EBCトレッキング初日〜Namche Bazarまで

Ramechap~Namche Bazar
4/14 (876days)
昨日は午前5時に集められ、炎天下の中を散々待たされた挙句に飛行機は飛ばず、何もないラメチャップの町にもう一泊…という地獄の1日だった。
この日も空港に5時半に集められる我々トレッカーの国際連合軍。
ヨーロピアン、アジアン、ロシアンにインド人と人種の坩堝と化している空港には、昨日にも続々と飛行機が着陸しては待機を余儀なくされ、待機人数は膨れ上がるばかり。
今朝の5時半には空港ロビーに入りきらないくらいの人で溢れ、押し合い圧し合いのごった返しになっている。
ラメチャップは晴れていても、トレッキングのスタート地点となるルクラの空港も同様に晴れている訳ではない…というのは、昨日で散々思い知らされた。
そして、この日の朝は決して快晴というわけではなく、少し靄が立ち込めている。
こりゃ、今日も飛ばないかもしれないなぁ…
そう半ば達観していたのだが、まだ日の出も迎えていない6時前に、空港職員が「飛行機が飛ぶぞ!早く搭乗準備をしろ!」と言うではないか。
空港には飛行機が8機程待機しており、私の便は待機順でいうと3番目。
1機、2機とあれよあれよと飛び立っていき、あっという間に私の便の順番に。
飛行機は滑走路上でプロペラの回転数を上げ、ウオンウオンと唸りを上げる。
ここまでは昨日も滑走路まではこれたんだ…飛び立つまでは安心できない。
そして飛行機は一気に加速し、ラメチャップの空港を飛び立った。
おぉ、これでやっとルクラに行けるんだ…。
半信半疑の空気が漂っていた機内が、空港を飛び立つと同時に、安堵による弛緩した空気へと変わっていく。
いや、ルクラの空港に到着するまで安心できない。
一昨日はラメチャップから飛び立ち、天候不良とのことで10分間のフライトの後に引き返す事になったのだ。
それだけ、山岳部の雲の動きは目まぐるしく変わる。
それにもう一つの懸念事項は、ルクラの空港は「世界で最も危険な空港」と呼ばれていることだ。
一つは上述のように変わりやすい天候。
もう一つは、その特殊な立地条件にある。
ルクラは切り立った山肌に張り付いた様な町で、平らな面は極々僅かである。
そんな土地に、まともな空港を作るスペースなどない。
そんな土地の条件を逆手に取った妙案だったのか、それしか方法がなかった苦渋の選択だったのかは分からないが、ルクラの滑走路は非常に距離が短く、そして山側を上にして崖側へ斜めに下っていくような形となっている。
要は滑り台の様な感じで、飛行機が自然と崖側に落ちていく力とエンジンの力を合わせ、短い滑走路でも十分に加速できるようにしているのである。
当然ながらこれは非常に危険な設計であり、実際に加速が足りずに崖にそのまま落下する事故が絶えないらしい…
そして前方に、そのルクラの空港が見え始めた。
実際見てみると、めちゃくちゃに短い。
本当に大丈夫か!?
