山と河の国〜Nong Khiawまで

Muong Khoa~Nong Khiaw
2/17 (820days)

やはり体調はほとんど快復したが、やはり山岳地帯での走行を避けてボートを利用することに。

元々こうしたスローボートの存在は、一時帰国中に読み漁ったガイドブックで知ってはいた。
ただ、私が知っていたのはもっとラオス北部から出航している船で、2〜3日掛けてラオスの古都・Luang Prabang(ルアンパバーン )まで下るというものであった。

「偶にはそういうスローボートでのんびり河を下ってみるのも面白そうだな」とは、ガイドブックを読んでいる当時に夢想していた。
ただ、出航場所が私のルート上になく、縁がなさそうだなとも思っていた。

そういう意味では、体調不良が招き入れてくれた縁なのではないかと。

出航は朝の10時なので、余裕を持って20分前には船着場に到着。
どうやらこの渡し船は地元民の交通手段というよりも、観光客向けの船の様だ。
私の他に船着場にいるのは、ほとんどが欧米人で、後は数人の中国人。

チケットは船着場で買えるのだが、受付のおっちゃんは「210,000キープだ(約2,700円)」と言う。
おいおい、昨日確認を取っていた時より随分と値上げしてるじゃないの。

「昨日は170,000キープって言われたんだけど」と返すと、結局180,000キープになった。

こういう金の駆け引きだったりは普段やらないことなので、とてもストレスが溜まる。
交通手段を他人に頼る旅行は非常に楽だけれど、時間・金など、相手側に全ての決定権があることが私には耐えられない。

どうせ出航も遅れるだろうなと思っていたのだが、意外にも時間通りに船は出航。
私を含めて9割の観光客と、1割の地元民という構成の乗客一同を乗せ、船は茶色く濁った河を進んでいく。

途中何度か集落に寄り、地元住民を乗せたり下ろしたりはするが、基本的には地元住民は自分達の船を持っている。
その船で移動はもちろん、釣りや漁をしている姿をよく見かける。

河沿いにある集落は、恐らく道が通っておらず、船しか交通手段がないのだろう。
恐ろしく田舎ではあるが確かに人が住んでおり、砂浜では子供たちが遊んでいる。

途中、中国企業の主導するダム建設があり、そこで河が分断されている都合上、船の乗り換えがある。
ラオスにはダムを建設できる財源も、技術を要した企業もないのだろう。

ラオスの様な小国に、社会主義国で隣国である中国が大々的にインフラ整備に参加しているのは、なんだかきな臭い匂いを感じるが…。
まぁラオスも社会主義国だから、中国もやりたい放題できるんだろうな。

このダム以降、河を囲む山が近くてかつ高くなり、風景の迫力がグッと上った。

河を船で移動し、河に住む魚を狩り、河に家畜を放って放牧させている地元民の生活を見ていると、入国前の私のラオスに対する印象とは随分違うものを感じる。
人々は多くの事を、メコン川を本流としたこの河に大きく依存している。
彼等の生活に、この河は本当に欠かせない存在なのだ。

入国前、私は「ラオスは山の国」だと思っていたのだが、今は「ラオスは山と河の国」であると考えを改めた。
これはこの渡し船に乗らなければ気付けなかったことであり、偶にはこうして自転車以外の乗り物に乗るのも良いな。

途中、岸辺に多くのゲストハウスらしき建物が並ぶ集落で、乗客のほとんどが降りていった。
どうやら欧米人には有名なリゾート地であるらしく、「明日はカヤックで川下りね」なんて下船前から盛り上がっているのが、耳に入ってきていた。

事実、渡し船は道中に随分と多くのカヤックとすれ違っていたのであり、乗っていたのは全員欧米人。

欧米人の凄い所は、こんなアジアの小国でアウトドアの名所を発見して、実際にそこを遊び場として発展させてしまうことだと思う。

カヤックを貸しているのはラオス人なんだろうけど、多分元々は観光できたアウトドア好きな欧米人がカヤックを持ち込んで遊び始めたのが、始まりだと予想している。
アウトドアを楽しむという文化も経済力も無いラオス人に、カヤックという発想はなかったと思うんだよね。

私の他には、欧米人カップルと中国人カップルの僅か2組となった渡し船も、合計6時間の船旅の末にNong Khiaw(ノンキャウ )に到着。

非常に小さな町だが、ここもゲストハウスがたくさんあり、レストランには英語付きのメニューが置いてある程に観光地化されている。

首尾よくドミトリーのあるゲストハウスに投宿したのだが、丁度同じタイミングで来た団体客とかち合ってしまった。
20人部屋のベッドが全て埋まる盛況振りで、しかも同じツアーに参加する客らしく、私以外は全員顔見知りという状況。

人種は欧米人、アジア人とごっちゃ混ぜで、大学生くらいの年齢に見える。
その団体客がまぁうるさい。
ドミトリーなのに部屋で大音量で音楽は流すわ、狭い通路でフラフープで遊ぶわで、とにかく鬱陶しい。

ノンキャウ自体の雰囲気は良いのに、一気に興醒めしてしまった。

部屋にいてもうるさいだけなので、早めに晩ご飯を食べにいくことに。
先述したように、ノンキャウのほとんどのレストランは英語のメニューを備えており、これは非常に助かる。
まだ入国して数日であり、ラオ語の文字も読めないし、発音もできない状態なので。

肉野菜炒めと米をオーダーする。

ラオスの米はカオニャオと呼ばれ、餅米が主食になっている。
大抵は筒状の竹の入れ物に餅米が入れられており、それを手掴みでおかずと一緒に食べる。

カオニャオの存在は事前に調べて知っていたのだが、食べるのは当然初めて。
餅米だから結構食べ応えがあり、お米の甘みが白米よりも強いように思う。

おかずの肉野菜炒めも美味しく、食に関してはラオスは結構期待できそうだ。

(走行ルート:Muong Khoa→Nong Khiaw)

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