世界中のビー玉を〜Pangon Tsoまで

Tangtse~Karu
7/4 (966days)
昨晩テントを張らせてもらったレストランは午前中は営業していないとのことで、朝食を摂るならTangtseの集落中心にある本店の方へ来るように、と言われていた。
言われた通りに本店の方へ行くと、6時と早い時間だったにも関わらず、女将さんが心得たりとばかりに玄関を開けて待っていてくれた。
朝食を食べ、補給食のクッキーも買い足して6時半に出発。
パンゴン・ツォは標高4,300メートルにある湖で、Tangtseよりも400メートルばかり高い位置にある。
Tangtseから32キロと近いので、てっきりずっと上りが続くのかと思っていたが、意外にも平坦な道が続く。
マナリ・レーハイウェイは不毛の大地が広がり、生き物の姿も見かけなかった。
それが、パンゴン・ツォに続く道では、かなりの数のモルモットや馬を見かける。
パンゴン・ツォから流れる川によって谷が緑豊かなので、彼等にとってここは楽園のような場所なのだろう。
進むにつれ、徐々に上り坂が多くなってきた。
それに伴い、草原は薄れ、生き物も見かけなくなってきた。
風景は荒凉とし、目に入ってくる色彩は灰色、茶色ばかり。
坂を上り切り、崖に沿って進んでいくと、谷の合間にパンゴン・ツォが!
灰色と茶色ばかりの風景にあって、その青さは余りに鮮やかで、際立っている。
パンゴン・ツォ手前から始まる坂を下り終え、10時、遂にパンゴン・ツォの湖畔に到着。
水色や青色というよりも、パステルカラーという表現が一番近いだろうか。
かなり濃い目の色で、灰色や茶色にすっかり慣れてしまった目には、ちょっと鮮やかすぎるくらい。
そんなどぎつい色の印象が、本当に水際まで近づいてみると、余りにも透き通った水質で驚いてしまう。
薄らと青味を残した、それでいてガラスの様に透明な水。
世界中のビー玉を集めて溶かしたら、ちょうどこんな色になるんじゃないだろうか。
風はほとんどなく、観光客も私以外には数える程しかいない。
ほとんど無音な中でパンゴン・ツォを見ていると、透き通った青色の印象そのままに、爽やかな気分になってくるようだ。
インドに来る前から、是非とも来たいと思っていたパンゴン・ツォ。
許可書の関係で半ば諦めていたのだが、本当に来られて良かった。
写真撮影をした後は、湖畔にあるレストランで食事。
トゥクパとモモを注文。
やっぱりチベット圏の飯は日本人好みで、旨い。
道は湖畔に沿って続いている。
折角なので、少し走ってみることに。
少しすると九十九折が始まり、湖畔を離れて登っていく。
高い位置から見るパンゴン・ツォはまた、印象が変わったものになる。
この道を更に進むと、チベット文化圏の集落がいくつかあるのだが、もう満足したので来た道を引き返すことに。
レストランまで戻ってみると、驚いたことに観光客と車で湖畔は埋め尽くされている。車はざっと見ただけでも100台程はあるに違いない。
パンゴン・ツォは少し前にインド映画の舞台になったそうで、その関係で知名度と人気が上がったと、ガイドブックには書いてあった。
確かにガイドブックの通りで、ほんの二時間前の閑散具合からは信じられない程の混雑で、とてもじゃないが静かに湖の風景を楽しむなんて雰囲気じゃない。
午前中のタイミングで来られて、本当にラッキーだった。
さて、帰りはどうしたものか。
正直、また5,300メートルのチャン・ラ峠を越えるのも嫌だ。
ということで、ヒッチハイクをしてみることに。
これだけ車があるんだから、一台くらい乗せてくれる車もあるだろう。
最初の一台目は、怪訝な顔をされて断られた。
ただ、セダンタイプだったので、もし承諾してくれていたとしても
