山遊びのおわり〜Kathumanduまで

Pangboche~Kathumandu
4/22~4/24 (884~886days)

4/22
昨晩は空気が濃過ぎるのか、逆に寝苦しく感じる程で、そのままあまり寝付けずに朝を迎えた。

下山は登りに比べて2、3倍以上に距離を稼げるため、出発を急ぐ必要はない。
大分ゆっくりと準備して、8時半に出発。

早朝は快晴だったが、出発時には山に雲がかかっている。
Pangbocheの背後にある、標高6,783メートルのKangtegaはチベット仏教の聖山らしく、未踏峰の山なのだとガイドが教えてくれた。

なるほど、道中にあったストゥーパ(仏塔)は、このKangtegaに捧げるものだったのか。

登る方へ進むトレッカーの数がかなり多く、これはちょうど良いタイミングで下山したな、と思った。
というのも、トレッカーがあまりにも多い時は山小屋の部屋を確保するのが難しく、食事を注文しても長時間待たされる…と聞かされていたのだ。

10時過ぎ、Tangbocheの集落に到着。
ここには登りの時は通り過ぎた、EBCトレッキング上で最大のチベット仏教寺院があるので、それを見学していく事に。

内部は撮影禁止で紹介する事ができないのだが、僧侶がお経を唱える部屋があり、大仏を前にして僧侶たちの席が規則正しく並べられている。
僧侶はここで食事もとるらしく、席には朝食に使ったと思われる茶碗が置かれたままになっている。
内壁にはチベット仏教の物語と思わしき絵がずらっと書かれている。

観光地ではなく、今なお現役で僧侶が修行をしている寺院として、チベット仏教徒ではない私でも、特別な場所であることが雰囲気として感じ取れる。
教会や宗教施設には興味があり、これまでも中南米やヨーロッパでたくさん訪れてきたが、このTangbocheの仏教寺院はどんな立派な大聖堂よりも、厳粛な雰囲気があるように思えた。

Tangbocheを後にし、つづら折れの急坂を、谷底まで一気に下っていく。
谷底には食堂が並び、そこに複数台のマウンテンバイクが。

登っている時に仲良くなったガイドが「今は特別な許可なく、自転車でエベレストベースキャンプまで行って良くなったんだぜ」と教えてくれ、眉唾だったのだが、どうやら本当らしい。
彼等がどこまで進むのかわからないが、よく段差まみれのEBCトレッキングを自転車で進むもんだ。
かなりキツいに違いない。

ナムチェバザールには14時半到着、行きと同じ山小屋に向かう。
1時間遅れでエヴァンが到着し、チェックインしようとしたのだが、予約でフルという。
運良くキャンセルが出たため無事投宿する事ができたが、どうやら本当に今トレッカーの数が多いらしい。

10日ぶりにインターネットに接続してみると、何とフランスのノートルダム大聖堂
消失のニュースが報じられているではないか。
10日も経てば、世界は変わるのだ…。

4/23
帰りの飛行機のチケットはオープンチケット。
つまり、予定が前後しても日程を変更できる優れもの。

私の本来のフライト日は翌日24日の10時。
しかし、Ramechapの空港で二泊待たされた経験上、10時になると既にルクラの空港は雲に覆われており、恐らくは飛行機は飛ばないだろう。

今日の早い時間にルクラに着いて、フライトのチケットを翌日早朝の便に変更手続き、あわよくば今日の便でカトマンズに帰ってしまいたい。

ということで、相部屋のエヴァンを残して私だけ宿を早朝6時半に出発。
もし仮に今日の便に乗れなければ、今日の晩にルクラでまた会おう、と約束をしてとりあえずの別れの挨拶。

早い時間だとまだトレッカーがおらず、快適に進む事ができる。
ポーター達は既に働き出しており、馬に荷物を持たせて隊列を組んでいる。
そういえば標高が高い所では馬は全く見なかったけれど、寒さに弱いのだろうか?

転がるような勢いで下山していき、谷底の集落で朝食。
モモが200ルピー(200円)と、まだまだ高いけれどようやく注文できるくらいの値段になり、やっと下界に降りてきたんだなぁと実感する。

ここからは登り返しが始まり、これがかなりキツい。
背後を振り返ると、何という山か分からないけれど、雪山が姿を覗かせている。
やはり名残惜しく、何度も振り返りながら進んでいく。

ルクラに近づいていくと、ゴーッという音が聞こえ、飛行機が何機も飛んでいるのが見えた。
どうやらこの日は空港が稼働しているらしい。
今日中にカトマンズに帰れるぞ!そう思うと、進む足が速くなる。

そして12時半、ルクラに到着。
航空会社のオフィスは13時まで昼休憩らしく、私も昼休憩。
カトマンズに戻るとチベット食も食べないだろうから、トゥクパを注文。
日本のうどんに似た食べ物だ。

