取り残された集落〜Kazarmanまで

Akkyl西60km~Kazarman
8/14 (1007days)
朝食を食べ、出発しようとすると、あまりの自転車の汚さに驚いた。
車が巻き上げる砂埃でフレームもチェーンも真っ白になっている。
私は自分が汚れているのは気にしないのだが、自転車が汚れたり濡れたりするのには我慢ならない。
ブラシで汚れを落とし、チェーンに油を注してから出発する。
昨夜は丘の影にテントを張ったのだが、その山側、ちょうどテントの頭上辺りで車が通る音を何度か聞いていた。
こんな険しい所に一般道は通さないだろうから、多分ローカル道だろうと思っていたのだが、数キロ走って私がテントを張っていた場所を見下ろす位置に来たので、ばっちり一般道だった。
ということは私のテントはここからは丸見えだったはずで、野宿するには最悪の条件だったことになる。
私が野宿地を選ぶ条件として、’寝ている間に誰も来ない’ or ‘寝ている間に誰かが側にいてくれる’ということを前提にしている。
前者は奥深い森林や砂漠などの過疎地帯、後者は交番やガソリンスタンドという場所になる。
昨日の場所は、中途半端に丘の死角になっているのに、見つかる可能性も孕んでいる。
もし襲われた場合、通りがかった車に見つけてもらえない…という最悪の事態に発展するかもしれないわけだ。
これは大いに反省すべき点であり、野宿というのは慎重に慎重を重ねてすべきだというのが、私の持論。
途中、紙の地図には載らないような規模の集落が、いくつかある。
その集落の背後にある山がすべからく茶色で、形も相まって砂丘に見える。
その大砂丘が、今にも集落を飲み込まんとしているようだ。
規模としては想像以上に大きいのだが、ぱっと見る限りは商店らしき建物は見えない。
しかしこれで規模が大きい集落と感じるのは、キルギスに完全に毒されてるな…
今東京とかにいったらスクランブル交差点とかで失神しちゃうんではないか。
車は古く、家もぼろく、どの家の横にも家畜の餌となる草が大量に積み重なっている。
インターネットが世界中を繋ぐこの時代に、この集落だけが時代に取り残されているようだ。
いや、この集落独自の時間の流れや雰囲気を守っている…というべきか。
しかし、間違いなくこんな過疎集落にもインターネットは通じているはずであり、都会や他の国の様子を見ることができるだろう。
ここに住む人がネットを通して外界の事を知る時、どのような心境になるのだろう?
この集落を出たいと願うのだろうか?
都会の煌びやかな生活を羨むのだろうか?
はたまた忙しくする都会人の様子を見て、この土地に暮らしてよかったと思うのだろうか?
集落を抜けると、上りが始まる。
7キロ程上りが続き、標高2,200メートルまで達する。
ここからは斜度12%で一気に下りが始まる。
ちなみにこれまで写真は撮ってこなかったのだが、これまで見たキルギスの斜度標識は全て12%と記されている。
確かにキルギスの坂は斜度がきついと思うのだが、緩やかな坂でも12%と表記されている。
これはあまりに坂が多すぎて、「もう全部12%でいいんじゃね?発注するの面倒くさいし」というキルギス国土交通省の怠慢だと、私は睨んでいる。
砂利にタイヤを取られて転けそうになりながら、急斜面を下っていく。
首都のビシュケクで後輪のハブ(ホイールの車軸)を交換してから、どうも滑りやすい気がする。
もしかしたら、スポークが緩んでタイヤが振れているのかもしれない。
下り始めて15キロ、谷底に到達。
川が流れているが真っ茶色で、昨日まで見られたような清流ではなく、とてもじゃないがここの水はフィルターを通しても飲みたくない。
谷底からは、キルギスには珍しい真っ平の道が続く。
山岳国家には有難い存在であるはずのフラットな道が、コルゲーションだらけのキルギスタンでは坂道以上に鬱陶しい。
