聖地・ハリドワール

Haridwar
6/1~6/2 (924~925days)
到着から一夜明け、今朝は休養日を兼ねてヒンドゥー教の聖地・ハリドワールを観光する事に。
さすがに聖地、さすがに週末ということだけあって、通りを埋め尽くす人の数。
ハリドワール自体はそこまで大きな町でもない。
そこにこの人数が集まってきてるんだから、昨日はホテルもなかなか見つからなかったわけだ。
ちなみにヒンドゥー教徒の数は全世界で11億人を誇り、これはキリスト教とイスラム教に次いで三番目の規模を誇る大宗教である。
その11億人の内、インド国内のヒンドゥー教徒が10億人という超内弁慶っぷり。
ハリドワールに沿って流れるガンジス川だが、沐浴をする場所は決められているらしい。
ホテルから15分ほど歩き、ようやく沐浴所に到着。
まだ午前中だが、既に川沿いを隙間なく埋める数の人が。
私のイメージする沐浴とは、手を胸の前に合わせて目を瞑り、静かに入水していく厳かなものだった。
実際には、海水浴場やプールで遊ぶかのように和気藹々とした雰囲気で、人々は互いに水をかけ合ったりしている。
ちょっと拍子抜けしたが、異教徒で目立つ私としては、こういう砕けた雰囲気の方が観光も写真撮影もしやすいというのもまた事実。
もちろん真面目に厳かな雰囲気で巡礼に来ている人もいて、僧侶と思われる人を囲んで真剣に話を聞く巡礼者の姿もある。
しばらく様子を眺めていると、ガンジス川は流れがきつく、沐浴するにもかなり苦労することがわかる。
沐浴している川沿いの段差には鎖が設置され、それに掴まりながら入水している人が多い。
そうしないと体が流されるくらい、水流の勢いが強いのだ。
そして川に架かる橋にも、同じく鎖がぶら下がっている。
これは流された人が捕まるために設置されたものだろう。
川の勢いとこれらの鎖を見るに、年に何回かは水難事故が起こっているのではないだろうか。
若者たちは橋の欄干に上り、度胸試しなのかそこから飛び込むという遊びをしている。
なかなか飛び込む決意が出ない者には、観客から囃し立てる声が飛び、見事な飛び込みを見せた者には讃えるように拍手・口笛が飛ぶ。
「ガンジス河でバタフライ」というエッセイが、過去に出版されている。
そのタイトルを受けて、日本のSNSではたまに「人様の宗教の聖地に行って、遊ぶとは何事!」みたいな批判をする人がいる。
インド人は、バタフライする以上にガンジス川をエンジョイしている事実。
私はというと、圧倒的なアウェー感と、これまでに見たインドの汚さを思い出して尻込みし、沐浴はせず、靴を脱いで足を川にちょっと付けるだけに留めた。
巡礼完了の歓喜で沸く巡礼者達の熱気とは裏腹に、足先で感じたガンジス川はひんやりと冷たく、心地よいものだった。
夕方17時からは焚き火が起こされ、火を囲みながらの巡礼と沐浴があるらしいのだが、正午過ぎから急に体が怠くなり、ホテルに戻って休んでいると発熱しだした。
インド走行三日目にして早くも食か水当りしたのか、はたまた余りの劣悪な走行環境に精神的に疲れたのか…
結局、ハリドワール には到着した日も含めて3泊することとなった。