いよいよ走り始め〜Bishkek東104kmまで

Bishkek~Bishkek東104km
8/6 (999days)
仲良くしてもらった人達と記念撮影をし、9時半に出発。
私と同じ日にサクラゲストハウスに投宿し、ロシア語学校を共にしたライダーの佐藤さんも、この日に出発。
ロシアのウラジオストックから始まった旅は、最終ゴールのポルトガルを目指して走るのだとか。
彼はバイク、私は自転車なので、もう会うことはないだろう。
日本でまた会いましょうと握手を交わし、いよいよ中央アジアの走行を開始。
キルギスの後はタジキスタンへ入国し、パミールハイウェイを走る予定でいる。
方角的には南下してキルギス第二の都市・オシュを経由してタジキスタンへ…ということになる。
オシュに至るまでにルートは大まかに二つ。
一つはキルギスの西を走るメイン国道を通り、最短距離でオシュへ。
もう一つはローカル道を東へ大きく遠回りし、オシュへ。
どちらのルートも標高4,000m近い峠を越える必要がある。
私は後者のローカル道を通るルートを走ることにした。
こちらのルートだと、キルギス最大の湖・イシククル湖と、秘境の湖・ソンクル湖に行くことができる。
このルートは厳しい山岳地帯走行になりそうだが、交通量も少なそうだし、景色もより良いものが見られそうだ。
ビシュケク市街地は大きなモスクがあったり、ちょっと小高いアパートがあったりするのだが、中心地から20キロも走れば殺風景な景色が広がる。
日本も東京の一極集中だ!なんて言われるけど、これぞ本物の一極集中。
それにしても暑い!
40℃近くあるのか、ペットボトルに補充した水が恐ろしい勢いで減っていく。
地元民にもこの暑さは堪えるのか、ぐったりきているジュース売りのおばちゃん。
40キロほど走り、昼食休憩に。
定食屋に入るも、キルギス料理の名前はほとんど知らないため、覚えたてのロシア語で「食べたい」とだけを伝える。
向こうの言っていることはほとんど分からないので、ただウンウンと頷くことしかできない。
数分後、運ばれてきたのは麺料理。
味はちょっとピリ辛で、韓国風の冷麺みたい。
ビシュケクではかなりの数の中華レストランがあったし、市場ではキムチが売られているのも見かけたので、こういう中華・韓国風の料理も身近なものとして食べられているのだろう。
途中、世界遺産となっているミナレット(塔)がある丘があるTokmokを通過。
丘までは20キロくらいあるらしく、しかも上り坂になるので、面倒臭くなってスルー。
しばらく自転車に乗らない時期が続くと、体力もそうだけれどモチベーションを元の水準に戻すのに時間が掛かる。
数日間はとにかく自転車を漕ぐことに必死で、他の事に体力時間を割くのが億劫になる。
一週間もすると、ようやく体も自転車の漕ぎ方を思い出し、自転車旅行を楽しむ余裕が出てくる。
街以外は本当に家が一切なく、一本道がひたすらに続く。
道路の左側、方角でいうと北側には山脈が途切れることなく続く。
この山脈がちょうど国境となっており、山の向こうはカザフスタンになる。
道は時々ガタガタになっている事もあるが、インドの最悪の路面状態を思えば、キルギスの道路は天国のようだ。
途中あまりにも暑く、商店でコーラを買って休憩していると、小さい兄妹が近寄ってきた。
恐らくキルギス語で話してくるので一切理解できないが、仕切りに商店の棚を指差して、何かを言ってくる。
どうやらジュースを奢ってくれと言っているのだろう。
ちょっと困っていると、商店の人が犬を追い払うかのように「シッシッ!」と兄妹を追い払った。
キルギスに入国した初日も少年に「金をくれ」と言われたし、キルギスは貧困層が多いのだろうか。
ビシュケクから100キロ走り、日没も近くなってきた。
周りは草原地帯でほとんど遮蔽物がないのだが、運良く丘になっているところを見つけ、その陰で野宿。
キルギスは山岳国家だと言われているのだが、初日は全くアップダウンもない平坦な道のりだったので、ちょうど良いリハビリになった。
後に、「キルギスには平坦な道など存在しない」というくらい、厳しい山岳地帯に苦しむことになるのだが、この時はそんなこと露知らず、呑気に眠りに就いたのだった。
(走行ルート:Bishkek→Bishkek東104km)