Tanglang La!〜Karuまで

Deburing~Karu
7/1〜7/2 (963~964days)

7/1
テント村において、これまでテント設置にお金を要求されたことはなかったのだが、ここDeburingでは今朝去り際に150ルピーを請求された。
ここを含め、毎回テントを張らせてもらう代わりに食事を注文していたのだが、もしかしたら本来はテント代も払わないといけなかったのかもしれない。

撤収し、テント村を去り際に、四日前にZing Zing Barの手前で出会っていたインド人サイクリストに再会。
彼の名前はマニッシュ。
普段はモーターバイク乗りなのだが、マナリ・レーハイウェイを自転車で走ることが夢だったとのことで、これが初めての自転車旅行なのだとか。

これから越える、マナリ・レーハイウェイの最後にして最高標高となる、Taglang La(タグラン・ラ峠)。
そのタグラン・ラを越えて100キロ走ったところが、ハイウェイの終着点となるレーの街となる。
そのレーの手前35キロに、Karuという集落がある。
マニッシュいわく、そのKaruに知り合いの経営するキャンプ場があるのだそうで、今晩そこで落ち合おうと招待してくれた。

取り敢えず社交辞令としてありがたく受け取り、「もしタイミングと縁があれば、行くかもしれないな…」くらいに考えておいて、Deburingを出発する。

Deburingからしばらくは平坦な道が続く。
周囲には木々は一切生えておらず、正に不毛の大地。
それ故に、自分が進む道の先がどこに通じているか、手に取るようにはっきりと見える。

周囲の山よりも頭一つ抜き出ている、雪を被った岩山のあたりがタグラン・ラだろう。

走り始めて5キロ程して、上り坂が始まる。
傾斜は緩く、時速8キロから10キロ程の比較的いいペースで進んでいく。

この日も天気が良く、陽が当たっている所はかなり暖かい。
徐々に標高は上がっていき、気付いた時には今朝出発したDeburingは遙か下の所までやってきていた。

タグラン・ラまで残り6キロという所で、標高は5,000メートルを突破。
昨日は標高5,000メートルにもなると息苦しさを感じたが、この日はほとんど感じない。
高度順応はばっちりできている。

自分の走る道の脇を見やると、不毛の深い谷がどこまでも広がっている。
もちろん、自分はそれを見下ろす位置にいる。
この景色を見られるのは、数日間掛けて四つの峠を越えてきたからであり、かつ自分の足でここまでやってきたという達成感もある。

今地球上にいるほとんどの自転車乗りより高い場所を走っているんだと思うと、凄く気分が良いし、ちょっと感慨深くもある。

そして10時半。
遂にタグラン・ラに到着!
標高は5,360メートル!

これにてマナリ・レーハイウェイの五つの峠を完全制覇。

峠には、世界で二番目に高い峠である事を記したモニュメントと、ヒンドゥー教の祠がある。

標高5,360メートルというのは、私にとっては自転車で越えた物としては三番目に高い物で、最高標高ではない。
それでも、過去に越えたもっと標高の高い峠と同じくらい、ともすればその時よりも大きな喜びを感じるのは、フル積載の自転車で越えたからに他ならない。

普段、荷物と私の体重を合わせた90キロ強の重量を、私の愛車は支えて走っている。
私自身、特別に体力も筋力も優れたサイクリストではない。
この自転車があったからこそ、この三年間を走り続けられたという思いがある。

そして今、フル積載でも、世界で二番目に高い峠をも越えられる程に頑強で素晴らしい自転車であると、身をもって証明してくれた。
この自転車だからこそ、ここまで来られたのだという喜びを感じると共に、この自転車となら、これから先どんな場所でも走破できそうな気がしてくる。

さて、ひとしきり感慨にふけった後、いよいよダウンヒル。
上ってきた時と同様、眼下には深い谷が広がり、その谷を縫うようにして道が続いていく。

これまでの四つの峠とは違い、タグラン・ラの峠は完全舗装。
タイヤはアスファルトを確実に捉え、滑らかなシャーっという音をさせて坂を下っていく。
ペダルを漕がずに時速40キロも出るなんて、いつ以来の事だろう。

