自転車で行く長野旅行②~塩尻まで

Aimix自然村南乗鞍オートキャンプ場~道の駅小坂田公園
8/26
8/26
日本の夏は朝が早い。
目が覚めた頃には、深い森の中にあるキャンプ場にも、樹々が頭上を覆う緑のカーテンからも、木漏れ日が差し込んできている。
昨日は予定通りとはいえ、KO寸前で野麦峠途中のキャンプ場にたどり着いた。
自転車で長距離を走る事が久しぶりだったため、筋肉痛を覚悟していたのだが、今朝の感じだとその心配は杞憂に終わったようで、やれやれといったところ。
走り始めると、薄く白い靄がこの山を覆っているのが分かる。
それは雨雲の類ではなく、樹々が吐き出したものらしい。
まるで樹々が、いやこの森林全体が呼吸をしているのを、目の当たりにしているようだ。
この深い森林は、どうやら熊にとって格好の住処のようだ。
カナダの深い森の中を走った時と同じように、少しの物音にもビクつきながら進んでいく。
あの時と違うのは、熊よけスプレーもホイッスルも、持ってきていないということだ。
(どうか、飛び出してきてくれるなよ・・・)
今現実に、たった一日で真っ赤に日焼けした自分の腕と、そこから吹き出る玉の汗を見ると、とてもこの辺りが冬には雪で全く閉ざされてしまうとは想像がつかない。
そもそもこの夏真っ盛りの中でさえ、交通量がほとんど無いに等しい。
だから、この道が閉ざされようがあまり支障はないのかもしれない。
「ギーッ!」
突然、甲高い音が前方から聞こえてきた。
何事かと思い、目を薄めてその音を発した正体を突き止めようとする。
道が山の奥に続いているだけで、何も見つけられない。
(もしかして熊だろうか・・・?)
再び「ギーッ!」という声がした。
今度は私のすぐ左、森の中から発せられたことがはっきりと分かった。
しかし、やはりそれを発する者の正体が掴めない。
カーブに差し掛かり、曲がり始めてようやく、音の主が分かった。
猿だ。道の上に、猿が数匹いる。
猿は私の姿を認めると、ささっと森の中に駆け込み、じっとこっちを見つめている。
その猿たちが「ギーッ!」と鳴くと、少し前方からまた「ギーッ!」、またその更に前方からも「ギーッ!」と、続いていく。
そうか、これは仲間への警告なのだ。
「変な奴が進んでいるぞ、気をつけろ」ということを、狼煙を上げるかの様に、先へ先へと伝えているのだ。
それが分かると、何故だか急に微笑ましく思い、猿に「私は敵じゃないよ。怪しいかもしれないけどね」と語り掛けたくなる。
でも、飛び掛かってこないでね。
朝にキャンプ場を出るときは、これから始まる野麦峠への過酷さを思い、戦々恐々鬱々怏々としていた。
しかしいざ走ってみると、特にきついことはなく、緩やかに上っていく。
野麦峠にも、予想していたよりも随分と早く着いてしまった。
どうやら日本の峠の特徴として、「入り口がやたらと斜度がきつい」というものがあるようだ。
野麦峠の頂上には一軒の茶屋と、一体の石像がある。
茶屋にある資料曰く、今でこそ野麦峠は交通量が少ないが、昔は主要道路であり、主要産業の流通を支える大動脈だったらしい。
その主要産業とは生糸工業で、岐阜・高山方面から長野・諏訪方面へ、多くの女性がこの野麦峠を越えて工場へ出稼ぎに出ていた。
明治になると富国強兵政策を掲げた政府の方針により、日本の一大輸出源であった生糸産業は、工場操業を大回転させるため、さらに人手を欲した。
現金収入の少ない村々は、僅かな収入を得るために少女を出稼ぎに出し、少女たちは故郷に帰ることを夢見て働いたという。
この野麦峠にある石像は、そんな時代背景が生んだ悲劇を、後世に伝え続けている。
出稼ぎを終えて、野麦峠を越えて故郷の村へ帰る少女と、それを背負う兄。
しかし少女は出稼ぎで弱った体により、最早故郷に帰る体力は残されておらず、野麦峠をで絶命してしまう。
その少女が最期、兄に言った言葉。
「あぁ飛騨が見える」
美しく静かなこの野麦峠には、そんな悲しい過去があった。
茶屋は幸いなことに9時から営業しているとのことで、少し休憩していくことに。
野麦そばという、山菜を使った蕎麦を食べ、畳の座敷でゆっくりとする。
あけ放たれた広間には、縁側の方から涼しい風が吹き込んでくる。
― 峠を越えた。
困難や災難に耐え、平静や回復・解決に向けてことが進み出す際に、例えとしてよく用いられるこの言葉。
自転車旅行の場合、文字通り「峠を越えた」ということ程、嬉しいことはない。
それまで必死こいて上ってきた坂道が終わり、そこからは同じくらいの長さの下り坂が始まる。
自転車を漕がないでも勝手に速度に乗り、風を切って進んでいく。
上ってきた坂道の距離が長ければ長いほど、下りで感じる爽快感ったら、言葉に尽くせない。
実際には野麦峠からの下りは長続きせず、すぐに次の境峠が始まったのだけれども。
こっちの境峠の方がいささかきつかった。
地図で見る限り、この境峠以降は当分大きな峠はないようで、もうほとんどこの日の仕事は終わったようなもんだ。
腹も減ったことだし、また蕎麦を食う。
せっかく信州に来たのだから、吐く息がそば汁臭くなるまで食ってやるんだ、という気概で走ってます。私。
境峠から木祖村へと入り、そこから長野県の塩尻へ向けて北上する道中、奈良井戸という集落を通過した。
この奈良井、江戸時代より宿場町として栄えた集落らしく、当時の建物がそのまま保護されている。
私が今乗っているのは馬ではなく自転車だが、脇に愛車(馬)を引き連れて宿と宿の間を歩く姿は、日曜日にごった返す観光客から見れば、江戸時代の侍そのものだったのではないだろうか。
決して「何だこの汚い変な奴」という視線ではなかったと思いたい。
明治天皇がお泊りになったという宿も、そのまま残されている。
奈良井を抜け、塩尻市に入る。
道の横には、ワインの原料となる葡萄が畑に育てられている。
見た感じには、ブルーベリーの様に少し薄い色のように見える。
夕方、道の駅小坂田公園に到着。
暗くなるまでは持ってきていた文庫本を読み、真っ暗になってからテントを広げて眠りに就いた。
(走行ルート:Aimix自然村南乗鞍オートキャンプ場→野麦峠→境峠→木祖村→奈良井→塩尻→道の駅小坂田公園)