«世界遺産»開平楼閣と村落〜恩平まで

新会〜恩平
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昨夜泊まったホテルがどうも、いわゆる若いカップル向けの物だったようで、部屋には色々といかがわしいグッズが置かれていたりしていた。
中国の人はそういう分野には凄く閉鎖的な印象だったのだが、しっかりやることやっているのである。


独り者の自転車旅行者には関係ないけど。

私に関係あるのは、飯だ。
人間の基本欲求と言われる食欲、睡眠欲、性欲。
自転車旅行において、後者2つは全く湧いてこないのだが、食欲だけは一向に衰えることなく無限に湧いてくる。

昨夜の晩御飯がご飯のお代わりができないぶっかけ飯だったこともあり、今朝は特に食欲が湧いてくる。

ちょうど宿を出てすぐのところに定食屋がある。
メニューもないような小さな定食屋であり、何を食わされるか分かったもんじゃなかったのだが、店頭で調理している様子が興味深くて、ついついそれにつられて足を止める。

ちょうど私の前に一人、客がその店頭調理に注文をしたため、何が出てくるのか様子を見ることに。

鉄板に液状の生地を薄く伸ばし、ネギや肉をその散りばめて数分機械の中で蒸す。

蒸すこと数分、鉄板を引き出し、液状から薄い膜になった生地を小手で筒状に形作り、最後に三等分に切り分ける。

おぉ、これは私が香港で食べた、腸粉ではないか!
香港ではミシュラン一つ星のレストランで食べたため、高級料理なのかと思っていたのだが、どうやら元は大衆料理のようだ。

生地は米粉でできており、薄いうどんで肉を巻いたもの…という感じの料理である。
香港で食べた時、私はかなり気に入った料理であったため、今朝またそれを食べられる!という嬉しさと、興味深い調理現場を見られた!という嬉しさで、朝から一気にテンションが上がる。

この定食屋の腸粉も、モチっとした生地に、紹興酒ベースの醤油だれがよく合ってかなり美味しい。

自転車旅行者にとっての朝食として、量は物足りないが、中国での大好物を食べられて朝からえびす顔ですよ、私は。

朝食も済ませ、出発。
新会はこんな立派な門がある町でした。
美味しい腸粉をお求めの方は、ぜひこの門を目印にお越しください。

さて、ここでルートの説明をさせて頂くと、昨夜宿泊した新会とはマカオから北西方向、内陸に進んだところにある。
なぜマカオから沿岸沿いに進まず、わざわざ内陸に進んでいるかというと、目当ての世界遺産があるからである。

それは開平楼閣といい、19世紀に建てられた高層建築群で、盗賊被害の多かった当時に見張り台として使われていたものだという。
それが開平という地域に現存しており、中国と西洋の折衷した建築技術と歴史的価値が認められ、世界遺産に指定されている。

深センで以降のルートを模索している時、地図を眺めていて偶々発見したのであり、写真を見て面白そうだったので、行ってみることにしたのだ。

内陸へと進むため、ある程度の峠越えがあるかと思っていたのだが、昨日から山など一切なく平地走行なのは、嬉しい誤算。

みかん畑を見ながら、のんびりと進んでいく。
この地域のみかん農家は、庭師みたいに樹を一本一本丁寧に形を作っている。

中国では、結構な頻度で道祖神を見かける。
…のだけど、昨日見かけた人形の様な道祖神といい、この日もちょっと変わった像が鎮座している。

熊…?

これ、まさか金太郎か?

開平楼閣が近づいてくると、大きい国道から離れ、川を渡って小さな道へと入っていくことになる。

川を渡ってから明らかに周囲の雰囲気が変わった、というか、まだ開平楼閣のある村落に入ってもいないのに、それっぽい高層建築物が現れ始めた。

それにしても、世界遺産なのだから看板とかが立っていて、道には迷いようがないだろうと思っていたのだが、案内看板が一切見当たらない。

地図を見ても、曲がるべき所を通り過ぎていたりして、思いっきり迷子になりながら進んでいる。

凄いローカルな道に迷い込んだ上、交通量が一切なくなってしまった。
本当にたどり着けるのか凄く不安になってきた。

いくつか小さな村落を抜け、ウロウロと走っていると、気付いたら世界遺産に指定されている開平楼閣のある、自力村に到着していた。

どうやら迷いながら進んだ結果、意図せず村民が使う道で入ってきたらしい。

パッと見たところ自力村には民家は10軒ほどはあり、世界遺産に登録された現在でも普通に生活が営まれている。

都市や街自体が世界遺産に登録されるケースは珍しくないが、ここまで小さな村が世界遺産に登録されて、観光客が毎日たくさんやってくる事に、村人自身がどう感じているのか非常に興味がある。

やはり、鬱陶しいのだろうか。

自力村の住民は水田で生産される農作物で生計を立てていると思われるのだが、その水田の中にあって、そこからニョキッと生えている様に見える楼閣の存在は、やはり異様な存在に映る。

楼閣は前述した通り、元は盗賊被害を防ぐために立てられた見張り塔であり、金持ちの中国人が財を守るために立てたものだという。

こんなど田舎に本当に金持ちがいたのかどうかは、今のこの風景からは全く想像がつかないのだけれども。

楼閣だけでなく民家も、玄関の軒下に薄れた壁画などがを見ることができ、こちらも相当に古い建物だろうことが窺いしれる。

そこまで期待していたわけではなかったけれど、ふらっと気軽に立ち寄る分には興味深い世界遺産でした。

自力村を離れた時点で15時過ぎ。
次の大きめの街である恩平までは40キロ。
さすがに時間的にも体力的にも厳しいため、道中の適当な町で宿が見つかれば投宿することに。

…したかったんだけれど、見つけたホテルが一泊130元とかで、そんな大金はカジノに負けた私には出せません。

ということで、先へと進まざるを得ない状況に。

結局、恩平まで40キロ走りきる形に。
なお宿は60元のホテルが見つかったため、頑張って走った甲斐があった。

マカオ以降、明らかに宿の値段は下がった上に、この日は身分証明すらなかったわけで、公安のチェックもザルになってきている印象を受ける。

まぁ、なんしか後半はよく頑張りました。

(走行ルート:新会→自力村→恩平)

コメント

  1. 面白かった✨

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