しんじる心〜Gulchaまで

Osh~Gulcha
8/22 (1015days)

中央アジアの国々を跨いで広がる、パミール高原。
平均標高4,000メートルと言われるその地は、’世界の屋根’と通称されている。

そんな世界の空を覆い被さらんとする高原にも道は通されており、そのままパミールハイウェイと名付けられている。
この日まで滞在したオシュが、そのスタート地点となる。

サイクリストというのは、端っこや高い場所が大好きな人種だ。
最東西南北、最高最低標高…そんな言葉が着く場所を目指したがる。

‘世界の屋根’と呼ばれるパミール高原にも、やはり世界中のサイクリストが集まり、半ば聖地の様な扱いを受けている。
私自身もやはり、ユーラシア大陸横断を目指す今、このパミールハイウェイを走る事を最も楽しみにしてきた。

ただ、そこに何があるのかはよく分からない。
たくさんのサイクリストが「パミールハイウェイは良かった」というけれど、写真を見る限りは荒野が広がるばかりだ。

薄い空気の中で荒い息を吐き、砂と汗に塗れ、荒野で新鮮ではない野菜や缶詰の肉を食い、テントで眠る…
過酷な状況にあって、何が彼らに「パミールハイウェイは良かった」と言わせているのだろうか。
いよいよ、それを確かめにいく時がきた。

宿で出される朝食を食べ、ゆっくり準備して10時半に出発する。
この先でガソリンが補充できるか分からないので、ガソリンスタンドで補充を忘れずにしてから、オシュを出発する。

オシュを出ると、目で見た分では分からないくらいの緩やかな上り坂になっているようで、時速10キロ程でゆっくり進む。

樹のほとんど生えない草原地帯を進んでいく。
時折、家畜をたくさん引き連れた遊牧民がいる。
道路いっぱいに広がって行進しているのだが、遊牧民も家畜もドライバーも普段から慣れているためか、車がゆっくりとその行進に近付くと、家畜の群れがモーセが海を割ったかのように、サーっと道を開ける。

カフェもレストランもなく、昼食は手持ちの菓子パンを、バス停のベンチに座って済ませる。

しばらくして、ダラダラと長い峠への上りが始まる。
風景は退屈そのもので、こういう時は視界がボヤーっと薄れ、自分の意識の中へと集中力と思考は向かう。

なんで自転車旅行をしているのだろうか?
自転車旅行をする意味は、自分にとって何か意味があるのか?
終わった後、何をするのか?

楽しみにやってきたパミールハイウェイだというのに、随分とマイナス思考だ。
自分に対する上記の問いかけは、偶に浮かんでくる。
多分、疲れが溜まっていたり退屈な風景を走っている時に、浮かんでくるのだと思う。

何故自転車旅行をしているのかも、何の意味があるのかも、終わった後に何をするべきなのかも、分からない。

でも、自転車で世界一周する事を決断し、始めたことは事実だ。
何であろうと一度決断した事を継続する事にこそ、意味があるんじゃないか?
やっている事の大小ではなく、決断した自分を信じ、継続する事に意味があるんじゃないか?

このマイナス思考に陥った時は、決まってこの結論に至る。
そして結論に至ると、集中が思考から離れ、現実感が戻ってきて視界がはっきりとしてくる。
この日は現実感が戻ってきた頃に、峠の直前まできていた。

現実感が戻ってくると、自転車の重たさがペダル越しに、一気にズシっと足にのし掛かってくる。
その重さに負けないように、力を込めてぺダルを漕ぐ。
タイヤがアスファルトを踏む、ギュッギュッとという音が耳に入ってくる。

この日62キロ走り、峠に到達。
これがパミールハイウェイ最初の峠で、標高は2,389メートル。
この先、一体いくつの峠を越えるのだろうか。

峠の先には、長い下りが街構えている。
この下りが長くて急で、少し恐怖を感じるくらいのダウンヒル。
時々凹凸があったり、道路に広がる牛の群れがいたりして、うっかりすると事故になりかねない。
思考に沈んでいた上りとは打って変わり、全く集中力を解くことができない。

標高を700メートルを下げ、Gulcha(グルチャ)という集落に到着。

ゲストハウスがあり、1,200ソム(約1,800円)で夕食と朝食付。
キルギスソムが随分と余っているので、最後の贅沢として宿泊させてもらう事に。

キルギスの家庭料理の定番という、ポテトとキャベツの煮た物をメインディッシュに、食卓には数種類の食事が並ぶ。
こういう贅沢はしばらく味わえないだろうと、噛み締めるように味わった。

(走行ルート:Osh→Gulcha)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です