そして13時になりオフィスに向かうと、今日はカトマンズには飛べない、と言う。
どうやら昼休憩をしていたわずかな時間で天候が悪化し、空港が締まってしまったらしい。
そのかわり、翌朝の早朝のチケットに変更してもらうことができた。

その後、当初の取り決め通りエヴァンと合流し、相部屋ではないものの同じ宿に投宿。
彼は最後ということで、ヤクのハンバーガーを注文し、最初で最後の贅沢をしていた。
私はというと、このトレッキング中何度となく食べたダルバート。
やっぱり、自転車旅行者としては量が食えりゃそれでいい!という思考になるんだよなぁ。

4/24
私のフライトは8時発のチケットなので、6時半に空港へ。
エヴァンもキャンセルが出れば早い便に乗せてもらいたい…という事で一緒に向かう。

フライト時間の2時間前にチェックインが始まる…という一般常識は、ネパールでは通用しない。
「7時半にならないとチェックインカウンターは開かないよ」と言われた瞬間、「あ、これは定刻通りの出発は絶対無理だ」と悟る私。
それでもチェックインは言われた通り7時半にできたのは、小さな驚きではあったのだが。
エヴァンも無事、私と同じ便に変更してもらうことができた。

チェックイン時の天気は晴れ。
雲もほぼ無いため、今のところは順調に飛行機は発着している。

しかし改めて空港を見てみると、とんでもない構造だ。
滑走路は素人目に見ても短く、その先は切り立った崖。
ルクラの空港に着陸する時も恐怖を感じたけれど、いざ離陸するとなるとそれ以上だ。

着陸の場合は最悪事故にあっても、まだ速度は落ちている状態で壁や飛行機なんかに当たるわけで、生存確率はまだ高いだろう。
離陸の時に事故に遭う時は、飛行機は崖へ真っ逆さま。生存確率はゼロ。
そして日本のニュースが事故を報じる時、ニュースキャスターは嬉しそうに、「乗客に日本人はいませんでした…いや、いました」となるわけだ。

そして何より恐怖心を煽っているのが、事故を起こした飛行機の残骸だ。
10日前のこと、私がルクラの空港に着陸した1時間後に、飛行機とヘリコプターが接触する事故が発生していた。
その機体が、未だに滑走路脇に放置されているの
ちなみに、その事故でヘリコプター操縦士1名、警官2名が亡くなる大惨事だったのだ。

離陸する事に恐怖を感じつつも、やはり早くルクラから脱出してカトマンズへ帰りたい。
カトマンズへ帰って10日以上ぶりのホットシャワーを浴びて、ネット遊びして、日本食食べたい…

しかし、やはりと言っていいか、出発予定の8時になっても一向に案内は掛からない。
やがて、徐々にルクラ上空に雲が立ち込め始めた。
このままだと、いつ空港が閉鎖になるか分かったものじゃない。

半ばルクラで延泊する事を覚悟したのだが、9時半になりようやくアナウンスが!
乗客が乗り込み、たったの10分程で飛行機は滑走路へと動き出した。

あぁ、どうか無事に離陸してくれますように!
恐らく私以外の乗客全員、同じ思いだった事だろう。

飛行機は滑走路に真っ直ぐに機体を合わせた後、ジェットコースターの様に一気に加速。
あっという間に滑走路を離れて崖を越し、空へと飛び出した。

よかった…ヒマラヤの藻屑とならずに済んだ…
ホッとしたのと10日間に及ぶトレッキングの疲れで、あっという間に眠りに落ちた。
気付いた時には飛行機はもう、カトマンズの上空を飛んでおり、数分後には空港に到着。
時間的には45分ほどのフライトだったのだが、体感的には10分もなかったんじゃないか。

空港でタクシーを拾い、エヴァンと共にカトマンズの中心街へと帰る。
エヴァンが先にタクシーを降り、連絡先を交換して「じゃ、ギリシャでまた」と別れる。

タメル地区でタクシーを降り、看板の言語、歩いている人間の人種、電線、全てがごちゃごちゃしたカトマンズに戻ってきた。

自転車を預かってもらっていた宿に再び投宿。
トレッキングの疲れも溜まっているし、ドミトリー(相部屋)ではなく800ルピーと奮発して個室を取る事に。

シャワーを浴び、すぐさま日本食レストラン・絆へと向かう。
注文したのはカツ丼。

かーっ!美味いっ!
サクサクの衣に、出汁の効いた味噌汁。犯罪的な美味さ!
掻っ込むという表現そのままに、あっという間に平らげてしまった。

さてさて、トレッキングも成功に終わり、胃袋は満たされた。
しかし、カトマンズではゆっくりしてられない。
インドビザの取得に、次に計画しているちょっとチャレンジングなコースに必要な許可申請。

忙しくなるぞ!

(トレッキングルート:Pangboche→Namche Bazar→Lukla→Kathumandu)

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