コルゲーションを作る原因であり、砂埃を巻き上げて去っていく車には殺意しか湧かない。
お前らもフリントストーン家族みたいに岩でできた車を足で漕げや。
14時すぎ、Kazarman(カザルマン)という街に到着。
久しぶりに街といえる規模で、道はアスファルト舗装がされているし、ガソリンスタンド、レストランやスーパーマーケットもある。
地下水ポンプで水を補給していると、子ども達が4人くらいゾロゾロとやってきて、話しかけてきた。
こちらもロシア語で自己紹介程度のことは喋れるけれど、それ以上のことは話せない。
子ども達が身振り手振りで伝えようとしてくるので、こちらも頑張って理解しようとする。
しかし、どうやら向こうが伝えたいのは「金をくれ」ということだったらしく、ガッカリ。
本当、こんなに金をせびられるのはキルギスが初めてだ。
まぁ、断るとあっさり諦めてくれるので、そこまで不快感はないけれど。
カザルマンで肉の缶詰や野菜などの食料を買い足して出発。
…したのだが、カザルマンから5キロ程走ったところで前方からフランス人のカップル自転車旅行者がやってきた。
彼等と話してみると、なんとタジキスタンのEビザ取得に5日間も待たされたらしい。
しかも、人によっては二週間待たされたらしい…とも言うではないか。
私はこれからタジキスタンに向かうのであり、そのビザの申請は入国直前にしようと計画していた。
本来は申請翌日には発給されるらしいのだが、繁忙期である夏の間は発給が遅れることもあるらしい。
カザルマンからタジキスタン国境までは、距離だけなら一週間でいけるくらいであり、二週間も待たされたのでは堪ったもんじゃない。
フランス人カップルと別れた後、しばらく路上で考えた末、カザルマンに引き返すことに。
そしてカザルマンでwifiを捕まえて、ビザの申請をしよう。
さっきカザルマンを通過した時、ホテルはなさそうだったので、SIMカードを買おう。
ということで、携帯ショップでSIMカードを買い、商店の前に座り込んで作業開始。
しかしこのSIMカードの通信速度がまぁ〜遅い。
キルギスで7,000円で買った激安スマホがへっぽこ過ぎるのもあると思うのだが、申請画面が全く動作しない。
しかもタジキスタンのビザ申請画面が、10分くらいで申請完了しないとタイムアウトする仕組み。
せっかく入力終わったのが「時間切れ〜」とやり直しを3回くらい喰らった所でスマホを投げた。
すっかり困り果てていると、通りがかった若者が声を掛けてくれた。
ロシア語での会話のため、よく分からないのだが「困ってるなら今晩俺の家に泊まりにこい」と言ってくれているらしい。
カザルマンにはホテルが無さそうだったので、それはとても助かる。
お願いするよ、と頼むと、「買い物するからここでちょっと待ってろ」と言い、10分くらいん待った後、ビールをしこたま買い込んで彼は商店から出てきた。
そのまま何故か公園に連れて行かれ、公園で数人の男たちとビールを飲み、最終的には「ホテルに泊まれ」ということになった。
何だかよく分からん展開だけれど、ホテルあるんだカザルマン。
メインストリートから外れた路地に若者に連れて行かれたのだが、この路地にある家はほぼ全てゲストハウスになっているらしい。
ただ、どこもゲストハウスという看板を出していない。
さすがにこれじゃ、案内してもらわないと気付かんよ。
ドミトリー一泊朝食付きで800ソム(約1,240円)とちょっと高いけれど、Wi-Fiが使えるので、これでビザの申請はできる。
タジキスタンのビザ申請が高く、パミール高原へ入るためのパーミットと合わせて70ドルもする。
Wi-Fiはさくさく動いてくれて、無事申請完了。
なんとか3日くらいで結果が出てくれると嬉しいのだけれど。
(走行ルート:Akkyl西60km→Kazarman)