ユルトに泊まろう〜Son Kol東12kmまで

Sarybulak南西8km~Son Kol東12km
8/9 (1002days)
テントを張っていた所は道路から随分と離れた丘の上で、この分なら誰にも見つからないだろうと思っていた。
それが、22時頃の真っ暗な時間になって急にテントの外から声を掛けられたものだからびっくりした。
自転車用スタンドに使っている木の棒を片手にテントを開けてみると、目の前に馬がいたから更にびっくりした。
どうやら遊牧民が家畜を回収した帰り道だったらしく、馬に乗った親父と少しだけロシア語で会話をした後、親父は去っていった。
遊牧民は視力が良く、モンゴル人なんかは視力5.0もある…なんて話をテレビで見たことがあるのだが、キルギス人もどうやらそうらしい。
こんな広大な丘で、真っ暗な中でテントを見つけられるとは全く思ってもいなかった。
そんなハプニングはあったものの、無事に朝を迎えることができた。
今日は厳しい道のりが予想されるので、早めの8時前には出発する。
いきなり急斜面の坂を下って、谷底の集落に到着。
ここで水1.5リットルを購入したのだが、40ソムと随分高い。
大型トラックでは難しいだろうが、普通に車は通る道なので、物流に滞りはなさそうだが…ボラれたのだろうか。
集落を出てからはアップダウンの連続。
景色はこの時点では特に綺麗なわけでもなく、黙々と進んでいく。
しばらくすると道にコルゲーションが現れた。
コルゲーションは別名ウォッシングボード(洗濯板)とも呼ばれ、確かに洗濯板そっくりの凹凸が未舗装路に現れる状態のことを指す。
このコルゲーションは自転車旅行者には天敵で、最も忌み嫌われている存在だ。
スピードを出してこれに突っ込むと、ガツンガツンと強い衝撃を受け、最悪自転車が壊れかねない。
時速10キロ以下でゆっくりこの上を進むしか対処法がないのだ。
重量60キロにもなる自転車を、意図的にスピードを緩めて凹凸の上を走るのは、車体を安定させるためにいつも以上に筋力が必要になるし、大きなストレスになる。
アップダウンの斜度がキツくないのに、このコルゲーションのせいで一気に道の難易度が数段跳ね上がる。
15キロ程進むと、谷の幅が広がり、視界が開けた所に出てきた。
草原が緑色の大河となって谷に流れているようで、とても美しい。
緑色は人の心の色を落ち着かせる…と言われており、コルゲーションのせいで怒りに沸き立った頭を落ち着かせるため、草原の大河を眺めながら小休止。
小休止以降も緩やかなアップダウンを進む。
コルゲーションも一部区間しかないので、全体的には楽勝の難易度。
ビシュケクのサクラゲストハウスで、ソンクル湖を走ってきた日本人バイク乗りに「あんな所自転車で走るなんて…」と言われたが、大したことはない。
これまで走ってきた道で「キツイ道ランキング」を作るとしたら、ここは選考外だ。
楽勝楽勝…と気分良く走っていたら、25キロ程走ったところで飛び込んできた光景に、冷や水をぶっ掛けられた様にサーっと上機嫌が醒めていった。
今進んでいる道が、左側に見える山に伸びていき、しかもエゲツない角度を伴って断崖絶壁の山肌を上へと向かっていくではないか。
この見た目はインパクト大で、50,000キロ以上走ってきてそれなりに自信を持っている私をも、ビビらせるには十分な迫力。
本当に行けるのか、この道。
これはちょっと考えを改めないといけない。
この道は、キツイ。
挑む前にパワーを補給していかなければ。
いざ尋常に勝負。
いきなりかなりキツイ斜度で出迎えてくれたが、漕げないこともない。
一番軽いギアでペダルを高速回転させて進んでいく。
案外行けるかと思ったのも束の間で、一気に斜度がキツくなり自転車に乗れなくなった。
漕いでいる時はさほど感じない60キロの重さも、一旦降りて押しが入るとズシリと腕にのし掛かってくる。
この時点で峠までは残りまだ10キロ。
時刻は13時半。
