チェーを求めて何千里〜Quang Triまで

Davasan~Quang Tri
3/4 (835days)
昨晩のうちに手持ちの白米も全て使い切ったため、この日は朝食抜きでスタート。
ベトナム国境は2キロと目と鼻の先のため、その2キロさえ我慢すればATMでドカーンと現金を下ろし、フォーでも何でも馬鹿食いしてやる所存である。
で、あっという間に国境に到着。
ここの国境では、ラオスとベトナムの出入国を同じ建物内で行う。
この手の同一建物で出入国を管理するのは今までも何度かあったが、その度に「両国が戦争状態になったら、この建物はどちらの所有になるのだろう?」ということが毎回気になる。
ベトナムの入国に関して、日本人はノービザで15日の滞在日数を得ることができる。
ただし、ベトナムを一度出国すると、30日間期間を空けないと再入国することができない。
これを回避するには、その規定通り30日間別の国で過ごしてから再入国するか、ベトナムビザを入手するかである。
ベトナムビザを入手すれば、上述の期間を空けないでも再入国することが可能なのだ。
私は30日間もラオスやタイにいるつもりは無かったので、迷わずベトナムビザを入手していた。
いざこの日入国するにあたり、何かケチを付けられやしないかとドキドキしたのだが、入国処理はあっさりと終了し、無事ベトナムに2度目の入国。
道路に電飾があるのを見るに、「あぁ、ラオスとは流石にレベルが違うわ」と国力の差を実感する。
さぁベトナム第2章行きますか!
と走り出した矢先に、自動車工場からお呼びの声が。
親父さんが手招きをしているので、ホイホイとそちらへ向かう。
ベトナム語は一切理解できないのだが、好意を持ってくれているらしいことはわかる。
家の中に招き入れてくれ、スポーツタイプの自転車を2台、見せてくれた。
綺麗に整備されていて、パーツのグレードもベトナムにしては良いレベルのを使っているあたり、自転車を趣味にして走り回っているのだろう。
私も身振り手振りと地図を使い、これまで走ってきたルートや、これから行くルートを説明する。
もちろん英語でだから、ほとんど理解できていないだろうけど。
親父さんは私の空っぽのペットボトルを見て、全てのボトルに水を補充してくれた後、バケツ上の器にクッキーをパンパンに詰めて渡してくれた。
颯爽と走り出したのだが、しばらく走って「あっ!」と肝心なことを思い出した。
ATMで金を下ろすのをすっかり忘れていた。
地図を見ると、先ほどの国境沿いの町から先は、しばらくATMがありそうな規模の町は見当たらない。
まぁ、ちょっとくらいなら朝食食べないでも進めるか…と楽観視していたのだが、これが結構な登りが始まってしまい。
力の入らない中、ヒィヒィ言いながら進んでいく。
結局20キロ走り、標高もしっかり150メートル程登らされたところでようやくATMを発見。
現金を下ろし、すぐさま目の前にあった食堂に突進するように入店。
久しぶりのベトナム飯は、ブン。
ベトナム料理といえば、代表料理はフォーである。
米粉の麺料理であり、非常にヘルシーとして日本人OLにも大人気。
このブンも同じく米粉の麺料理である。
ではフォーと何が違うのか、と言われると、私には違いがよくわからない。
フォーの方が麺が平たい…とか言われているが、個人的にはそこまで食感に差があるか?と疑問に思う。
遅めの朝食を終えた後は、アップダウンの繰り返し。
朝食を食べていなかったら結構厳しい道だったので、ちょうど良いタイミングでエネルギー補給できたな。
ベトナムに入ってびっくりするのが、緑の多さ。
ラオスはあれだけ枯れた草の平原が広がり、茶色の風景だったのが、国境を跨いだだけでこの変わり様。
川も大きなものが流れており、側には水田があったりして非常に肥えた土地であるのが見て取れる。
特に目立って大きな山を越えたとかではないのに、ラオスとの違いは何なのだろうか。
地図を見ると、国土の広さの違いこそあれど、川の支流の数が段違い。
もちろんベトナムの方が多い。
やはり人間の文明の発展というのは、川の規模に依存してきたというのが、両国の比較でわかる。
道中、坂の途中で仏像を発見。
ベトナムも仏教の国なのだけれど、第1章として北部を走った時は仏像は見なかった気がする。
あったとしても仏像じゃなくて、昔の偉い人の像なんかが寺に置かれていたのは見たけれど。
ベトナムは縦に長い関係で、北部と南部で文化が違うと聞いたことがある。
宗教観も、少し違うのかもしれない。
私がラオス、タイと走ってきて、再度ベトナムに入国したのには訳がある。
もちろん観光スポットとして行ってみたい場所があったのも大きいのだが、チェーの存在が非常に大きい。
チェーとはベトナムの代表的スウィーツであり、餡蜜をかけたかき氷である。
餡蜜は豆から作られたもので、控えめな甘さながらも旨味があり、非常に美味しい。
私はベトナム第1章の時、このフォーに完全に胃袋を掴まれてしまった。
毎日、走りながらチェーの看板を探し求めたものである。
普通食文化とは隣国と似通うことが多く、実際ラオスやタイの食べ物は似たものが多い。
ただ、このフォーはベトナム以外では全く見られない。
ラオスやタイで見られるのは、日本のかき氷の様にシロップを掛けただけの物である。これには非常にがっかりした。
そういうわけで、ベトナムに再入国したこの日、目を皿にしてずっとチェーの文字を探しながら走ってきた。
しかし、チェーとは意外と大衆的なものではなく、それなりの規模の町にならないと店がない。
この日60キロ走り、ようやくそれなりの規模の町に入り、ようやく見つけたチェーの文字。
店の主人であるお母さんは、さぞ驚いたことであろう。
突然外国人が店の前に荷物満載の自転車で現れ、真剣な顔で「チェーはあるか!?」と聞いてきたのだから。
チェーはこのように、氷と餡蜜が分けて出されることが多い。
自分の塩梅でバランスを調整して食べることが可能なのだ。
久しぶりに目の当たりにするチェー。
餡蜜をスプーンで掬い、氷の上に掛けて口に放り込む。
素朴な甘みとヒンヤリした冷たさが、直射日光と運動で暑くなった体に染み入るようだ。
これですよこれ!
これが食いたいがためにベトナムに帰ってきたのだ、私は!
チェーを存分に堪能した後に走行を再開。
ベトナムの大動脈、国道1号線に合流。
国道1号線に入り、10キロ程走ってQuang Triという街に到着。
宿に投宿し、ネットで情報を収集すると、Quang Tri周辺はかつてベトナム戦争で最も多くの戦死者を出した土地らしい。
晩ご飯を食べに街へ繰り出すと、確かに朽ちた建物が放置され、献花台の様なものが中に設置されていたりする。
今でこそ平和で、人懐っこいベトナム人のお陰で明るく見えるベトナムだが、わずか40年前には凄惨な光景がこの地に広がっていたことを考えると、暗い気持ちになる。
それでもめげずに復興し、東南アジアでも急発展しているベトナムという国を見るに、ベトナム人の不屈の精神力を思わざるを得ない。
(走行ルート:Davasan→Quang Tri)