座席に深々と背中を預け、歯を食いしばって着陸の衝撃に備える。
ガガガッと大きな衝撃を体に感じ、飛行機はそのまま山側の斜面を駆け上がっていく。
「止まれっ…止まれっ…!」と心の中で念じる。
祈りが通じたか、飛行機は無事、ルクラの空港に到着。
やれやれ、カトマンズから三日目にしてようやくスタート地点には到着できたか…
空港で荷物を受け取り、改めて空港を外から眺めてみる。
異常なまでの滑走路の短さと、その先に続く崖の所でぷっつりと切れている事実に改めて戦慄する。
10日後の帰りには崖側に飛び立つ訳で、今の内に遺書でも書いといた方がいいかな…
少々気落ちした出だしではあったけれど、ルクラの町を歩いてみるとそんな鬱屈した気分も晴れるものだった。
石畳の道に素朴な作りの家々が並び、カトマンズと違い静かで、そして住んでいる人種が明らかに違う。
日本人の顔に近い、所謂チベット民族の流れを組む人々が暮らしている。
EBCトレッキング上ではシェルパと呼ばれる山岳民族が暮らしており、食文化や宗教もチベットの流れを組んだものになる…と聞いていたのだが、なるほど、スタート地点のここルクラからもうシェルパ達の世界なのだ。
カトマンズとの変化に、いよいよトレッキングが始まるんだ!という実感とやる気が湧いてくる。
そして飛行機を降りると、声を掛けてくる男が一人。
私と同じ飛行機に乗っていた一人で、ギリシャ出身のエヴァンと名乗る男だ。
ランプールで飛行機を待っている間、同乗の飛行機の人達とは自然、会話をする機会があり、エヴァンとも何度か話を交わしていた。
彼は私と同い年で小児科医らしく、以前このEBCトレッキングに挑戦したらしいのだが、その時は高山病を発症して無念のリタイヤ。
今回はそのリベンジにやってきたのだそう。
EBCトレッキングには入山料とトレッキング許可料が必要であり、それはこのルクラの町と、少し進んだ先のチェックポイントの計2回、支払うことになる。
エヴァンは以前も来た事があるので、「じゃあそのチェックポイントまで一緒に行こうか」という事になった。
無事ルクラのチェックポイントで2,000ルピー(約2,000円)を支払い、町の出口のゲートを潜るといよいよトレッキングの開始だ。
ゲートを潜り、歩き出すと渓谷の奥に雪山が頭を覗かせる。
数日間を掛けて、あの雪山の近くまで歩いていくんだ…俄然テンションが上がってくる。
しばらくは点在する集落の中を進んでいく。
そして進んでいる途中で驚愕のニュースが入ってきた。
私達が到着した僅か1時間ほど後に、ルクラの空港で飛行機とヘリコプターの接触事故があり、大破するという事故があったらしい。
当然ながら空港は封鎖され、全てのフライトが不通となってしまったということだ。
少し時間が遅れれば事故そのものの当事者になっていたかもしれず、まさに間一髪。
これが世界一危険な空港と言われる所以か…と、首元が薄ら寒くなった。
やはり暮らしている人々の顔は、カトマンズで見たインド人よりの濃い顔より、日本人に近い。
宗教もヒンドゥー教色は一切なく、チベット仏教を感じさせる物ばかりだ。
マニ石と呼ばれる経文が刻まれた石や、ストゥーパと呼ばれる仏塔がそこかしこに見られる。
食文化もヒンドゥー圏よりも中国よりのようだ。
こちらはモモと呼ばれる料理。
見た目も味も、中華料理の餃子とほぼ同じ。
タレだけが醤油ベースではなく、少しピリ辛のどろっとした物を使っている。
トレッキングを開始した当初は曇っていた天候は、徐々に快晴へと向かい、気温もグングンと上昇。
ウィンドブレーカーを着ていると汗をかくため、半袖シャツになる程の陽気に。
こうも暖かくなると、冷たいジュースでも喉に流し込んで体を冷やしたくもなる。
しかし、車の通れる道がないこのトレッキングルート上では、全ての値段が高くなる。
500mlのコカコーラが、山では一本250ルピーと、平地の3倍近い値段で売られているのだ。
飲みたい気持ちをグッと堪え、頭の中でコカコーラの味だけを想像し、暑さに耐えるのみ。
時折明らかに金持ちそうな年増の欧米人が、コカコーラを一気飲みしかねない速さで飲んでいるのを見かけると、その首を絞めてやりたい衝動に駆られる。
「コカコーラは貴重なんだから、ゆっくり飲みなさいっ!」
では、そんな全てが貴重品となるこのトレッキングの物流を誰が支えているかというと、主に動物達が頑張っている。
まずは牛。
チベット圏にはヤクと呼ばれる、体毛の濃い牛が生息している。
ここはまだ低地なので、体毛がまだうっすらしている。
多分、ヤクと普通の牛とのハーフなのかな?
