«世界遺産»ルアンパバーン①

Luang Prabang(ルアンパバーン )

ルアンパバーンは、現在のラオス人民共和国の前身・ラオス王国が吸収するまで、ルアンパバーン王国の首都であった。

吸収以降、首都はヴィエンチャンに遷都されたのだが、ルアンパバーンは地方都市として機能し続け、また歴史的建造物や仏教寺院が現在に渡り、多く残されてきた。

取り分け仏教寺院は保存状態が良く、またその数はルアンパバーンの町だけで数十を数えると言う。

その仏教寺院は今なお現役であり、各寺院に修行僧が所属している。
朝の時間になると修行僧達は鉢を持って街を練り歩き、食事や金銭の施しを受ける。
いわゆる、托鉢と呼ばれる修行である。

托鉢自体はラオス以外の仏教国、例えば隣国・タイの小さな町などでも日常的に見られる。
しかしここルアンパバーンの托鉢僧は世界的に特に有名で、朝の日の出前からずらっと一列に並んで歩く大量の托鉢僧達の姿は、ラオスでの一大観光風景として有名なのである。

ということで、私も5時半に起きて、托鉢を見学することに。
前日140キロも走ったのに、よく起きられたな。

本当に真っ暗な時間から、托鉢僧が町の中を歩いている。

お供え物は、基本的にはカオニャオ(ラオスの餅米)がメインになる様だが、覗き込んでみるとお菓子や、時にはお金が入れられていたりする。


托鉢にもマナーがあるそうで、お供え物をする人は、托鉢僧よりも絶対に高い位置からお供えをしてはいけないそうだ。
そのため、基本的にはお供えをする人達は跪いた状態で、鉢に入れていく。

当然ながら托鉢僧がお供え物を受け取る側なのだが、極たまに托鉢僧が鉢から取り出して、人々に与えている様を見ることがあった。

気になっていたので、托鉢見学後に宿のオーナーさんに質問すると、「ルアンパバーンでは余りにもお供えする人が多いから、鉢がすぐに一杯になってしまう。だから、僧も余剰分を子どもに分けたり、置いてある籠に戻したりしている」と教えてくれた。

托鉢は大体7時前には終わり、全ての僧はそれぞれの寺へと戻っていく。
それにしても、毎朝大量の観光客の目にさらされて托鉢をするというのは、どういう気分なのだろうか。

ルアンパバーンの托鉢はあまりにも有名になりすぎて、修行というよりも観光資源の一環になっている。
カオニャオをお供え物用に外国人に販売するビジネスや、托鉢に参加するツアーなんかもあったりして、収入の少ないラオス人にとっては、観光資源として欠かせない存在に違いない。
恐らくは僧達にもそれなりの手当てなんかが政府から出ているのでは…と邪推してしまう。

托鉢見学の後は、寺を巡ることに。
ルアンパバーンで最も有名な仏教寺院・ワットシェントーンにまず行ってみた。




流石に宗教の町の最重要寺院だけあって、細かい部分の装飾まで素晴らしい。

キリスト教会での懺悔室の様な位置づけだろうか、人が4、5人入ればいっぱいになる様な、小さな祠もある。

こちらのお堂には、ルアンパバーン 王国のかつての国王の葬儀の際、彼の棺を載せた御車が安置されている。

ワットシェントーンに大満足して、ワットマイ寺院にも足を伸ばす。
こちらは赤い屋根のお堂が特徴的で、金装飾もワットシェーンよりも委細を凝らした物が見られる。



中庭。

境内に姿は見えないが、洗われて天日干しされている食器の数を見るに、ワットマイにも多くの修行僧がいることが分かる。

ワットマイには教室もあり、ホワイトボードを見るに、英語の授業があったようだ。

上記二つの他にも寺院をいくつか巡ってみた。

こうして見ると、日本の仏教寺院とラオスの仏教寺院とでは随分とスタイルが違う。
日本の仏教寺院は質実剛健、ラオスの物は豪華絢爛、という印象だろうか。

個人的な解釈なので、大きく間違っているかもしれないが、これは政教分離されているか否か、という事が関わっているのかな、と推察する。

日本の仏教は、織田信長が焼き討ちを掛けた事に代表される様に、寺院が持つことを許さない権力者が多かった歴史がある。
もちろん関白や将軍が建てた寺院もたくさん現存してはいるが。

それに対しラオスの仏教寺院はというと、前述した通り国王の葬儀に際し、棺を運ぶ御車を任されるという大役を授かっている。
皇族と大きく関わっている関係上、王国の権力の誇示や富の象徴として、豪華な装飾が施されたのではないだろうか。

と、そこら辺の知識は全く持ち合わせてはいないが、仏教寺院を巡る上でそういった事に考えを巡らせるのは、楽しい時間ではあった。

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