悪路後の一杯は人をダメにする〜Jalal Abadまで

Kazarman西70km~Jalal Abad
8/17 (1010days)

朝食を自炊して撤収を済ませた後、テントを張らせてもらったせめてものお礼に、チャイを注文していく。

キルギスではチャイを注文すると、大きなポットがドンっと出され、カップで5〜6杯は飲むことができる。
普段だと砂糖も付いてくるのだが、ここのユルトでは砂糖は別料金で10ソムも掛かる。

この時はケチ臭いのぉ…と思っていたのだが、これ以降、キルギスだけでなくタジキスタンも、ほとんどのレストランの砂糖が有料になった。
憶測だが、この悪路だと物流が安定しないので、すべての物品が貴重なのだろう。

昨日ソンクル湖以降で最大の峠を越え、今日もう少し走ればいよいよ幹線道路に合流する。
標高も760メートルまで下がるので、今日は楽勝だろう。

…そう思っていたのに、なぜ登る!?
しかも道はガタガタな上、斜度もきつい。

この道中で、日本人のモーターサイクリストとすれ違った。
ヨーロッパから日本方面へ、ユーラシア大陸を横断している途中とのこと。
その方いわく、「キルギスよりもタジキスタンの方が道が悪いね」とのこと。

信じられん…キルギスの、特にソンクル湖から現在地に至る道は、過去を振り返っても上位にくる酷さである。
それを上回るというのは、俄かに信じがたい、いや信じたくない。

しかしそんな悪路も、終わりを迎え、28キロ走った地点でアスファルトに!
スケートリンクを滑っているのかと思うくらいスムーズに進むし、石にタイヤを取られて転倒する心配もない。
未舗装路からアスファルトに戻る瞬間は、いつも感動的だ。

アスファルト舗装が開発されたのは1800年代で、日本では1878年に東京の神田昌平橋で用いられたのが最初らしい。
(参照サイト:一般社団法人 日本アスファルト協会

アスファルト舗装こそ世界最大の発明の一つだと思うのだが、発明者の名前が全く世に出てこないのは何故なのだろう。

13時ごろ、通過した集落でレストランに。
メニューはサモサ(中央アジア版肉饅)しかなく、 とりあえず3つ注文。

出てきたのが一つが拳大のサモサで、あまりの大きさにびっくりした。
齧ると肉汁がドバッと出てきて、口の周りも指もあっという間に油でベッタベタ。
でも、その油っぽさが今はとても心地がいい。

もう、パサパサのパンも味気ない料理も、食べなくていいんだ。
濃い味の料理が食べられるだけでとても幸せだ。

サモサを食べからジャララバードまでの道中は、退屈過ぎて全く写真を撮っていない。
風景はほとんど平坦な牧草地で、追い風にも乗って時速20キロ以上で進んでいく。

70キロ弱走り、ジャララバードに到着。
イシククル以降、久しぶりの大きな街で、3、4階建ての建物が普通に建っている。
4階建て程度で都会だと感じるんだから、相当にキルギスに毒されているな。

ジャララバードに安宿があるかは不安だったのだけど、無事520ソム(約800円)の宿も見つかった。
内装がだだっ広く、かつ殺風景なのが如何にも旧共産圏国の雰囲気という感じ。

さて、無事宿にも落ち着いたことで、お次は食事。
実はこの日、私の31回目の誕生日。

誕生日と、あの悪路を走破した日が重なるとはこれはめでたい。
今日はレストランで豪勢に行きますか!

普段は酒は飲まない私だけれど、この日の生ビールを注文。
喉を通り過ぎる時の、シュワシュワーっと喉を締め付ける様な炭酸の刺激が最高に堪らない。
ビールとはこれ程に美味い飲み物だったのか…!

料理はよくわからないけれど、肉とトマトとチーズがたくさん入ったものを注文。
とにかく味の濃い物をぶち込んでオーブンで焼いただけの料理が、今は最高に美味い。

いやー、悪路を走り終えたの後にこのジャンクフードは堪らん。
タジキスタンはキルギスよりも悪路だと言うけれど、それを走り終えた後のビールはこれ以上に美味いということか?
それなら私はアル中になってしまうんじゃないだろうか。

「あ、女将さんビールもう一丁ね。」
この日はビールが嫌に進んだのだった。

(走行ルート:Kazarman西70km→Jalal Abad)

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