ビシュケク沈没記

Bishkek
7/19~8/5 (981~998days)

昨日着いた日本人宿・サクラゲストハウス。
これまでいくつか日本人宿は泊まってきたが、ここが今までで最も居心地が良い。
ほとんどの部屋に冷房があり、キッチン設備も整っている。

昼間は気温35℃以上になる夏のキルギスだが、暑くなったら中庭にあるプールで体を冷やし、ハンモックに揺られながら体を乾かすのは堪らなく快感だ。

そして同時期に宿泊していた日本人旅行者も、面白い人が多かった。
大陸横断ライダーや物理学者、元テレビマンに海外勤務豊富なエンジニアと、自転車旅行者のキャラが薄く感じるほどで、毎晩宴会をする日々。
私は普段ほとんど酒を飲まないのだが、ここサクラゲストハウスでは一年分以上の酒を飲んだ気がする。

前の記事で述べた中央アジア諸国のビザだが、イランの政情がこの時期余りよくなかった。
アメリカ軍のドローンを撃墜したり、サウジアラビアの油田をドローンで攻撃したりと、何だかきな臭い匂いがプンプンする。

サクラゲストハウスには欧米人自転車旅行者も数多く集まっており、彼等の多くはイランを走ってきているので、現状を聞いてみると「全く問題ない」という。
これからイランに行くという日本人旅行者もたくさんおり、実際には切羽詰まっていない状況なのかもしれない。

ただ、私はとにかく面倒事はごめんだというタイプで、ちょっとでもきな臭い匂いがするならそういう地域には近寄りたくない。

スラム街や治安悪化が叫ばれる地域に行き、何かを得たような気分に浸っている旅行者が、日本人には少なからずいる。
私個人的な意見としては、そういう地域に旅行者が行くのは愚の骨頂であり、殺してくれと言っているようなものだと思っている。

こういう臆病な性格が、治安の悪い中南米を走り切る事ができた要因であるとも思っている。
ということで、イランを走る事は早々に諦め、キルギス→タジキスタン→ウズベキスタン→カザフスタンと抜け、カスピ海をフェリーで渡り、アゼルバイジャンへと抜ける事に決めた。
このルートならビザが必要なのはタジキスタンとアゼルバイジャンのみで、しかも両国共にネットによるEビザが申請可能なので、面倒なこともない。

そして事実、この3ヶ月後の11月、イランでは首都・テヘランを中心に反政府でもが発生し、死者が1,000人を超える事態へと発展。
ちょうど私がイランを通過していたであろう時期の事であり、やはり自分の判断は正しかったのだと、記事を書いている現在、胸を撫で下ろしている。

さて、イランとトルクメニスタンのビザを申請する必要がなくなり、これでビシュケクに長居することもない…
そう思っていたのだが、サクラゲストハウスの居心地が良すぎて、出発する気に全くなれない。
同じ宿から抜けられなくなる、バックパッカー用語でいわゆる「沈没」というやつである。
仲良くなった日本人旅行者も、誰一人として出発する気配がないのも、沈没に拍車を掛けていた気がする。

日本人といると面白いのが、「食事」に関する話題が多いこと。
「あれが食べたい、これが食べたい」と、料理名がどんどん出てくる。
今まで旅行をしてきて気付いたのだが、食事のメニュー、バリエーションがあれだけ無数にある国は、日本くらい。
それだけ食に関して貪欲な人種なのだと、こういう会話を通して思い知らされる。

話題に出てくるメニューが余りにも魅力的な物ばかりなので、じゃあ自分で作ってしまおう!と、サクラゲストハウスではとにかく自炊しまくった。

カツ丼、鶏のポン酢炒め、タコライス…
コロッケや自作ポン酢で鍋なんかもやったりした。
ビシュケクの滞在中、ほとんど観光もしていなかったため、エンゲル係数は7割を超えてるんじゃないだろうか。


