こんなところにもいるもんだ〜Damauliまで

Malekhu〜Damauli
5/4 (896days)
6時半には起床し、7時には安宿の一階部分にあるレストランにて朝食をオーダー。
一分の隙もない朝の出だし。
なのに、席に着いて2時間経っても一向に朝食が運ばれてこない。
というか、レストランを切り盛りしている一人女将が全く動いている気配がない。
オーダーしたのは昨夜と同じくダルバート。
私以外にも当然ネパール人の客は来るのだが、彼らのオーダーが通ると女将はテキパキと動き出す。
彼らは一様に煎った豆の様なものを食べている。
結局、私のダルバートが運ばれてきたのは2時間半待った9時半になってから。
後ほど知ることになるのだが、どうやらダルバートは昼食から夕食に食べる物であり、朝食に頼んでもほぼ確実に断られるらしい。
そもそも、このレストランの厨房が薪ストーブなのであり、朝からガンガン日を焚かなければ作れないダルバートを頼んだ私の配慮が足らなかった。
結局走り出しは食べ終わった10時になってから。
インドビザの滞在日数のカウントが始まっている今、少しでもネパールでの滞在日数を削りたいのにこの出遅れは痛い。
幸か不幸か、川沿いにアップダウンの連続で進むこの道は風景に変化がなく、見所が無い。
そのため、足を止めて写真を撮る事がなく、走行に集中することができる。
そのままほとんどノンストップで40キロを走り、12時ごろに国道が分岐する所に位置する宿場町に到着。
朝食が遅かったため、私にしては珍しくこの時間になっても特にお腹も減っていない。
ということで、そこらの商店と屋台でバナナとコーラを購入して、小休止だけとることに。
ペットボトルのコーラが一本100ルピー(100円)と、ほとんど日本と変わらない価格。
かなり前に、「コーラはその国の物価を図る丁度良い指標」という事を書いたことがあるのだが、それに照らし合わせるとネパールはかなり物価が高い国ということになる。
実際はもちろんかなり安い国なのだが、単に私がボラれたのか、それともコカコーラの工場が国内に無くて輸入に頼っているためなのか、定かではない。
宿場町にはバスが引っ切り無しに到着しており、その都度バスにワラワラっと物売りが集まる。
客と物売りは窓越しにお金と商品の受け渡しをし、バスが出発すると物売りたちはササっと解散し、日陰に入って昼寝をしている。
しばらくは小さなアップダウンの連続で、特に苦労はなく進んでいく。
ネパール人はこれまでの東南アジア圏の国と同じく、人々はフレンドリーで、走っていると「ハロー!」という挨拶と共にハイタッチを求めてくる。
挨拶をされて悪い気分をする訳がなく、爽やかな気分で走ることができる。
その爽やかな気分が実感にも現れてくれればいいのだが、実際にはかなり暑い。
ほとんど樹が生えていない道路上に、殺人的な直射日光が降り注ぐ。
熱中症になっているんじゃないかというくらい体がオーバーヒートを起こし、日陰を見つける都度、小休止を入れる羽目に。
それでも何とかDumaleという集落に到着。
ここも分岐になっており、ここから北上すると私が目指すアンナプルナサーキット への入り口、ベジサハールの町へと向かうことになる。
ただ、フルパッキングの自転車でアンナプルナサーキットを走ることは自殺行為。
今はまだベジサハールには向かわず、ポカラで荷物を最小限にしてからまた戻ってくることになる。
Dumaleの町からは登りが始まる。
僅か7キロの間で約200メートルの標高アップなので、結構な勾配。
しばらく自転車で走っていなかった身としてはキツイ。
この日80キロ走り、Damauliという集落に到着。
入り口にアーチがあり、そこに鎌と槌が描かれている。
ネパール自体は民主主義の国なのだけれど、この集落では共産党を支持しているのかね?
Damauliは集落ではなく町の体を成しているため、簡単に宿が見つかるのかと思ったのだが、中心部に行っても全く見つからない。
流石にフルパッキングの自転車でウロウロしていると、町民の注目を浴びる。
これは埒が開かんと思い、町民に声を掛けてホテルが無いかを聞いてみる。
町民は丁寧に教えてくれ、お礼を言うと最後にはニコッと笑いかけてくれた。
ネパールのホテルはほぼ間違いなくレストランを併設しているスタイル。
エベレストの山小屋では併設のレストランで食べなければならないルールがあったが、下界では強制されることはない。
そうは言っても、部屋を出て一階部分のレストランを素通りし、別の場所でご飯を食べる…というのは私にとっては気不味い。
結局、いつも併設のレストランで食べることになる。
ただ、ここの宿の女将が作るチキンモモは、これまで食べた中で、そしてこれ以降でも一番美味しかった。
そしてこの日はネパールの母の日。
女将も当然母な訳で、この日は親戚がこのホテルに集って祝うという。
そして女将の息子の奥さん、つまり義理の娘さんが、中国人なのだけれどなんと高校生から10年以上日本で住んでいたのだとか。
しかも私の出身地にほど近い神戸で住んでいたらしい。
まさかこんな僻地で日本語が聞けるとは思ってもみなかった。
自然話は盛り上がり、終いには私までお祝いのケーキを頂いてしまった。
良い料理に気兼ねなく話せる母国語。最高ですね。
(走行ルート:Malekhu→Damauli)