何とかなるさで600日~Chaiten南20kmまで

Caleta Gonzalo南20km~Chaiten南20km
2/5 (626days)
2/5
こういう風にいつどこで眠るか分からない生活を続けていると、夜を抜けて無事に朝を迎えた時はホッとする・・・
と言うと大げさかもしれないが、朝の日差しの眩しさと優しさに思わず目を細める・・・と言うと気障過ぎるか。
道路は両脇を深いジャングルに囲まれており、開けている視界は前方と頭上のみ。
アウストラル街道を走っていると、川のせせらぐ音が絶えることがない。
またその水がとても綺麗で美味しく、飲み水の補充には全く不自由することがない。
キャンプ生活を送っていると、ズボラな性格の私は洗濯などせずに平気で一週間以上同じ服を着っぱなしだったりするのだけれども、ここまで川が身近に存在していると、毎日の様に洗濯するようになった。
日本を発って1年9か月、多分今が一番清潔なんではなかろうか。
ただ冷たいのは嫌なんで、体は洗わないんですけどね・・・。
走っていてふと硫黄の匂いがするなと思ったら、火山が静かながら煙を吹いていた。
火山の方から流れてくる川を手に掬って匂いを嗅ぐと、やはり硫黄の匂い。
きっと麓の方に行けば温泉があるんでしょう。
この日目指しているのはChaitenという、アウストラル街道上では比較的大きな町。
アップダウンは相変わらず絶えないけれど、近づいてくるとアスファルト舗装に変わる。
Chaitenの入り口手前でベンチがある広場があり、素晴らしい風景が広がっていたので、私も寝袋やら濡れた服を広げつつ昼休憩。
湖の様に見えるけど、これ入り江なんですよね。
海なのにとても穏やかで、波もほとんど立たない。
昼食の後もできたらベンチから動きたくなくなる程、天気も風景も聴こえる音も、全て心地が良い。
で、休憩場所からちょっと進んでChaiten到着。
アウストラル街道自体はもちろんChaiten以降も続いているのだが、一つ大きな問題が発生していた。
このChaitenから南に50キロ、Villa Santa Luciaという集落がある。
その集落付近で、この日から一か月程前に大規模な土砂災害が発生し、その集落を飲み込んで死者まで出る大惨事となったという情報を、ボリビアにいる頃に耳にしていた。
そしてアウストラル街道に入る直前、Puerto Monttのインフォメーションセンターにて、その復旧作業が現在も続いており、その区間のアウストラル街道が完全に通行止め状態だということも・・・。
Puerto Monttではインフォメーションセンターとフェリーオフィスを訪ねてみたが、得られた回答はどちらも「Chaiten以降、自転車で走行は無理だから、フェリーに乗りなさい。Chaitenから140キロ南のPuerto Raul Martin Balamacedaまで行けるから。」という選択肢だけだった。
アウストラル街道を140キロも走れないまますっ飛ばすなんて・・・。
中々この事実は受け入れ難い。
ただ、日本人宿で出会ったバックパッカーの人で、ヒッチハイクでアウストラル街道を南下していた人から「Santa Luciaから少し北にある湖からボートが出ていて、それに乗って通行不可の箇所だけ飛ばすことができたよ」という情報も、Puerto Monttにいる時にもらっていた。
この選択肢を採れるなら、走れない区間は30キロ程度にできる。
当然後者の選択を取りたかったのだが、Puerto Monttでは「そのボートは小さいから歩行者専用で、自転車は載せられないよ」ということだった。
「現場に近いChaitenまで南下すれば、実は乗れるということになるのでは・・・?」と期待したのだが、Chaitenのインフォメーションセンターやフェリーオフィスでも答えは「自転車は無理」ということだった。
流石に、もう無理なんだろう・・・
諦めて、この日の23時に出航するフェリーをオフィスで予約した。
航海時間は7時間。翌朝の6時にPuerto Raul Martin Balamacedaに着くことになる。
フェリーオフィスを出た後、食料を購入して海辺のベンチに腰掛けてボーっと海を眺めていたのだが、やはり諦めきれない。
このアウストラル街道を走ることは、日本にいる頃から憧れだったのではないのか。
その憧れの地を、「自転車は乗れません」「ハイ、ソーデスカ」で簡単に諦められるか?
その湖から小さくてもボートがある事は確かで、実際にバックパッカーが通過できている。
自転車だって、万に一つでも乗り込める可能性はあるんじゃないか?
15時、Chaitenを発ち、40キロ南にあるボート乗り場を目指して走り始めた。
が、10キロ程走った所、対向からきた工事のトラックが私の横で止まり、「おい、この先通行止めになっているの知らないのか?何、ボート?ありゃ自転車は乗れないよ!」と言ってきた。
「でも・・・何とか走りたいんだよね」と言う私に、ドライバーは「ボートが小さいからね・・・Chaitenからフェリーに乗りな。」と、申し訳なさそうな顔で、しかしやはり、引き返せ、と・・・。
トラックが去った後、私は項垂れて来た道をスゴスゴと引き返すしかなかった。
Chaitenに戻り、また海辺のベンチに座って小説を読んで時間を潰して・・・
20時。
座り続けていたベンチから立ち上がり、フェリーオフィスへと向かう。
「予約を変更。明日の23時にしてください。」とお願いし、再びChaitenを発つ。
自分でも驚く程衝動的な行動だったわけですが、尋ねても必ず「無理だよ」と言われるのが分かっている他人の言葉を聞いて、その他人のせいにしてグズグズしている自分が、潜在的に凄く嫌だったんでしょう。
「とにかくボート乗り場行ってみろ。頼んでみろ。それで無理なら明日戻って23時のフェリーに乗ればいいんだよ。さっさと走れバーカ!」
という、内からの声が聞こえてくる中、日没直前の出発。
Chaitenから20キロ走った所の集落、教会の裏で野宿をすることに。
自転車旅行なんていうのは、その日一日どうなるか全く分からない。
どこで寝るかも分からず、トラブルだって起こるかもしれない。
それでも、何とかなるもんです。
ここに来るまでの約600日、連続で何とかなってきたわけです。
そう考えりゃ、ボートくらい何とかなんだろ。
(Caleta Gonzalo南20km→Chaiten南20km)