カメラを立てろ〜Kazaまで

Dankhar~Rampur
6/16~6/19 (948~951days)

ーDankhar(ダンカール)には神聖な湖がある。
名前はそのままダンカール湖。

そんな話を地元民に聞いていたため、テントを仏教寺院の境内に残して朝一番に行ってみることにした。

ダンカールの入り口からトレッキングコースが湖に向かって伸びている。
コースはゴツゴツとした石が多く、そして結構急な道が続く。

40分ほど掛けて、ダンカール湖らしき所に到着。
らしき…というのも、ダンカール湖に関する説明がなされた看板はあるのだけれど、水が全く存在しないのだ。

もう少し奥に進んだところにようやく僅かばかりに水が残された湖があり、その畔にストゥーパ(チベット仏教の仏塔)が残されている。

曇り空ということもあり、水の色も黒ずんで見えてしまい、ちょっと期待外れだった。
晴れていて、かつ雨季の時期にくるともっと美しいのだろうか。
とはいっても、確かインドは今くらいが雨季のはずなので、単純に干上がってしまったのだろうか。

テントに戻り、撤収準備をしているとインド人の家族に声を掛けてもらった。
インド南部のコルカタ出身だそうで、家族で旅行に来たのだという。
「テントを片付けたらレストランにおいでよ」とお誘いを受け、チャイやお菓子をご馳走してもらった。

彼等とチャイを飲みながら話したのだが、彼等曰く、デリー以北は北インドになるのだそう。
それに当てはめると、私は今のところ北インドしか知らないことになる。

そして彼等南部出身のインド人に言わせると、「南インドこそ至高!」なのだそう。
なんでも北と南でインド人の性格も文化も丸っ切り違うのだそうで、「食事も風景も人の良さも、南部の方が断然上よ!絶対南インドにもおいでよ!」と言う。
まぁこれは、関西出身者が「関東の人間は冷たいで!食事は全部味濃くてかなわんし、やっぱ飯は関西が一番や!」と言うのと同じで、かなりのエコ贔屓が加わっているとは思うが…

インドを走り終えた記事作成段階の感想だが、私は首都・デリーは嫌いだけど、北インドは好きだ。
雄大な自然が残されており、素朴で親切な人々が住む北インドは、とても穏やかな空気が流れている。
インドでは主に交通マナーでムカつく事が多かったけど、思い出深い国の上位に食い込むくらいだ。

インドは一度の滞在で全て周り切るには、あまりに大きすぎる国土を持っている。
彼等の言う様に、いつか南インドにも訪れてみたい。

さて、彼等とお別れをし、9時半に出発する。
ダンカールの出口から未舗装路の下り坂が、谷底まで続く。

ダンカールに来た時と同じ様に、周りを雪山で囲まれた素晴らしい景色が広がり、何度も写真を撮ってしまう。

余談になるが、私は再出発して以降、三脚を立てて自撮りをたくさん撮影するようにしている。

出発から2年半が過ぎ、ヨーロッパから一時帰国した時。
父がブログに掲載していた写真を全て現像し、アルバムにしてくれていた。
2年半の旅行は、分厚いアルバムにして7冊もの量になっていた。

アルバムに全て目を通し、「あぁここは良かったなぁ」「こんな人達と会ったなぁ」と思い出に耽っていたのだが、あることに気づいた。
自分が写っている写真が圧倒的に少ないのだ。

自転車を止め、風景と自転車だけが写っている写真はたくさんある。
しかし、自分と自転車が写っている写真は、膨大な写真の中に数枚しかない。

私個人は当事者なので、頭の記憶から走行中の風景を思い返せる。
しかし、他者がこのアルバムを見た場合、「自転車旅行者が
どのようにして走り、風景を見ているのか」ということを想像し、共感することは難しいのではないか…と思うに至った。

それに、もし将来私に子どもができたとして、その子どもにアルバムを見せて「お父さんは若い頃、自転車で世界一周したんだぞぉ」と言っても、私自身が写っていないのでは「嘘ついてんじゃないのぉ」と言われかねない。

ということで、一時帰国中に三脚を買い、ここぞというところではこうして自撮りをするようになった。
重たい自転車を止め、三脚を立ててタイマーをセットし、撮影後は三脚を回収して…というのは非常に面倒だ。