毎日ただただYoutubeの動画を見て、自炊で好きなものをたらふく食い、夜には気の合う旅行仲間と酒を飲む…

それはそれで楽しいのだが、日々何もしないことにちょっと罪悪感があるのも事実。
ということで、ビシュケク市街地にあるロシア語学校へ通うことに。

中央アジア諸国は数十年前前まで旧ソビエト圏だったこともあり、今でもロシア語が公用語になっている国が多い。
この様に、ある一つの言語が複数国に跨って公用語となっている場合、その言語を習得する意味は大いにあると思っている。

旅行をしていて、滞在している国の人と全くコミュニケーションが取れないというのは、かなりのストレスとなる。
しかしそれが、例えばベトナム語やタイ語、ヒンドゥー語の様に、その国でしか通用しない言語となると、習得するメリットというのは少ない。

その点、英語・スペイン語・ロシア語・フランス語辺りは公用語にしている国が非常に多く、長期旅行をする上で習得するメリットは大きい。

そういう訳で、もともとロシア語学習には興味があったので、同宿のユーラシア横断ライダー・佐藤さんと一緒に学校へ通うことに。
ライダーと自転車旅行者ということで旅行話に共通することが多く、そして非常にアウトドアの知識が豊富な佐藤さんは話をしていて面白く、つるんでいることが多かった。
彼のブログはこちら→とこ旅

授業はキルギス人の先生がマンツーマン(今回は先生1人と私達2人)でレッスンを行い、一日80分で600スム(約930円)。
テキストを用意してくれ、キリル文字の読み方や数字など初歩的なレッスンから入り、徐々に会話なども学ぶという内容。

佐藤さんのバイクの後部座席に乗せてもらい、週五日のレッスンを二週間こなした。
さすがに二週間で日常会話がこなせるレベルにはならないが、それでも挨拶や自分の意思をロシア語で伝えるレベルには到達することができた。
中央アジアの人々はとにかく声をよく掛けてくれるので、全く喋れずにただニコニコ笑顔を見せるだけ…という状況にはならず、最低限の事はこちらも返答できたので、たった二週間でも大いに役立った。

学校に行った帰りや休みの時にはバザールへ行き、自炊の材料を探す毎日。
キルギスの市場は活気があり、様々な色で溢れている。

ネパールやインドではこういった市場を見かける機会が少なく、またあったとしても品揃えが豊富ではなかった。
キルギスの様に物が豊富な市場は久しぶりで、とにかく楽しくて目移りしてしまう。


キルギスのパンは非常に特徴的。
丸くて艶があり、中央には模様が入れられている。
「ナン」という名前なのだが、インドのナンとは全く別の形。

結構店によって柔らかさや味が違い、本当に美味しい店のナンは、外側は程よい固さを持ちつつ中は柔らかく、それ単体で食べても美味しい。

ナンには蜂蜜やバターなどを付け、普通のパンの様にして食べるのだが、その中でも私が好きだったのはカイマックというクリーム。
恐らく牛乳を原料にしているクリームで、味は濃厚。

常温だと液状でほとんど水みたいな感じなのが、冷蔵庫に入れるとバターみたいに硬めになるのが面白い。

中央アジアでは主な宗教はイスラム教で、当然豚肉の摂取は禁止されている。
しかし、ここビシュケクではバザールで豚肉が堂々と売られており、午前中にやってこないと豚バラ肉が売り切れてしまう程、地元民にも食されている。

結局、中央アジアで豚肉が売られていたのはキルギスのビシュケクのみだった。
ビシュケクはムスリム(イスラム教徒)だけでなく、ロシア系や中国系の人も多く住んでいる。
そのため、そうした宗教的なルールには少し緩い面もあるのだろう。
豚が食えるというその恩恵を受けて、とにかく豚をふんだんに使ったメニューを自炊していた。

もちろん自炊ばかりではなく、偶に地元の料理も食べてみたり。
こちらはプロフ。所謂炊き込みご飯で、肉や野菜がたくさん入っている。
ちょっと脂っこいのが偶に傷。
バザールでは、人間一人が収まりそうなくらい巨大な鍋で炊き込まれていた。

