中央アジア編はじまります〜Bishkekまで

Gimmu~Bishkek
7/12~8/5 (974~998days)

7/12
3泊したGimmuをいよいよ離れる時。
お世話になったキャンプ場のみんなと一緒に記念撮影。

オーナーのバンティベアに「今度来るときは彼女でも連れてこいよ!」とハッパを掛けられ、再会を誓った。

北インドはザンスカール地方をはじめとして、魅力的な場所がたくさんある。
ぜひともまた訪れたいし、その時に誰かと一緒であればそんな嬉しいことはないだろう。

Gimmuからマナリまではバンティベアの友人のバンに、私とマニッシュの自転車を載せてもらい、ラダック地方を後にする。
標高3,800mのロタンパスを越えてマナリまで向かうのだが、そのロタンパスが九十九折の連続と悪質な路面状態、そして観光客による大渋滞が重なり、すっかり車酔いしてしまった。

ただひたすら目を閉じて、この地獄が終わるのを耐えるばかり。

午前6時半にGimmuを出発し、17時にマナリに到着。
マナリからは夜行バスに乗り換えてニューデリーへと向かう。
快適かはさておき、自転車込みで1,400ルピー(約2,000円)で580キロを移動できるのだから、海外の交通会社ってこれで利益出てるのか他人ながら心配になる。

7/13
翌朝9時過ぎ、バスはニューデリーに到着。
二週間近く一緒に過ごしたマニッシュとも、ここでお別れ。
彼はこれから電車に乗り、Haridwaniという街へと帰っていく。

彼には余りにも世話になりすぎた。
レーでの食事やキャンプ場、カヤック遊びやチベット仏教のお祭り…全て彼がいなければ経験できなかったことである。

私には二つ違いの実兄がいるのだが、マニッシュは兄と年齢が同じで、雰囲気や振る舞いもどことなく似ているところがあった。
彼自身も、私のことを「日本人の弟」と言ってくれ、本当に良くしてくれた。

彼に対しては、「サンキュー」という言葉は余りにも軽すぎるものになってしまう。
必ず再びインドに来て、一緒にバイクでラダック地方を旅行する事を約束し、がっちりと握手を交わしてお別れをした。

その後4日間をニューデリーにある日本人宿・サンタナで過ごした。
特に観光するわけでもなく、飛行機のフライトに備えて自転車屋へ行って梱包資材を揃えて準備したり、ひたすらに休息に努める日々。

そして7/17、いよいよフライト当日。
宿で自転車は箱詰めしていたため、シェアタクシーで空港へと向かう。

今回は既にパッキングが済んでいるため、後はチェックインするだけ。
ウズベキスタン空港を使用したのだが、自転車と超過分の料金がなんと25,000円!
実に私自身の航空チケット代と同じ価格。

自転車と装備の入った箱が34kg、預け荷物14kg、持ち込み荷物10キロという風に分けていたのだが、まさかこんなにも料金が掛かるとは…。

飛行機は定刻通りにデリーを飛び立つ。
窓からは険しいヒマラヤ山脈を見下ろせる。
しんどい箇所もあったヒマラヤ山脈での走行だったけど、いざ離れるとなると非常に寂しさを感じる。

18時過ぎ、乗り換え地点であるウズベキスタンのタシュケントに到着。
次の飛行機は12時間後のため、この日はトランジットエリアで空港泊。

ウズベキスタンはあくまでも乗り継ぎのため、入国するわけでもないのだが、トランジットエリアに入るだけでX線検査があるのに、旧社会主義国に入ることを実感させられる。

7/18
翌朝7時、飛行機はタシュケントを出発。
乗ること2時間、飛行機は目的地に到着。

中央アジア走行の出発地に私が選んだのは、キルギスの首都・ビシュケク。
中央アジアには、キルギスタンからタジキスタンに掛けて「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原が広がる。
高原にはパミールハイウェイと呼ばれる道が通され、標高は実に4,000mを超える。

パミールハイウェイはサイクリストにとっては憧れの地となっており、この道を走るために世界各地からサイクリストが集ってくる。
私も、パミールハイウェイを走るのをずっと夢見てきており、出発から3年半が経ってようやくその機会を迎えることができた。

