魔性のハンドル〜Panchkulaまで

Haridwar~Panchkula
6/3~6/4 (926~927days)

6/3
ハリドワールに到着して二日目に発症した体調不良も、ホテルのベッドでじっと何もせずに寝そべっていたらだいぶん良くなった。

下痢はなく、発熱と腰の怠さが主な症状だったので、水や食あたりではなく、疲労の蓄積による体調不良だったようだ。

あの悪路だけでも相当なストレスなのに、唯一の癒しである食にまで裏切られれば、インドで何を信用していいのか分からなくなるところだった。



ネパールもそうだったがインドも御多分に洩れず、正午以降は非常に暑い。
そういう訳で今朝は早朝6時にスタートしたのだが、そこはやはり聖地・ハリドワール 。
早朝の段階でガンジス川に沐浴に向かう人と、送迎のモトタクシーで既に路上は渋滞が出来つつあるレベルで混雑している。

360度全方位から鳴り響くクラクション。
こんな早朝からクラクションをステレオで聴くことができるなんて、う〜ん、なんて良い国なんだインド。

とっとと道を退きやがれ。

ようやく郊外を抜け、道路も広くなって渋滞は解消。
交通量も少なく、やれやれと一息つく事ができた。

ハリドワールへと向かう対向車線は大渋滞しており、しばらく横目でそれを眺めていたのだが、急に前方からクラクションがなって慌てて注意を前に向けると、逆走する車が突っ込んでくるではないか。

「くっそ!大渋滞で全然前が進まない!対向車線がガラ空きやんけ!そっち走ったろ!」
そう思う気持ちはよく分かる。日本の盆暮れの大渋滞の車中で何度そう思ったことか。
ただそれを実行する奴は、日本にはいない。

インドでは、誰かがそれを実行すると、我も我もと馬鹿どもが続々と続く。
中央分離帯を物ともせずに乗り越え、ガンガンこちら側の車線に逆走の波が押し寄せてくる。

救いようのないバカばっかりだ、この国は。

いかんいかん、ジュースで頭を冷やさないと、暑さも相まって頭が破裂してしまう。
そうなると私もバカになって、逆走しかねない。

途中、どこをどう間違えたのか、幹線道路を外れて田舎道に入ってしまった。
地図を見ると少々遠回りにはなるようだが、逆に車も少なくて落ち着いて走る事ができる。

この日の走行70キロ地点で、元の幹線道路に合流。
ハァ〜、またクラクションと排気ガスにもみくちゃにされて走るのか…

意気消沈していると、路肩のチャイ屋から声が掛かった。
チャイとはミルクティーの事で、インドではこれに砂糖をたっぷり入れて飲むのが人々の日常的な娯楽となっている。

ちょっと小休止していくか。
チャイを頼むと親父達は他にもドーナッツを出してくれた。
親父の片割れが英語が話せたので、少し話をしてから会計をしようとすると「お金はいらないよ」と言ってくれた。

そう、基本的にインド人は皆ものすごく親切なのだ。
ここ連日の記事ではインドの事をボロクソ書いている私だが、ドライバーがクソ野郎なだけで、インドの料理も人々も私は好きだ。

なぜこんなにも親切な人々が、ハンドルを握ると豹変してしまうのか…
日本には嘘か真か、握ると人を斬りたくなる妖刀という物があるという。

きっとインドの車は、ハンドルを握ると逆走したくなる妖車なのだろう。
そうでなければ、この親切な人々が運転する時だけクソ野郎に豹変する理由が説明できない。

途中、鉄道が通る線路に当たり、踏切が現れた。
この踏切、列車が来ないために一向に開く気配がない。

しびれを切らした人々が、その踏切を無理やりに潜って通過していく。
私はというと、昔に見た、列車の天井から車窓まで人がびっしりとしがみついているインドの写真が強烈に記憶にあり、それを見られるかも!ということで列車の通過を待ってみることに。

待っている間、子どもがすり寄ってきて「金をくれ」と声をかけてきた。
黙って無視していると、その子どもは私の元を離れ、同じく踏切待ちの車の窓ガラスに手と顔をべったりくっ付け、車内を覗き込んでいる。