あっという間に標高4,000メートル前半まで下り、12時過ぎにRumtseという集落で昼休憩。

Rumtse以降も下り続け、チベット仏教のストゥーパ(仏塔)やゴンパ(寺院)が並ぶ集落を尻目に、颯爽と進んでいく。
途中で祈祷をしていたり、断崖絶壁に寺院があったりして、ここら辺は滞在してみても面白そうな場所に見えた。

チベット仏教の集落群を抜けると、ゴツゴツした岩が目立つ谷の合間を進むことに。
この谷の断層がピンクや茶色のグラデーションになっており、また奇岩も多く、とても地球には思えない風景が広がる。

もう峠を越える必要がない…という安心感からか、余裕を持って風景を眺めるのは久しぶりの事。
そういう訳からか、この辺りがマナリ・レーハイウェイでも特別綺麗な場所として印象に残っている。

飲んだら乗るな、的な。

標高3,400メートルまでくると下り坂も落ち着き、13時過ぎにUpshiの集落に到着。
本来の予定だと、このUpshiで泊まるつもりだったのだが、思った以上に順調に着いてしまった。

そういうことで、今朝にマニッシュに招待してもらったKaruまで進むことに。
Upshiにある軍のチェックポイントを抜けた後は、アップダウンの連続。
このアップダウンがことの他キツく、大人しくUpshiで泊まっておくべきだったか…と少し後悔。
道中に軍事施設が多く、周辺は撮影禁止のため、黙々と進む。

そして16時、Karuに到着。
キャンプ場も無事発見し、マニッシュの友人であるオーナーのノフェルに事情を説明すると、一角にテントを張ることを快諾してくれた。

マニッシュは私に遅れること19時に到着。
再会を喜び合った後、夕食を取ることに。

マニッシュに「レー以降の予定はどうするんだ?」と聞かれたので、「実はパンゴン・ツォに行ってみたいんだけど」と相談してみた。

パンゴン・ツォというのは、インドとチベットとの国境近くにある湖のこと。
青く透き通った湖で、ガイドブックで写真を見た時からぜひ行ってみたいと思っていたのだ。

しかし、パンゴン・ツォに行くには許可書が必要になる。
以前は個人観光客でも許可書を得られたのだが、数年前から個人旅行者に対する取締りが厳しくなっており、取得が難しいらしい。
運良く許可書を得られても、軍のチェックポイントの通過を拒否される事例も珍しくない…という情報を、インターネット上で得ていた。

許可書関連の心配を相談してみたところ、「多分大丈夫、行けるいける」と食い気味で言うマニッシュとノフェル。
彼ら二人はカルドゥン・ラという世界最高標高の峠に自転車で行く予定であり、そこも許可書が必要になる。
翌日、レーで許可書を取得しに行くつもりとのことで、ついでに私のパンゴン・ツォの許可書発行も手伝ってもらえることになった。

7/2
ノフェルの運転する車に乗り、3人でレーへと向かう。
レーは綺麗に整備されたツーリスティックな観光地で、
そこかしこに外国人観光客が歩いている。

丘の上には昔の宮殿があり、それが観光の目玉なのだが、今は許可書が最優先。

ツーリストオフィスに行くと、600ルピーで許可書を発行できるとのことでお願いする。
夕方以降に発行できるとのことで、その間はレーでマニッシュとノフェルと共にのんびりする。

ちなみにレーでの昼食とデザートは、全てマニッシュがお金を支払ってくれた。
お金を出そうとするとムッとして、「お前はインドにきてるんだから、俺のゲストなんだ。金なんか出すんじゃない」と嗜められてしまった。

許可書は夕方に無事発行され、受け取ることができた。
キャンプ場に帰ってからはパッキング。
荷物は最低限にし、キャンプ場に置いて向かう予定だ。

(Deburing→Karu→Leh→Karu)

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