峠越えは計画的に〜Ba Na Cangまで

Phuyen~Ba Na Cang
2/10 (813days)

そういえば最近寝袋とかエアマット使ってないけど、カビてないだろうな…
と、嫌な予感がしたので防水バッグを1ヶ月ぶりに開けてみると、エアマットがそれはそれはカビだらけで大変なことに。

夜中の内にとりあえず水洗いして、何とか干したのだが、内部でカビが繁殖しているようで匂いが取れない。
どこかで腰を据えて洗わないといけない。

寝袋にはカビが移っていなかったのが、不幸中の幸いか。

マットもそうだが、自転車も後輪がスローパンクしたままであり、毎日空気を入れて誤魔化して走ってきているので、どこかで本格的に掃除しなければ。
とはいえ、ベトナム滞在日数も結構ギリギリなため、国境近くの町まで行かなければ安心して連泊もできなやしない。

ということで、今日も私はフォーを食べて走ります。

周りが山に囲まれたこの地域では、朝には靄が立ち込める。
棚田に靄が掛かりぼんやりと見える風景は、神々しさすら感じる。

それにしても、ベトナム人は老いも若いも、男も女もよく働く。
中南米なんかだと、女の人ばかりが働いて男は朝からそこら辺で酒を飲んでいたものだけれども。

こんな朝早い時間から、ベトナム人はみなフル稼働である。
人が働く姿というのは、見ていて清々しいし、美しさを感じる。

Phuyenから20キロほど走り、登りが始まる。
まだ午前中の暑くなる前で、ペースよく走れ、標高は400メートルに到達。
この日は予定通りに走ると、ピークが標高1,000メートル近くになるので、午前中にここまで登れて良かった…

と、思っていたのだが、ここから一気に下り。
川底まで下り、標高は再び100メートル台に。
おいおい、午前中の頑張りはなんだったんだよ…。

山岳地帯のベトナムは本当に田舎…というか過疎集落で、並ぶ家々はほとんどが隙間風が通りそうな木造建築。
高床式が多いのは、水害が多いからなのか、ネズミなどの害獣対策なのか。

集落を通りがかるたびに、荷物満載の自転車に興味津々の子供たちが「ハロー!」と挨拶をしてくれる。

しばらく川沿いを走った後、再び登り坂に。
この登りが斜度もきつく、気温も上がってきたことで非常に辛い。

坂の途中で急に体の力が抜けるのを感じ、「あ、ヤバイ!」と思ったと同時に自転車を漕げなくなった。
ハンガーノック状態(空腹によるエネルギー切れ。車でいうガス欠のようなもの)だ。
こうなってしまうと、自転車を漕ごうとしても足に力が入らず、数メートル進んだだけでへばってしまう。

ハンガーノック状態になった時の対処方法は、食事を取って少し休む事しかないのだが、今は一切の補給食もジュースも持っていない。
中国から再出発以降、厳しい峠越えなく走って平和ボケしていた私は、山岳地帯を走るというのに何の準備もしていなかった。
あ〜ぁ、こんな初心者の様なミスをするなんて…

ただ、座り込んで休んでいるだけでも体力は消費される一方なので、体に喝を入れて自転車を押して坂を進む。

上半身にも力が入らず、重たい荷物満載の自転車を押すのは本当に体に堪える。
町までの残り僅か3キロが、今はとても遠く感じる。

何とか3キロ自転車を押し切り、町に到着するやいなや目に付いた最初の定食屋へ。
量が少ないといつも文句を言うフォーだけれど、この時は一口食うたびにエネルギーが体に補充されていくのを感じるくらい、限界ギリギリの空腹状態だった。
突き出しで出た野菜はもちろん、レモンまでしゃぶり尽くしてやった。

この町からはまた川沿いまで下り、そこからもう一つ大きな峠越えがあるのは事前調べから分かっている。
流石に反省し、町でクッキーとコーラの補給食を購入してから走行再開。

標高640メートルの町から、再び谷底まで下りきり標高はまた100メートル台に。
2時間以上掛けて獲得した標高を、わずか20分くらいで無かったことになるのだから、自転車旅行は本当に理不尽だ。

川に架かる橋を渡り、そこから再び登りに。

この登りが長く、下り坂は一切なし。
暑くて斜度もキツくて、この坂道は永遠に終わらないんじゃないか…とさえ思える。

正直なところ、アメリカ大陸でアンデス山脈を越えたという自負もあり、東南アジアの峠越えなんてちょろいちょろい!と舐めていた。
この区間の峠はグアテマラやメキシコを思い出すきつさだ。

道は山肌に沿ってS時を描いて登っていくため、自分が登ってきた道がよく見える。
こうして見ると、本当にとんでもない道路構成をしていると思う。

もう日没間近なのに、まだ峠を登りきれない。
まだ残り150メートル弱も標高を上げなければいけない上、10%の斜度かよ…
私の足だと標高300メートル上がるのに1時間程掛かるため、順調にいっても30分は掛かる。

日没間に合うのか、これ。

気合いで登りきり、何とか頂上には日没前に到着。
標高のピークは手元の高度計で945メートル。
この日の獲得標高は2,400メートルであり、走行距離80キロという距離で考えると非常に厳しい峠越えだった。

さぁ後は下るだけだから余裕だろ!と思っていたのだが、そこから何と下ってまた登るという、山が凹の様な形をしていてピークが二つある形状だった。

二つ目のピークを越える前に日没を迎えてしまい、私の焦りが先にピークに達する。
こんな山道で街灯もないところで日没なんて、事故にわざわざ遭いにいくようなもんだ。

二つ目のピークを越え、メインの国道と合流したところで街灯が見えた時は、心底ホッとした。
ただ、まだ町までは5キロくらい距離がある。

街灯も合流地点にあっただけで、そこから先は真っ暗闇。
当然ライトは点けるものの、ほとんど足しにもならないくらい、山で迎える夜というのは暗い。

しばらく進んでいるうち、真っ暗な路肩にぼんやりと「NHA NGHI(安宿)」の看板が光って立っているではないか!

地獄に仏とはまさにこのこと。
自転車ごと受付に突進し、値段も聞かずに投宿決定。

実際には200,000ドン(約1,000円)と少し高かったが、もうこれ以上走りたくない。
辺りにはこの宿しか建物はなく、本当に私のためだけに急に現れたかのようなホテルだった。

レストランもないため、無理を言ってインスタントラーメンを作ってもらい晩御飯に。
いや、久し振りに焦った1日だった。

峠越えは、計画的に。

(走行ルート:Phuyen→Ba Na Cang)

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