この調子じゃ峠に着く頃にはとっくに日没で、真っ暗だ。
それでも進むしかないので、前のめりになって自転車を押し上げる私の哀れな姿を見兼ねたのか、追い抜いていく車の何台かは止まり、「乗っていけ」と声を掛けてくれる。
一瞬本当に乗っけてもらおうかとも思ったのだが、まだ14時にもなっていないし、「俺ソンクル湖行ったんだよね(車で)」なんて格好悪くて誰にも家やしない。
ということでそれらの誘いは丁重にお断りし、残量に不安のあった水だけもらって再び自転車を押し上げていく。
悪いことは重なるもので、途中から雨がポツポツと降り始め、しかも強い向かい風のおまけ付きときた。
気温は一気にガクっと下り、屋根もない中で震えながらレインウェアを出し、既に濡れた体にそれを羽織る。
ただでさえキツイ道に、こんなオマケまで付けてくれるとは、キルギスさんは随分とサービス精神旺盛なことですこと。
数キロほど自転車を押したところで、ようやく自転車に乗れるくらいには斜度が緩くなった。
気付けば雨は上がり、あれだけ寒かったのに、今度は汗ばむくらいになってきてレインウェアを脱ぐ。
簡単に脱ぐって書いてるけど、登山靴を履いてるからそれを一々脱いで、ウェアを脱いで鞄に入れて、登山靴の靴紐を結んで…という超めんどう臭い一連の流れをこなさないといけない。
アウトドアブランドはいい加減、腕の袖から肩口、足の裾から腰に掛けてファスナーを備えて走りながら脱げるレインウェアを開発すべきだ。
もう既にそういうのがあるのなら、誰かご一報下さい。
即買います。
この地域に生える不思議な植物。
食べたら海に泳げなくなる代わりに、何かの能力に目覚めそう。
そして15時半、峠を登り切り標高3,200メートルでフィニッシュ!
前言撤回、旅行中でも十分ランキング選考内に残る道のりだった。
別に自分の能力を過信するわけではないけれど、自転車旅行初心者だと心が折れるだろうな、というくらいには厳しかった。
サクラゲストハウスには結構欧米人サイクリストも泊まっていて、明らかに初心者と思われる、新品のピカピカの自転車を組み立てているカップルも多数見かけた。
話しかけてみると、大体のカップルが短期旅行で、キルギスからタジキスタンを3〜4週間掛けて走るというのがほとんど。
ソンクル湖って欧米人サイクリストには結構人気なようで、キルギス走行ルートでは割と定番らしい。
彼氏に唆されて自転車旅行にデビューして、いきなりこのソンクル湖を走らされる事になった女性なんてのも、過去から現在に掛けてたくさんいるんだろうと思うと、ちょっと同情してしまう。
この峠付近で風景を眺めていると、後ろから来た車にブーッ!と思いっきりクラクションを鳴らされた。
私は道の脇にどいており、余裕で追い抜けるのにも関わらず、車は先へ行かずに私の後ろで停まってクラクションを鳴らし続ける。
明らかに「邪魔だからどけ」というクラクションであり、私もイラッときて「さっさと追い抜けよ」とジェスチャーを送る。
ドライバーは何が不満なのか、尚もクラクションを鳴らしてくる。
カッチーン。
私は本来短気な性格だ。ここまでコケにされて黙ってられる程、できた人間じゃない。
「車から出てこいや!シバいたるわ!」
犬叩き棒を振りかざして車の前に立ちはだかると、ドライバーも「上等じゃぁ!」みたいな感じで、車から飛び出してきた。
ドライバーは20歳前後の若者で、助手席と後部座席からもその連れと思われる若者が、合計3人出てきた。
数的不利だが、私にはこの犬叩き棒がある。
今にして思えばただの棒っ切に、何をそんな体そうな信頼を寄せているのかと思うが、この時は伝説の剣を手にしているかのような無敵感を感じ、鼻息を荒くしていた。
若者も鼻息荒く、一触即発状態。
どちらが先に殴りかかるか、という状況だったのだが、ドライバーの連れ達が間に入って宥め、私に「さっさと行け」とジェスチャーをする。
宥める若者越しにドライバーと数秒睨みあった後、取り敢えず私が去ることに。