しばらく待って金をくれないと分かると、また次の車に同じことを繰り返す。
これを何人もの子ども達がやっている。

車内にいる子ども達は、金をせびってくる子ども達をガラス越しに眺めている。
何とも哀れで、残酷な風景を見たようで、虚しい気分となった。

そこから少し進み、レストランで昼休憩。
カレーとロティを注文する。
ロティとは発酵させていないナンの事で、チャパティとも言う。

カレーを食べ終えて外に出ようとすると、ちょうどチャパティを焼き始めるところで見学させてもらった。

まず生地を薄く伸ばした後、タンドールと呼ばれる釜で焼く。
その焼き方が面白く、タンドールの内壁に生地を貼り付けて焼く。

チャパティは発酵させていないのでそこまでではないが、それでも徐々に膨らみを帯びていくのが分かる。

5分くらいして、長い鉄の棒でこそぎ取るようにしてチャパティを取り出す。
出来上がったチャパティはいい感じに小麦色で、とても美味しそう。

この日は110キロを走り、Yamunanagarの町で投宿。
安宿がなく、1,000ルピー(約1,500円)の宿。

そしてこの町にはレストランがなく、仕方なく卵と野菜を買ってホテルのトイレで自炊。

6/4
宿泊したホテルがまだ正式にオープンしていないのか、深夜の1時からひっきりなしに人間が出入りし、遂にはドリルで作業し出す始末。

我慢しきれなくなり、部屋を出て「うるさいぞ!」と一喝。
案外、インド人はそういう時に申し訳なさそうな態度を取ってくれる。
以降は、控えめにドタドタ作業をしていた。

そんなドタドタでぐっすり眠れるわけもなく、さっさと朝食を食べて6時半には出発。

この日は有料道路となっている幹線道路を走るようで、路面状態は完璧。
ちなみに有料は車だけで、原付と自転車は無料でスルー。

居眠り運転は、日本でも交通事故発生の大きな原因の一つだろう。
ちなみに居眠り運転は何も車だけのものではない。自転車でも起こりうる。

発生しやすい条件としては、極度の疲れに退屈な道が重なった時。
まさにこの時、寝不足と退屈な道という条件が重なり、ほとんど意識を失いかけて走っていた。

これ以上の走行は危険と判断。
運良く高速バスの乗合場所を発見し、そこで仮眠していくことに。

20分ほどの短い時間だったが、ベンチで横になって目を瞑るだけで随分とましになった。

日本の皆様も、運転中に眠くなったら無理をせずに路側帯へ。

この日65キロ入り、路肩に現れたレストランで昼休憩。
ビリヤニを注文。

ビリヤニとはカレーで煮込んだ米料理。
インドは料理の数は結構あるけれど、カレー味からは離れる事ができない。

このレストランがトラック運転手のための物か、簡易ベッドが設けられている。
というか、机の数よりベッドの数の方が多い。

ビリヤニを食べた後、このベッドで仮眠していくことに。
30分ほど熟睡しても何も文句を言われない点は、有難いこと。
普段は文句ばかりいうけど、そういう大雑把なところはインドの良いところだな。

その後も退屈な道が続き、90キロ走ったところにあるPanchkulaの街に14時半到着。

Panchkula以降は山岳地帯に入っていくことになる。
今朝の出発予定からここで一泊していくつもりだったのだが、この街は高級住宅街なのか、立派な住宅が並ぶばかりでホテルも商店も何もない。

結局10キロくらい走り回った挙句、ようやく一軒のホテルを車の修理工場が並ぶ一画で発見。

こんな立地の癖して値段は800ルピー(約1,200円)もするし、Wifiもない。
これまでインドの宿でWifiが拾えたのはハリドワールだけ。

この街から北上すると、サイクリストには有名なマナリ ・レーハイウェイへと続く。
マナリ・レーハイウェイはインド北部を通る軍用道路で、最大で標高5,300メートルに達する。
そしてチベット文化圏も近く、私が今いるヒンドゥー教圏とは全く別のインドの側面が見られるという。

このマナリ・レーハイウェイを走るのは、再出発以降からの悲願だったのだが、その前にちょっと寄り道していくことになる。

それはまた次回以降の記事で明らかに。

(走行ルート:Haridwar→Yamunanagar→Panchkula)

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