最初にして最大の難関〜Tangtseまで

Karu~Tangtse
7/3 (965days)

パンゴン・ツォまで、Karuからおよそ120キロ程。
途中に5,300メートルの峠・Chang La(チャン・ラ峠)を越える必要があるため、二日間は掛かるだろう。

夜明け前の5時に、キャンプ場を出発する。
荷物のほとんどをキャンプ場に置いてきているため、自転車がとてつもなく軽く感じる。

パンゴン・ツォへと向かう道はちょうどKaruから分岐しており、その分岐には警察のチェックポイントがある。

近年、パンゴン・ツォは個人旅行者に対する取締りが厳しくなっており、ソロの旅行者はチェックポイントを通過できない事も珍しくない…と言われている。
実際、レーにある日本人経営の旅行代理店に問い合わせをしても、依然として取締りは厳しいままだという話だった。

チェックポイントは合計2箇所。
ここKaruにある物と、チャン・ラ峠を越えた先のTangtseという集落にある。

Tangtseのチェックに関しては、距離80キロ、5,300メートルの峠を自転車で越えてきた人間に「ここから先は行けないから来た道を戻れ」なんて無慈悲な事は言わないだろう…と楽観視している。
そのため、出発して1キロにも満たない、このKaruのチェックポイントが最初にして最大の難所ということになる。

警察署の門を開けて敷地内に入るが、窓口には誰も座っていない。
デスクの後ろにベッドがあり、当直がそこで眠っている。
早すぎて申し訳ないのだが、彼を叩き起こして許可書をチェックしてもらう。

寝起きで不機嫌な当直は、私の申請書に目を落とした後、「この申請書に記載されている、他の旅行者は?」と尋ねてきた。
そう、本来許可はソロの旅行者には発行できない。
私の許可書は名簿上、他の旅行者のグループに便乗する形で発行されているのだ。

嘘のつきようがないので、正直に「俺一人だけで、自転車で行きます」と答えた。
当直は黙ったまま、ジーっと私を見つめている。
「あぁ、これは通過拒否か…」と半ば覚悟したのだが、彼は黙ったまま許可書にサインをし、さっさと行けと手で仕草を作った。
その瞬間、心の中で歓喜の雄叫びとガッツポーズを作る私。

これでパンゴン・ツォまでの門は開かれた。

チェックポイントからすぐに、じわじわと上りが始まる。
まだ陽が道に当たらない早朝で、体も温まらないためペースが上がらない。

Shaktiという集落でアスファルト舗装が終わり、未舗装路に変わった。
かれこれ1万キロ以上を走ってきたタイヤは溝がほとんどなくなっており、この未舗装路でずるっと滑ってしまう。
後輪だけでも替えてくるべきだったか…

標高が上がるにつれて、Shaktiの集落全体が見通せるようになってきた。
緑色の土地はほとんどが水田のようだ。
まるで緑の川が谷に流れているようで、なかなか壮観な風景。
でも、いくら目を凝らしても本物の川は集落内には流れているようには見えない。
どうやって、この水田を育む水源を確保しているのだろう?

山肌に沿って、だらっとした上りが延々と続く。
見える景色はほとんど変わらない。

途中、軍事車両が20台程通過していった。
中国との国境付近という事で、防衛上非常に神経質な土地なのだろう。
だからこそ許可書がいるような場所なんだろうけど。

チャン・ラまで残り5キロの地点で、標高5,000メートルに到達。
そして道は更に悪くなり、がれ場が多くなってきた。
バランスを保つために、体全身に力が入る。
力が入るとすぐに息があがり、立ち止まることが多くなってきた。

息が上がることに加え、岩と砂でタイヤが滑るため、自転車を乗ることができない。
見えているチャン・ラが実に遠いこと。

それでも自転車旅行の素晴らしい事は、ゾンビみたいな状態になっても進んでさえいれば、目的地に辿り着けること。

ちょうど正午、走り始めて43キロでようやくチャン・ラ到着!

標高は5,300メートル。
モニュメントには「世界で二番目に高い峠」とある。
あれ、タグラン・ラにも世界二位って書いてあったけど…
まぁ、標高5,600メートルで世界一位と言われているカルドゥン・ラも、インド軍の捏造で実際は5,400メートルだし、インドのする仕事なんて適当そのものなんだろうな。

チャン・ラには結構観光客がおり、私だけがモニュメントを占有するわけにもいかないため、パパッと撮影して離れる。

峠にはカフェはあるのだが、シーズンオフなのか閉まっている。
昼食にとかなり当てにしていたため、がっかり。
持ってきていたドライフルーツでカロリー摂取し、ダウンヒル開始。

ダウンヒルの序盤は、雪解け水が道路に浸水して川になっており、とてもじゃないが自転車には乗っていられない。

「チャン・ラ以降は下りがずっと続いて楽勝」とマニッシュから聞かされていた。
「嘘つき!」と憤っていたのだが、酷い状況は最初だけで、徐々に路面状態は良くなり、風景も良い感じに。

途中、インド軍の詰所があり、無料でお茶とお湯を提供しており、ありがたく頂く。
やるじゃんインド軍!

軍の詰所からしばらくしてレストランがあり、そこで昼食も取ることができた。

道は再びアスファルト舗装になり、インドで一番状態いいんじゃない?というくらいの滑らかさで、ガンガン下っていく。

しばらく走っていて、ふと視線を目線を下にすると、自転車のロックを落としていることに気付いた。
昼食の時にはまだあったので、それ以降に落としたことになる。
途中、工事中で未舗装路になっている所があったので、恐らくそこで落としたのだろう。

私が使っているのはABUS社製のブレードロックで、日本円で1万円以上もする。
装備品の中でもかなり上位にくる高額品で、簡単に諦めるわけにもいかない。
工事区間まで数キロ戻ってみたのだが、見つける事はできなかった。
恐らく、誰かが持っていってしまったのだろう。
鍵のないロックなんて、持っていっても仕方ないのに…

流石に額が額なので、落ち込みながら坂を降り続け、16時にTangtseの集落に到着。

Tangtseの入り口には警察のチェックポイントがある。
許可書を掲示すると、Karuの時と同様に、受付の女性が「他の旅行者は?」と聞いてきた。

一人であることを告げると、「本当は一人できちゃダメなんだけど、バッド・ガイね!」と冗談めかして言いつつサインをくれた。
この言い方を聞くに、どうやら本来はソロの個人旅行者の通過は未だにできないようだ。
自転車旅行者ということで、忖度してくれたのだろう。

もうすでに16時なので、寝る場所
ことを考えなくてはならない。
テントは持ってきているのだが、
許可書がなければ入れないような土地で、野宿が許されるのか分からない。

チェックポイントの受付の女性に、この地域での野宿は問題ないのか、と聞いてみると、「それは問題ない」とのことでホッとした。

Tangtseにはレストランがいくつかあり、その内の一つに許可を得て、敷地内にテントを張らせてもらえることに。

夕食はレストランで、ターリー。
明日にはパンゴン・ツォに到着できるだろう。

(走行ルート:Karu→Tangtse)

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