ただ、その面倒を押してでも、自撮りをすべきだという事を、これから自転車旅行を始めようという人には声を大にして言いたい。

何故なら、フル積載の自転車に乗った人間が映る風景写真なんて、
我々自転車旅行者にしか撮影できない。
それに、思い入れのある場所で写真に収まる、自転車に跨った自分の顔は、とても良い表情をしているのだから。

こうして何枚か自撮りを撮影した後、ダンカールから続く下り坂を終えてメイン道路に合流。

10キロ進んだところで集落があり、食堂でチョウミンを注文する。
チョウミンはチベット風焼きそばで、掛かっているソースもほとんど日本の焼きそばに近い味をしている。

「チベット人は日本人に顔付きがそっくりだ」という事は、世間的にもよく言われている。
事実、私もネパールやインドではチベット人に間違えられた事もある。
顔付きだけでなく、チョウミンやモモといい、食文化も似通った所があるのは果たして偶然の産物なのだろうか。

食堂を離れ、しばらく走るとピン・バレーへと続く分岐が現れる。
インド人曰く、このピン・バレーがスピティバレー上で最も美しい場所なのだとか。
残念ながら今回は滞在日数の都合もあるし、積雪通行止めになっている峠の件もあるので、スルーすることに。

川沿いに進む道が続き、崖側には時折奇岩が現れる。

土台になってる柱と、天辺に乗っかっている岩は明らかに別物だと思うのだけれど、どうやって乗っかったのだろう?

その後も川沿いに走り続け、ダンカールから28キロ、13時過ぎにKaza(カザ)に到着。

スピティバレー最大の集落というだけあって、かなり大きな規模で、ホテルもレストランもあるし、極め付けはジャーマンベーカリー屋まである。

ホテルを探していると、おしゃれなレストランの軒先でオーナーと従業員に呼び止められた。
安いホテルを探していると言うと、従業員はわざわざ近くのホテルに赴いてヒンドゥー語でやり取りし、流暢な英語で私に通訳してくれた。

従業員はアキという名前で、インド人。
彼もバックパッカーで旅行者なのだが、カザが気に入り、今はレストランでボランティアとして働いているのだとか。

レストランのオーナーとアキは、私にとても良くしてくれた。
レストランでお茶をご馳走してくれたり、アキは積雪通行止めとなっているクンズム・ラの状況を知るために、一緒に工事を管轄する会社に行って通訳をしてくれた。

結局、クンズム・ラの開通時期は工事会社にも分からないそうで、7月に入ってからになるかも…ということだった。
(その後伝え聞いた話によると、7月中旬ごろにようやく開通したのだとか)

カザに着いて2日間は休養を兼ねて、今後どうするを考えていたのだが、結局バスを使ってRampurまで戻る決断をした。
ローカルバスは満席だとのことで、シェアタクシーをチャーターすることに。
このタクシー会社との交渉も、アキが全てやってくれた。
本当に頭が上がらない。

そして後悔しているのが、なんでレストランのオーナーとアキの写真を撮っておかなかったんだということ。
彼等のスマートフォンで一緒に撮影し、後で送ってもらう約束をしていたのだが、結局その約束は果たされないまま…
もちろんFacebookのアカウントを渡していたのだが、カザはWifiが無く、メモでの交換だったため、紛失してしまったのだろう。

先述の自撮り件もそうだが、友人になった人とは自分のカメラで写真撮影をしなければならない…ということだろう。

カザには合計3泊し、6/19の早朝、シェアタクシーに自転車を積み込んで、6人ほどの乗客と一緒にカザを発った。
値段は1,700ルピー、Rampurまで12時間のバス旅だった。

グアテマラで体調不良にあった時以来、この旅行では2回目のバス輪行。
普段自転車旅行をしている身としては、体が動く内はバス旅行なんて絶対しないだろう…そう思わせるに十分な苦痛な12時間だった。

スピティバレーの素晴らしい風景は屋根と壁に阻まれて見えないし、知らない誰かと肩をぶつけ合って身動きもとれない。
やはり、旅行というのはバイクなり自転車なり、その風景と何の隔もない手段ですべきだと、改めて思いを強くした。

Rampurでは前回と同じホテルに投宿。
ここからマナリ・レーハイウェイのメイン道路に合流するには、一つ大きな峠を越えなければならない。

スピティバレーは残念な形で完走できなかったけど、この先はいよいよ標高5,000メートル
越えるインドのヒマラヤ山脈群での走行となる。
これは一時帰国して計画を練り直していた頃からの夢であり、本当に楽しみだ。

(走行ルート:Dankhar→Kaza→Rampur)

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