こちらはシャウルマ。
日本だとケバブ、という方が馴染みがあるかもしれない。
回転する棒に蜂の巣みたいな肉の塊がくっ付いて、焼かれているのは多くの人が見たことあると思う。
その肉を削いで、野菜と一緒に生地に包んで食べるのがシャウルマ。

ファストフード感覚で地元民には親しまれている。
しかしその巨大さゆえに、とてもじゃないがファストとは言えないくらい、食べるのに時間が掛かる。

そして偶の贅沢として、日本食レストランにも行ってきた。
ビシュケクには「ふるさと」という日本食レストランがあり、オーナーさんが日本人なので本格的な日本食を食べる事ができる。

これまで世界中で何軒か日本食レストランには行った事があるが、ここふるさとでは蕎麦が食べられるということにはびっくりした。
蕎麦は海外ではまず間違いなく手に入らないので、わざわざ日本から輸入しているのだろう。

蕎麦と鯖鮨で1,500円程と長期旅行者には高い値段だが、味も申し分なく、納得も満足もする良い贅沢だった。

ビシュケクに到着して二日目、自転車に異変が現れた。
ペダルを漕がなくても、クランクが回転する現象が発生。
自分でハブ(ホイールの車軸)を分解してグリスを塗ってみても、症状は改善されない。
恐らくは後輪のハブ内部で何か不具合があるのだろう。
インドのレー・ラダック地方の悪路でのダメージが蓄積されていたのか…

これは困った…
中央アジアにはまともな自転車屋がなく、パーツの入手は困難を極めるというのが自転車旅行者の間での通説となっている。
しかも、これから走る予定のパミールハイウェイも、非常に険しい道のりだと言う。
万全の状態でないと、とてもじゃないが走りきる事はできないだろう。

最悪日本からパーツを送ってもらうことはできるが、調べてみるとキルギスは国際スピード郵便のサービス対象外。
航空便か船便しか対応しておらず、1ヶ月は掛かる見込みらしい。

取り敢えずダメ元でビシュケクにある自転車屋へ行き、修理できないか見てもらうことに。
調べておいた一番しっかりしてそうな自転車屋にまず行ってみた。

「今他の自転車修理がたて込んでるから、修理できないね」という、メカニックの一言。
確かに店の前には10台近い自転車が並んでいる。

仕方ないので、他に調べておいた自転車屋へ行ってみるが、どこも修理できないという。
そしてどこの店も決まって、「最初に行った自転車屋へ行け」という。
どうやらその店はビシュケクの自転車メカニックの間でも一目置かれているようだ。

結局4時間ほど自転車屋を巡った後、最初の店に戻ってきた。
「どの店も君の店を勧めてくるから戻ってきた、日数が掛かってもいいから自転車を見てくれないか?」と頼むと、メカニックは承諾してくれた。

自転車を預けてサクラゲストハウスへ戻ると、もうその頃にはメカニックからメッセージが届いていた。
ハブを分解したら内部のベアリングとワッシャーが割れており、ハブの交換が必須とのこと。
そして仕様変更に伴い、ディスクブレーキのローター、スポークの交換も必要になるらしい。

全て店にある在庫で対応可能で、明日には引き渡しできるとのことだった。
まさかキルギスでパーツの取り寄せもなく修理ができるとも思ってもいなかったので、これには随分驚いた。
しかも気を遣ってくれたのか、優先的に修理をしてくれることになったのもありがたい。

翌日自転車屋に行ってみると、すっかり治った自転車が。
ハブはSIMANOではなく、NOVATECというメーカーのものに。
メカニック曰く、SIMANOよりも耐久性は高いとのこと。

11速リアハブ、ディスクブレーキローター、スポーク36本交換。ホイール組み。
パーツ代工賃込みで3,500スム(約5,500円)と破格の値段。
こんなに安くて良いの!?と申し訳なくなる値段。

宿に戻る途中、すっかり治った自転車は滑る様に滑らかで、シャーっというハブの回転音が心地いい。

これならパミールハイウェイも無事走破できそうだ!

自転車屋はこちら↓
店名:ヴェロ・リデル
住所:226 Moskovskaya Street, Bishkek, キルギス (Google Mapより)

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