私の座るスペースが確保できていたか怪しかった。
その反省を活かし、次はバンの車に声を掛けてみる。
運転手に声を掛けると、「俺はいいけど、この車は顧客の貸し切りだから、顧客の許可が必要だ」とのこと。
その運転手がとても親切で、観光から戻ってきた乗客一人ひとり
に、私を乗せてもいいかを聞いてくれた。
そして乗客もこれまた親切で、誰一人ノーと言わず、晴れて私の乗車の許可が降りたのだった。
自転車はバンの屋根にしっかりと紐で括ってもらい、出発。
乗客は全員家族だったようで、インド南部から国内旅行に来たのだそう。
随分とお菓子をお裾分けしてもらった上に、途中休憩に立ち寄ったレストランで昼食までご馳走になってしまった。
レストランはチベット風の建物で、屋根は竹の様に細い植物で編み込まれ、家具もチベット特有の物が使われている。
昼食後は、チャン・ラに向けて本格的に上りが始まる。
思った以上に斜度がきつく、よくこんな道を進んできたもんだ…と我ながら思ってしまう。
その後はチャン・ラを通過して、18時半にKaruに到着。
運転手にお礼として500ルピーを渡し、無事キャンプ場に帰還。
世界で一番標高の高い峠・カルドゥン・ラに自転車で挑戦していたマニッシュとノフェルは、23時に帰還。
無事、カルドゥン・ラに到達できたとのことだった。
さて、パンゴン・ツォを走り終えた今、インドでやるべきことはもう、空港のある都市まで行くだけだ。
レーにも空港はあるが、情報が少なく、自転車を乗せられるか分からない。
レーをさらに北上すると、スリナガル、アムリトサルと大きな都市がある。
この二つの空港は大きな空港なので、間違いなく自転車も飛行機に積み込めるだろう。
マニッシュに、スリナガルかアムリトサルから飛行機に乗るつもりだと告げると、止めとけ、という返事が。
彼曰く、レーからアムリトサルまでは道が退屈だし、今は周辺地域の政情が悪いのだという。
スリナガル、アムリトサル周辺は、カシミール地方と呼ばれている地域になる。
昔からパキスタンとインドが領土を主張しあって争いが絶えないと、日本でも世界史で習うため、知っている人も多いだろう。
事実、数ヶ月前にはカシミール地方でパキスタン軍がインド軍の戦闘機を撃墜し、一時戦闘状態の超緊張状態に陥っていたのである。
今は少し落ち着いたとは言うが、いつまた緊張状態に入るか分からない状態だという。
マニッシュは数日間Karuで滞在した後、バスでニューデリーへ行くという。
私も一緒にバスでニューデリーまで行き、ニューデリーから
飛行機を乗る方が良いと提案してくれた。
私自身、紛争地域にわざわざ自転車で突っ込むリスクは取りたくないので、マニッシュの提案に乗っからせてもらうことに。
ということで、急に訪れたインド自転車走行終了。
(走行ルート:Tangtse→Pangon Tso→Karu)
以前、似たようなルートでラダック自転車旅をした者です。
(沖野さんのように長旅ではないです)
なんだか、久しぶりにラダックの空気を吸えた気がしました。
ありがとうございます。
コロナ禍で一時帰国中とのことですが、続編、楽しみにしています。
初めまして、コメントありがとうございます。
HPの写真と文章、拝見しました。お世辞抜きで、素晴らしい写真と文章です。
写真に写るどの人も生き生きとしていて、特に「仏の眼をしている」少女のポートレートは心打たれる物があります。
私の時は、ツォ・モリリやツォ・カルの方面は軍のチェックが厳しいとの事で、走行が難しそうで諦めてしまいました。
写真を見るに、諦めずにとりあえず突っ込んでみればよかったなぁ…と思わされる、美しいレポートでした。
ラダックのレポート以外も、ぜひ読ませて頂きます。