晴れてなんぼ〜Zing Zing Barまで

Keylong~Upper Zing ZIng Bar
6/27 (959days)
Keylongの宿にはほとんど接続できなかったがWIfiがあり、天気予報上では今後1週間は晴れが続くとのことだった。
実際、今朝は快晴の天気で、ようやく私に運が回ってきたと言えよう。
朝食を食べ、7時過ぎに出発。
メロン味のかき氷の色をひっくり返したように、頂上は雪で白く、下は緑に染まる山が美しい。
やはり自転車旅行は晴れた日に走ってナンボだ。
標高3,100メートルのKeylongから、じわじわと標高を上げていく。
標高3,400メートルまで上ったところで、今度は再び下り坂に。
曲がりくねった道を下り切り、川沿いへと出てきた。
どうせなら、川沿いにずっと道を作ってくれればこんなにアップダウンしなくていいのに。
川沿いのJispaという集落に、10時前到着。
標高は3,200メートル。
今日は標高4,200メートルのUpper ZIng ZIng Barという所まで行く予定。
Jaspa以降、地図を見る限りはまともな集落は無さそうなので、ここでかなり早いが昼食休憩をとっていくことに。
Jispa以降も、川沿いにしばらく進んでいく。
氷河や雪解け水から溶けた水が渓谷に流れ込み、その川の色は薄い水色をしている。
絵具で汚れた筆を、バケツでちょちょっと洗った時の色に似ているかな。
川に架かる橋の手前に、軍のチェックポイントがあり、パスポートをチェックされる。
チェックを終え、橋を渡ると上り坂が始まる。
インド建国の祖・ガンジーが掃除をしようと呼びかけるスローガン。
イギリス統治下の当時、非暴力・被服従を呼びかけてインド独立を勝ち取ったガンジー。
今もしまだ生きていて、非投棄とか非逆走とかもガンジーが呼びかけてくれれば、メチャクチャ綺麗なインドになっていたというパラレルワールドもあったかもしれない。
橋を渡ってからは工事区間が増えてきた。
男だけではなく、村人総出で作業をしているのか、小さな子どもまで作業をしている。
随分と標高を上げて渓谷を見下ろすと、この辺りは三つの谷の合流地点になっており、合流した川が一つの流れとなり、私が走ってきたKeylongやその下流へと流れていくのが分かる。
森林限界に近づいてきたか、徐々に緑が薄れてきて、灰色や茶色といった大地の色剥き出しの風景になってきた。
雪解け水が道路に浸食しているところが何箇所かあり、水の深さは踝を超える高さまで達する事も。
靴からサンダルに履き替え、水の中に足を踏み入れて自転車を押すのだが、流石に冷たい。
40キロ走り、標高3,600メートルのPatsioという地名の場所に到着。
一応Patsioは紙地図上だと集落の扱いになっており、当初は昼ご飯をここで食べようと思っていた。
実際には、Patsioには軍の詰所しかなく、民家や商店なんかは存在しない。
Jispaで食べてて大正解だった。
Patsio以降もさらに標高を上げていく。
この辺りでインド人サイクリストに出会っており、後々彼とは深い関係になるのだが、それはまた後日。
14時過ぎ、標高4,000メートルのZing ZIng Barに到着。
ここにはディーゼルのスタンドと、テントが複数あるのみ。
私がこの日目指すUpper ZIng Zing Barは、更に標高200メートル上げた先にある。
ここにあるテントでチャイを飲んで小休止してから、この日の残り200メートルアップに備えて喝を入れる。
標高4,000メートルを超えると、それまでは山の頂上付近にあった雪が道路にまで迫り出してくるようになってきた。
九十九折は緩やかな斜度で、下り方面も上り方面も絶景、左右どちらも絶景という、自転車で走るには最高の道だ。
15時半、Upper Zing ZIng Barに到着。
標高は4,200メートル。まだ息苦しさは感じない。
ここはちょっとしたテント村になっており、レストランがいくつも軒を構えている。
その内の一軒にお願いし、脇でテントを張らせてもらうことに。
手持ちの食料はいくらかあるが、野菜や米は貴重なので、できるだけレストランを利用することに。
晩ご飯はダルライス。おかわりもできるし、自炊よりも量も食べられる。
夕暮れを迎えると、山には赤い陽射しが差し込む。
「快晴の中、絶景を楽しみ、夕暮れに染まる山を見る。これこそが山岳地帯の醍醐味だよなぁ」と一日を振り返る。
今日こそが、私のマナリ・レーハイウェイ走行初日だったのかもしれない。
マナリ・レーハイウェイ、俄然楽しみになってきた。
(走行ルート:Keylong→Upper ZIng Zing Bar)