古都・アユタヤへ〜Ayutthayaまで

Sakeo~Ayutthaya
3/31~4/1 (862~863days)

3/31
2日間を共にしたサルーンとは、ここSakeoでお別れ。
お互いの旅行の安全と、恐らくは無いであろうインドでの再会を願って、別れの挨拶を交わす。

サルーンは今回が初めての自転車旅行とのことだったが、そんな事は一切感じさせない力強い走行と、あくまでも野宿で過ごすストロングスタイルは、これこそ真の自転車旅行者という風で格好が良かった。

SakeoからはAyutthaya(アユタヤ)を経由し、首都・Bangkok(バンコク)を目指す。
バンコクからは飛行機でネパールへとフライトすることになっており、チケットは既にカンボジアのシェムリアップで予約をしておいた。

私は飛行機やバスに自転車を積んで走るのが大嫌いなのだが、タイから自走してタイ北部、ミャンマー、東インドそしてネパールと走ると、ネパールに到着した時には雨季になってしまう。
ネパールやインドでヒマラヤ山脈を走る事は私の夢であり、最高のコンディションでその時間を過ごしたい。
自転車の轍は途切れるが、背に腹はかえられぬ、という事でフライトを決意した次第。

タイでは鳥が信仰の対象になっているのか?

バンコクまでは200キロを切った。

走っていると、道中でサイクリストのための休憩小屋を発見。
どうやら警察が管轄している施設のようで、なんと冷水機や無料のインスタントコーヒーが設置しており、自由に飲んでいい様になっている。

今のところタイではロードバイク乗りを見たことはないのだが、暑さが和らぐ時期には結構な数のサイクリストが走っているのだろうか。
確かに路面状況は最高だし信号もほとんどないし、コンビニはそこら中にあって補給には困らないという、ロードバイクを楽しむには最高の環境かもしれない。

休憩小屋で一息ついた後、家具を売る露店が並ぶ区間が現れた。
家具は全て竹で作られており、観光地でも何でもないこの区間なので、恐らくは地元民が日常的に使う物として売られているのだろう。

ベビーベッドも竹で作っている。

果ては家まで竹で!

初回入国時そうだったのだが、タイでは昼過ぎになると雨雲が発生し、一時的に豪雨となる事が多かった。
2回目入国となる今回もそうで、この日も怪しい雲が頭上に立ち込め始め、風が出てき始めた。

雨が降り始めるまで、行けるとこまで行ってやる!と、ペダルをガシガシ踏んで進んでいたのだが、15時についにポツポツとき始めた。

ちょうど近くにバス停があり、そこに緊急避難するや否や、雷を伴った激しい嵐となった。
タイの道路は等間隔でバス停があるため、避難場所には困らない。
そのためギリギリまで走行できるのがありがたい。

雨が止むまでは読みかけだった小説を引っ張り出し、暇を潰す。

雨が上がるのを待つ間、今朝別れたばかりのサルーンの事を思い出す。
彼と走っていた時、やはり雨になった事がある。
その時、私は屋根のある商店へと逃げ込んだのだが、彼はそのまま雨の中進んでいった。

雨が上がって私も走り始め、その先でまたサルーンと合流した時、「何で雨宿りしなかったの?」と聞いてみた。
すると彼は、「雨は気持ちよくて好きなんだ」と答え、ニカッと笑った。

この激しい雨の中でも、今サルーンは走っているのだろうか。
雨は意外と長く続き、1時間半待ってようやく上がった。

路面が乾くまで少し待ってから、バス停を抜け出て再び走り始める。
道中、果物露店でマンゴスチンを発見。

マンゴスチンは東南アジア原産の果物で、その美味しさから「果物の女王」と呼ばれている。

遥か昔、マレー半島を支配したイギリスのヴィクトリア女王は、果物の中でもマンゴスチンを特に好んだという。
だが、マンゴスチンは日保ちせず、当時はアジアからイギリスまで輸送するための冷蔵技術がなく、女王は自国でマンゴスチンを賞味できない事を嘆いたという。

そんなマンゴスチン、ベトナム走行辺りから見始めるようになっていたのだが、やはり日保ちしないという理由なのか、扱っている果物屋はあまり多くなかった。
「その内食べてみよう」と思っていたのだが結局食べる事なく、ここまで来てしまった。

もう東南アジアにいる日数もわずか、これが最後のチャンスかもしれないと思い、マンゴスチンを購入。

殻はちょっと力を込めれば手で剥ける硬さで、その下からは外見からは想像できない白い果実が現れる。
味は、ライチに近い味なのだが、もっとみずみずしく、そして甘い。
果物の女王と呼ばれるのも頷けるくらい美味しい。

これならもっと前からたくさん食べておけばよかった。

17時過ぎ、この日目標にしていたナコーンナヨックの街に到着。
ホテルに投宿しようとしたのだが、最安値で500バーツ(1700円)とちと高い。
地元民に聞き込みをしても、安宿というのはこの街にはないという。

どこか野宿場所はないかと先へ進むのだが、タイには隠れられる様な林はほとんどなく、畑や工場が広がるばかり。

日没になり、どうしようと焦り始めた頃、道路側に仏教寺院が。
ダメ元で僧侶に「敷地内にテントを張らせてもらえないか」と尋ねると、快諾してくれた。
私の他にも、タイ人のキャラバンと思われる人がいて、彼らもテントを設置している。
どうやら彼らはこうして移動しながら、物を売ったりして生活しているようだ。

4/1

6時に起きてみると、既にキャラバン組はいなくなっており、テントを張っているのは私だけ。
私もすぐに撤収し、お礼を告げて7時過ぎに出発する。

タイは一応ヘルメット着用が義務なのかね?
ノーヘルもかなりいるけど。

タイは道路だけを見ると、本当に日本にいるのか?と錯覚してしまう。
これまでの東南アジアの国々と比較して、タイだけが飛び抜けて発達している。

コンビニの他にもこういう茶屋台があったりして、補給にもほぼ困る事がない。

道中が退屈で、刺激に欠ける…というのが唯一の欠点かな。
走っていて面白いと思える場所が、私が走った区間では無かった。
北部なんかは山が多くて楽しいとも聞いた事があるため、今回走れないのが残念だ。

アユタヤには15時到着。
目を付けていた宿はドミトリーがあり、200バーツ(700円)でクーラーも効いている。
流石に世界遺産の古都というだけあって、安宿も多いし質も高い。

アユタヤでは観光と休息を含めて3泊することに。

(走行ルート:Sakeo→Nakorn Nayok→Ayutthaya)

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