去り際に車を一瞥すると、後輪がパンクしているではないか。
「はっはっはー!パンクしてるやんけ!ザマあみろ!バーカ!」と、散々罵倒の言葉を投げかけてダウンヒルへと入る。
ダウンヒルに入ると同時に、雨が降ってきた。
これが文字通り頭を冷やすってことですね。
って上手いこと言ってる場合違う。
未舗装路のダウンヒルで雨なんて降られたら、ブレーキシューが一気になくなる。
これは困ったな…
取り敢えずレインウェアを着込んで、テントが晴れそうな場所まで進むしかない。
雨に濡れながら下っていく中で、ユルトを何棟か見かける。
ユルトとは遊牧民の移動式テントだ。
遊牧民は家畜を育て、移動する時はテントを畳んで移動すると聞いたことがある。
モンゴルのゲルというのが有名だが、キルギスにもこういう移動式テントがあるのか。
何棟目かのユルトを通り過ぎる時、一棟のユルトから10歳くらいの女の子が飛び出してきて、ストップストップ!とこちらに走り寄ってきた。
女の子はちょっと英語が話せるようで、「ユルトでお茶と食事で休憩していきなよ」と言ってくれる。
雨はまだ降っているので、女の子に導かれるままにユルトへと向かう。
私にとっては、遊牧民のユルトを見るのも、内部へ入るのも初めての経験だ。
内部は意外と広く、窓はないけれど天井中央には天窓があり、そこから十分光が差し込んでくるため暗くはない。
ユルトに入るなり、お母さんが肉料理を出してくれた。
肉料理の他にもいろんなチーズやお菓子がたくさん出てきて、あっという間にテーブルを埋め尽くしてしまった。
新しいお菓子やチーズが出てくるたび、女の子があれこれと説明してくれる。
固形化されたチーズ。かなり硬い。
このユルトで作った手作りのバターやカイマック。
食事を食べ終えた頃にはもうすっかり夕方。
そしてユルトは宿泊もできるらしく、食事付きで1,000ソム(約1,600円)だという。
ちょっと高いけれど、折角だし、貴重な経験にお金を払うという気持ちで泊まっていくことに。
寝るにはまだ早いので、女の子と英語やロシア語で会話をして、お互いにキルギス語と日本語を教え合う。
そうこうしている内に、ユルトの外に車が停まった音が聞こえた。
女の子がユルトの外に出たので私も外に出てみると、あの喧嘩寸前に発展した車がすぐそこに停まっているではないか。
どうやらパンク修理をするためにここに立ち寄ったらしい。
そそくさとユルトの中に戻り、やり過ごす私。
しばらくするとエンジンが掛かる音が聞こえ、走り去ったようだ。
やれやれと思ったら、ユルトの中に若い男が入ってきた。
喧嘩寸前になった時、私とドライバーの間に入って宥めていた連れの一人だった。
向こうもこちらが誰か気付いたようで、気まずい空気が一瞬ユルトに漂う。
流石に頭が冷えるには十分過ぎるくらい時間が経っていたので、私から「さっきはごめんね」と言って握手を求めると、向こうもニコッと笑って握手してくれた。
まさか30歳にもなって、「ごめんね」「いいよ」なんて小学生みたいなやり取りするとは思わんかったわ。
その後は日没になるまで、女の子がユルトで飼っている家畜を紹介してくれたり。
今朝取れたばかりの牛乳だとか。
将来の番犬候補。
ユルトの中に入ってこようとする度に、女の子に「ダメでしょ!」と怒られていた。
日没が近くなると、お母さんがユルトの天窓を閉じ、寝る準備に入った。
天窓には長い紐が括り付けられており、ユルトの外で下から引っ張る事で閉じるという、超アナログなやり方。
ユルト一棟丸ごとを私に当てがってくれ、薪ストーブに火を入れて寒くならないようにしてくれた。
寝るのは敷布団と掛け布団で、何だか日本の田舎にきたみたいで懐かしい気分になる。
布団に入るなり、薪ストーブと布団の温もりですぐに心地よい眠気がやってきて、ぐっすりと寝入ってしまった。
(走行ルート:Sarybulak南西8km→Son Kol東12km)