風ニハ負ケル・・・~Pazna南西110kmまで

Pazna~Pazna南西110km
11/19 (548days)
11/19
晴天、平坦。
それ以外に何の感想もない、退屈な道。
「おっ、等間隔で樹が植えられてるぞ」と思ったら電柱だった。
電車が走っているのは一度も見なかったけれども、道路に並行して線路が通っている。
ボリビアにはPotosiという、世界史を勉強していれば誰もが知っているポトシ銀山で有名な都市がある。
スペイン統治時代の16世紀、世界でも有数の銀・金の産出量を誇っていたらしいが、19世紀には枯渇。
この線路は当時の名残というには新しすぎる気がするが、当時はPotosiで採れた金銀を鉄道で沿岸まで運び、船でスペイン本国へと輸送していたのだろうか。
10時頃、Challacotaという町に到着。
ここがまず一つ目の分岐で、Potosi方面へ向かうメイン道路とUyuni方面へと向かう道路に別れている。
この先どうせまともな町もなさそうだし、早めに昼食休憩を取ることにした。
標識が掠れて分かりにくいけれども、Huari、Quillacas、Salinas方面へと向かいます。
Uyuniまで200キロを切った。
実際にはUyuniの町には直接行かず、一旦脇道に逸れてウユニ塩湖へと向かうため、もっと距離はあるのだろうけど。
途中、Huariという町に到着。
ボリビアの自国ビールに「Huari」という銘柄があり、そのビールはこの町で作られているらしい。
ビールにはあまり興味はないためスルーしたけれども、もしかしたらビール工場なんかは見学できるのかもしれない。
そんなもんがあるのかも疑わしい程小さな集落だったけれども。
ここでペルーのPunoで出会ったオランダ人老夫婦サイクリストと再会。
同じく南下していたはずなのに、まさか逆の方向から向かってくるとは思っていなかったため、再会してびっくりした。
バスでUyuniまで行き、そこから北上してLa Pazへと向かうルートに変更したらしい。
見た目で判断するのは失礼かもしれないが、男性の方は恐らく70歳オーバーだと思う。
こうして歳を取っても夫婦で、自転車で旅行をするというのは非常に羨ましい。
私も家族を持ち、歳を取ったらこういう風に奥さんと楽しみたい。そう思わせる2人だった。
Huariの町をあっさり抜けると、再び平坦ななにもない景色が広がる。
砂漠には電車の残骸が取り残されていたり。
しばらくすると、二つ目の分岐。
ここを直進すればUyuniの町だけれども、先ほど書いた通りこの道を右折し、脇道に逸れてウユニ塩湖方面へと向かう。
メインの道路から離れるため、右折してすぐに未舗装路に変わるかと思っていたけれども、意外と舗装路が続いてびっくりした。
結局この日はずっと舗装路で、翌日以降も100キロくらいは舗装路が続いた。
この日もあちこちで竜巻が発生している。
丘の上にぽつんと集落があるのが見える。
ボリビアの道の作りとして、町の間は「ド」を付けていい程にストレートな道になっている。
そして回りはほとんど平原なため、かなり遠くからでも町の姿を見ることができる。
そのため、「お、もう少し走れば集落に着くじゃん」と思うのだが、実際走ってみれば20キロ先だった・・・ということがしばしばある。
この町も、見えてから15キロは走ったかな。
この町も特に用事がないためさっさと抜ける。
町の出口には再び分岐点が。これは手持ちの紙地図には載っていな
かったため少し焦ったが、標識があって助かった。
Salinas方面へ向かうため左折する。
この分岐からやたらと風が、しかも向かい風が強くなった。
立ち漕ぎで抗うけれども時速10キロ出すのがやっと。
雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ・・・なんて詩が日本では有名で好まれていますが、あんなもん糞っくらえです。
雨の日は走らないし、風が吹けばもうさっさとその日の走行を終えるのが吉。
雪にも負けず?殺す気ですかいな。
あぁ、でも味噌と少しの野菜は食べたい・・・。
それでも何とか風に抗い続け、110キロ走った所で砂丘に身を隠し、テントを張ることにした。
さっさと走行終了したかったけれども、ボリビアは遮るものがない砂漠地帯だから、中々いい場所が見つからないのでキャンプするには少し苦労する。
あー、疲れた。
(走行ルート:Pazna→Pazna南西110km)