のハブとスポークを交換してから、どうも自転車が不安定で、少しの段差や砂利道でもスリップして転けそうになるので尚更注意しなければならない。

一度、どこかまともな自転車屋でチェックしてもらいたいのだが、さすがに首都のドゥシャンベなら自転車屋もあるだろうし、何とかそこまで無事故で進まなければ。

Alichurから走ること24キロ、パミールハイウェイとワハーン回廊の分岐に到着。
ここが数々の自転車旅行者に「あの道は過酷だ」と言わしめるワハーン回廊の入り口か…
分岐から即未舗装路が始まっており、正に地獄への入り口という様相である。

ワハーン回廊に突入する前に、分岐で少し小休止を取る。
パミールハイウェイの方は、そのままアスファルト舗装が続いている。

私の弱い心の部分が、囁いてくる。
「アスファルトの方が楽だから、やっぱりパミールハイウェイを走ろうよ…」

未舗装路というのは偶に走るから楽しいのであって、キルギスからさんぞ糞みたいな道を走ってきた私は、正直言ってもう未舗装路はお腹一杯なのである。

例えるなら、焼肉屋の食い放題で調子に乗って注文しまくり、十分に肉を堪能して腹も一杯になって、忘れた頃に注文していた大量のハラミが席に届く感じに似ているだろうか。
もう肉(未舗装路)はええって…アイス(アスファルト)が欲しいねんって…

しかし冒頭でも述べたように、この時の私はパミールハイウェイもワハーン回廊も両方走る気満々。
「キツイ道を先に走っといたら、後々楽できるやろ!」と弱気に喝を入れ、ワハーン回廊へと足を、いやタイヤを踏み入れる。

初っ端からコルゲーションがお出迎え。
ガックンガックンと跳ね回る自転車の上で、「やっぱり楽な方を先獲るべきやったか…」と若干後悔しつつの走り出し。

コルゲーションに関しては予想の範囲内だったので驚きはしなかったのだが、砂地がかなり多いのは予想外だった。
砂に嵌ると超重量級の自転車は’ズッ’と音を立てて砂にタイヤが埋まり、びくともしなくなる。
こうなると自転車を降りて手で押し、砂地が無くなる所まで行くしかない。

この砂地のせいで思った以上に進まず、ワハーン回廊走り始めから10キロもしないうちに昼食休憩。
思うように進めなくてイライラしている時は、何か物を食ってせめて満腹感でストレスを和らげるのが一番。

しかし今私の手もとにある食料はといえば、カッチカチに乾いたパンに、ケチャップのみ。
噛むたびに顎が疲れるし、もうこのケチャップの味には飽き飽きしているので、余計にストレスが溜まる。

砂地は予想外だったものの、道自体は平坦ではある。
砂地は精々数十メートル程度なので、そこだけ自転車を降りて押すだけでほとんどの部分は走行が可能ではあった。

しかし昼食以降は上り坂が現れ、それも結構な傾斜で、これまた押して進まざるを得ない。
私はこれまでの4年間、坂道がきついという理由で自転車を押したことはほとんどない。
それなりに脚力もあるだろうし、自転車の後ろのギヤが登坂能力に長けた11速というのも大きな理由だろう。

それでも自転車を押して進まざるを得ないのは、単純にワハーン回廊の坂道の傾斜がキツイというだけでなく、砂でタイヤが空転してしまうのだ。
そして更にタチの悪いことに、この砂は靴まで滑らせてしまう。
スキーのボーゲンの様に足を少しハの字にして、踏ん張りを効かせて登っていく。


上り坂を上り切ったところで、湖が現れた。
見た感じ流れ込む川は無いし、雪も僅かしかない。
どうやって水源を確保しているのだろう?湖底から湧き水が入ってきているのだろうか。

湖を過ぎると、再び上りが始まる。
ズズッと滑り落ちる自転車を支えながら進むには、どうすれば一番楽なのか…
腕を伸ばして突っ張るような形で押してみたり、逆に腕を曲げて体を預けて押してみたり、試行錯誤しながら進んでいく。

しかし、こういう風にあれこれ考えながら進める分、ここら辺はまだまだマシだった…

湖以降の上りを終えると、高原に変わった。
「あぁ、平坦になったから楽になるわ」と思ったのだが、これがとんでも無い思い違いであると気づくのに、そう時間は掛からなかった。

平坦である分、砂が溜まりやすいのか非常に深い。
深い砂に嵌った自転車はちょっと押したぐらいではビクともしない。

サドルを持ち上げ、引き摺るようにして進む。
これは体力的にも筋力的にも消耗が激しく、ちょっと進んでは休み、ちょっと進んでは休み…を繰り返す。

この高原の砂地が、1キロ進んでも2キロ進んでも、一向に途切れない。
重さ60キロにもなる自転車を引き摺る、終わりの見えない地獄の苦しみ。
何度天を仰いだことか。

本当、こんなキツイなんて聞いてないよ…

何とか砂地を越えた先は再び上り坂に…
もう自転車に乗る体力もなく、ほとんどの時間を押して歩く。

この日Alichurから進むこと45キロ、峠に到達。
標高は4,200メートルで、これがワハーン回廊で最大の峠となる。
パミールハイウェイよりもまずワハーン回廊を走ることにしたのは、最初に大きな峠があり、以降ホログまでは基本的に下り坂になるためでもある。

ここら辺の山は活火山なのか、峠には間欠泉があり、煙が漂っている。

峠には湖があり、湖畔を羊の群れが朦々と砂煙を上げて進んでいく。
その先頭には馬に乗った遊牧民がいる。
あれがワハーン人だろうか。
彼らの進む先には何も見えないのだが、山の裏側に家があるのだろう。

湖を過ぎた後は下り坂に。
慎重に、ブレーキをかけて進んでいく。
道の先には雪山が頭を覗かせる。方角的にアフガニスタンの山だろう。

標高3,800メートルまで下り、建物が並ぶ所へ出てきた。
地図を見ると、どうやらタジキスタン軍の施設らしい。
スマートフォンで見れる地図アプリではシェルターとなっており、頼めば泊めてもらえる様な事が書かれている。

施設の前にはバス停があり、そこでテントを張ることに。
道からは丸見えだが、回廊に入ってから車なんて一台も見ていないし大丈夫だろう。

テントを張り終わった後、施設から人が出てきて「室内で寝ていいよ」というような事を言われたのだが、人と話すのもしんどいくらいの疲労度で、正直放っておいて欲しかったので断った。

この日は、南米のボリビアとチリを跨ぐ砂漠地帯、通称・宝石の道を思い出すようなキツイ一日だった。
まぁ、最大の峠を越えたし後は基本的には下り坂。
ホログまでは楽ができるだろう。

…実際にはこの先も地獄が待っているとは知らず、眠りに就いたのだった。

(走行ルート:Alichur→Khargush)

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