馬も活躍している。
牛も馬も、シェルパ達が鞭を振るい、時折「ジャウッ!」という風に彼等を焚き付けて先へと進ませている。
この動物物流隊は、トレッキングコースの上からも下からもやってくる。
首に鈴を付けているため、彼等が近付いてくると
カラン、コロン」とすぐにわかる。
時折上下の物流隊同士がバッティングする時があり、その時はコース上で大渋滞が発生する。
そんな時もやはりお互いの隊のシェルパが「ジャウッ!」と、止まってしまった隊列を動かそうと努力するのだ。
そして物流を支えるのは動物だけではなく、人自身が体を張っている。
彼等はポーターと呼ばれる職業人で、集落間の食料や物資の運搬の他、トレッカー達の荷物を運ぶ事もしている。
荷物は木編みの籠に入れて運搬している事が多く、額と肩に紐を掛け、前屈みに体重を預けて下を向くように歩いている。
荷物の量はとんでもない量を抱えていることが殆どで、非常に過酷な仕事なことは一目瞭然。
彼等が通る時は、そっと道を譲るのが最低限の礼儀だ。
ルクラからはほとんど下り坂だったのだが、Monjoという集落で国立公園に入り、入山料として3,000ルピーを支払った所から、登りが始まる。
この登りが長い上に結構な急勾配で、かなりしんどい。
Monjoが標高2,850メートルで、この日の目的地であるNamche Bazar(ナムチェバザール)は標高3,400メートル。
徒歩での600メートルアップは非常にキツイ。
その上正午を過ぎてから雲が立ち込め、小雨ではあるものの雨になってしまった。
本降りになる前に何とかナムチェバザールに到着するために、黙々と進んでいく。
そして16時頃、何とかナムチェバザールに到着。
EBCトレッキング上では最大の町であり、何と日本食レストランまであるから驚いた。
宿はエヴァンが前回に泊まって良かったというホテルへ投宿。
まさかナムチェバザールまでエヴァンと一緒に行動するとは思ってもいなかった。
宿の部屋は別々に取ろうとしたのだが、「二人部屋しかない」との事で、そのまま二人相部屋でチェックインすることに。
一人500ルピーと、事前に調べていたトレッキング上の宿の相場より随分と高い。
ホテルの従業員曰く、最近になって政府がナムチェバザールの宿泊施設に税金を掛けたから料金を引き揚げた…という。
ちなみにEBCトレッキングにある宿泊施設共通のルールなのだが、宿併設のレストランで食事を摂らない場合、宿泊費用は倍の金額で請求されてしまう。
そのため、節約のためにローカルの食堂で食事を…ということは実質できない。
ちなみに私が止まったホテルは、食事にも税金10%を吹っ掛けているのであり、しかもメニューは税抜き価格での記載で、メニューの隅っこに「税金10%掛かるよ」と書かれている随分と阿漕な商売をしていた。
宿自体は日本語の小説も置いてあるし、その他の写真集も素晴らしい取り揃えだっただけに、そういう価格面でがっくりきたのは否めない。
トレッキング初日の夕食はダルバート。
ダルとはネパール語で豆、バートは米。
ダルバートはネパールでは定食を意味しており、いわば国民食のような位置付けなのである。
豆と米の他にはカレーの様なものがつき、基本的には一回だけお代わりができるようだ。
味は結構美味しく、しかも量が食えるのが嬉しい。
ただし値段は高く、ダルバートが650ルピー、ブラックティーが100ルピー、持参の魔法瓶に熱湯は200ルピーとどれもが高価格。
さすがに山で遊ぶ以上、ある程度の出費は避けられないがここまでとは…
そして夕食後は、酔っ払ったように意識が混濁としてきた。
もちろん酒は飲んでいない。明らかに高山病の初期症状だ。
人間の体が耐えられる一日間での獲得標高は、精々900メートルだと言われている。
今朝私が滞在していたラメチャップは標高800メートル。
飛行機で移動してルクラの標高は2,900メートル。
そしてナムチェバザールは標高3,400メートル。
これはラメチャップの標高を考えると非常に無理な行程であることは、もちろん承知していた。
しかし、「たかが標高3,400メートル程度でしょ」と舐めていた事もまた事実。
まさか、自分に軽度ながら高山病の症状が現れるとは思ってもいなかった。
頭痛はないのだが、とにかく酔っ払ったかのように意識がはっきりしない。
持っていた高山病の薬、ダイアモックスを一錠のみ、早々に眠りにつくことに。
まさか3年前の旅行出発前に買って、そのまま鞄の中で眠らせ続けていたダイアモックスが、時を経て今活躍するとは…
備えあって憂いなしですな。
(トレッキングルート:Ramechap→Lukla→Namche Bazar)
こんにちは。
10月にヒマラヤトレッキングに行くので参考にさせてもらってます。
この文章からすると、ネパール観光局で発行できるTIMS許可証を発行しなくてもエベレストトレッキング出来るということなのでしょうか?
コメントありがとうございます。
エベレストでのトレッキングでしたら、カトマンズでの許可証申請は一切不要です。
トレイル上のチェックポストで現金での支払いということになります。