La Paz脱出~Oruroまで

11/16~11/17 (545~546days)
11/16
ワイナポトシ登山でバッキバキになった体中の筋肉痛も3泊の休養で癒え、La Pazを発つ時が来た。
準備をしている濱さんに先立って、ホステルを出発する。
ルートは一緒なのだが、ここからは別々の走行となる。
というのもLa Pazは盆地の中にある都市で、どこから出るにしても標高差400メートルの登り坂は避けることができない。

La Pazには頂上から盆地内にある中心街を結ぶケーブルカーが通されており、歩行者であれば乗る事ができる。
「自転車も載せることができるんではなかろうか?」と思い、ワイナポトシ登山の最中にガイドに聞いてみたのだが、「無理に決まってるだろう」と一蹴されてしまった。
その結果、朝からフウフウと息を切らせて上っていくという憂き目に会っている。
(※私に先立ってLa Pazに滞在していた他の日本人自転車旅行者の方が、脱出の際にこのケーブルカーを使うことができたとのこと。後1日早くその方がブログ更新をしてくれていれば・・・!)

それでも一時間程であっさりと展望台のある頂上に辿り着くことができた。
いくつか雪山が見えるのだが、その中のどれかがワイナポトシだろうか?
富士山くらい特徴的な山なら判別できるのだが、私は基本的にはどの山も皆同じに見えてしまう。
私にとってのワイナポトシは、登頂時に見たあの小さく尖った三角形の頂上部分という印象がが色濃いため、遠目から見ても分からない。
しばらく眺めてもさっぱり判別できないので、「まあ、登頂者の特権ということで」と納得しておいた。
しばらくは広告看板や少し背の高いビルなど、都会を感じさせる風景の中を走るが、30キロも走ればほとんど何もない郊外へと抜けた。
しかしボリビアという国は、大きめの都市でもなければ本当に何もない。
道自体はアルティプラーノという平原地帯が広がっているため起伏もほとんどないため楽なのだが、補給地点やレストランが全く見当たらない。
地図に乗っている大き目の町もこの程度の規模であり、レストランはなかった。
仕方なく、小さなケーキ屋でカップケーキだけを買って昼食とした。
その後もフラットな道を走り、あっという間に100キロを越えた辺りでPatacamayaという街が見えて来た。
が、パッと見て街の中を通る道が未舗装路のようだったので、そのままスルーした。
そこから10キロ程進むと枯れた川があり、橋が架かっていたためその下で野宿をすることにした。
・・・のだが、意外と人がこの橋の下に来る。
夕食を作っている一時間の内に車が一台と、3人組のおばちゃんが橋桁に来た。
3人組のおばちゃんの方が「何でPatacamayaのホテルに泊まらないの?強盗が危ないわよ」と心配してくれて車で街まで送ってくれようとしたのだが、それは固辞して橋桁から川下に進んだ所でテントを張る事にした。
夕方以降は暑い雲が空を覆い、雲の切れ間から除く夕暮れが、まるで大地を燃やしているかのようだった。
11/17
橋桁から離れたことで夜中に騒音にも悩まされることなく、心地よい朝を迎えることができた。
ささっと撤収し、8時出発。
少し向かい風の中、ほとんどがフラットの道。
フラットなのは楽でいいのだが、物足りなく感じる。
アンデス山脈を越えて来たから感じることなのだろうか・・・まさかアンデス中毒になってしまったのか。
これから先、南に下るに連れてアンデス山脈の標高は下がり、チリに入る頃には標高1000メートルを切るという。
中毒を背負ったままでは、この先禁断症状が酷くなっていくのではないか。
日本に帰った時など、私は正気を保てているのだろうか。
この日も走れど走れどレストランのある集落一つありはしない。
時折多くに大きめの集落があるのだが、如何せん遠すぎる。
80キロ走り、レストランのあるCaracoloの街に到着。
ようやくまともなご飯を食べることができた。
料理はミラネーサ。卵で衣を付けたハムカツの様な味。
その後も地味なフラットの道を走り・・・
Oruroの街に到着。
La PazとUyuniの中間に位置し、事実上、私のボリビア走行ルート上最後の大都市となる。
幹線道路上にはやたらと像があるのだが、これは毎年2月、Oruroにて大規模なダンスカーニバルがあるかららしい。
これはリオのカーニバル、クスコのインティ・ライミと共に「南米3大カーニバル」と称される程。
カーニバルが行われていない今の時期は、至って普通の都市。
車と人にもみくちゃにされながら安宿を探すのだが、これが困難を極めた。
高級ホテルか安宿しかないのだが、高級ホテルでは一泊200ボリビアーノス(約3400円)と言われ、安宿は一人客はお断り、と言う。
写真を撮る暇もなく1時間程探し回り、ようやく18時頃一軒のAlojamiento(ボリビアでは安宿の意)に25ボリビアーノスで投宿することができた。
(走行ルート:La Paz→La Paz南東110km→Oruro)
素晴らしい景色です。感動。オルローは記憶あるのですが、ボケ老人です。思い出せません。明日は地図で調査です。有難う御座います。