さっそく空港の前で自転車を組み立てる。
パミール高原のイメージが強かったので、涼しいイメージがあったキルギスなのだが、陽射しが強くてとても暑い。
まだ走り出してもいないのに、作業している間にすっかり汗だくになってしまった。

2時間ほどかかってようやく組み立て完了し、ビシュケクの市街地へ向けて走り出す。

空港から市街地までは、ひたすらに畑が広がる。

道中、いくつかイスラム教のモスクがある。
中国からタイまでは仏教文化、ネパールとインドではヒンドゥー教文化の世界と走ってきた。
中央アジアからは国にもよるのだが、基本的にはイスラム教の世界となってくる。

宗教というのは言うまでもなく、その土地の人々の暮らしに深く影響するものであり、主となる宗教が変わると、新たな世界へやってきたというのを実感する。

宗教もそうだが言語も変化があり、キリル文字に。
基本はアルファベットだが、いくつかは初めて見る文字がある。

というか、こういう風に標識に注意が行くのはいつ以来だろうか。
中国の上海に降り立った時、あまりのドライバーマナーの悪さに驚いたものだ。
そのマナーの悪さは東南アジアの国境を跨ぐ毎に増していき、インドでピークを迎えた。

それらの国々を走る時は全神経を、それも周囲360度に集中しなければ事故に遭う可能性がある。
そのため、標識などを呑気に眺める余裕などなかったのだ。

それが今、こうして標識を見る余裕がある。
キルギスのドライバーは、驚くほどにマナーが良い。
距離は空けてくれるし、無駄なクラクションはならさない。

こういう事からも、新たな文化圏に来たのだと思わされる。

そして15時に、ビシュケク市街地に到着。
市街地を走りながら、建物や人々を観察してみる。

遥か古の時代に存在した、シルクロード。
キルギスはそのかつてのシルクロード上にある国だが、そういった歴史からか、暮らしている人々の人種はロシア系と思われる白人から、日本人そっくりのアジア系と、多岐に渡る。
こういう風に白人とアジア人種がちょうど半々くらいの割合で共存している国というのは、私にとって初めての事で、とても興味深い。

実は空港から走ってすぐの所で、スーパーマーケットに立ち寄っていた。
そこで白人の少年から「金をくれ」と物乞いを受けたのだが、白人の物乞いなんて初めてのことで、その事にも少々衝撃を受けたりもした。

何度も言うようだが、とにかく別の世界にやってきたんだ!という興奮が、フツフツと湧いてくる。

15時半過ぎ、サクラゲストハウスに到着。
ここは日本人のオーナーさんが経営する、いわゆる日本人宿。
宿泊客の多くは日本人バックパッカーなのだが、欧米人にも人気なのか外国人も結構いる。

確かに部屋の数も多いし、中庭にはハンモックやプールまであり、とても居心地が良さそうだ。

さて、中央アジアでの走行が始まるわけだが、世界一周サイクリストの間では中央アジア諸国は「面倒臭い国」として悪名高かった。
というのも、ほとんどの国でビザが必要であり、そのビザの取得がべらぼうに面倒だったのだ。
酷いところだと、通過ビザとして5日間しか滞在許可がでない国もあったりする。

上記で「だった」と過去形にしたのは、現在では国によって随分と緩和されてきたのだ。
キルギスはノービザで入国できるし、ウズベキスタン、カザフスタンも同様にノービザで入国できるようになった。

未だ厄介なのはトルクメニスタンとイランで、説明は省くが取得に至る経緯や条件が面倒臭い。
陸路走破にこだわるなら、この両国は避けて通ることはできず、ユーラシア大陸横断を目指す旅行者にとって小さくない障害となっている。

ちなみに陸路に拘らなければ、カザフスタンからアゼルバイジャンに掛け、カスピ海を抜けるフェリーが運行している。

私自身、陸路走破かフェリーを使うのかを決断しないままに中央アジアにやってきた。
陸路に拘るならトルクメニスタンとイランのビザは、ここキルギスで取得するのがベストだろう。

幸いサクラゲストハウスは居心地が良さそうだし、しばらく悩みながらルート計画を練る事になりそうだ。

(走行ルート:Gimmu→Dehli→Tashkent→Bishkek)

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