心を摘む戦い その②~Pallascaまで

Angasmarca~Pallasca
9/13 (481days)
9/13
「まさかあの狂ったジグザグ道を上ることはないだろうな・・・」と、対岸の山肌に見えるバカげた道を眺めていたのだが、どうやらコンパスが指し示す方角としてはあの道を通る以外あり得ないらしい。

と、この先の私の真っ暗な未来を考えて憂えていると・・・
Mollepataという集落の出口から突然にアスファルトの道路が!
人類史上、偉大な発明というのは数多く存在しているが、私はアスファルト舗装というのが人類史上五指に入る偉大な発明だと、この旅行中で思うに至った。
未舗装路しかなかった時代、人々の行動範囲、流通の範囲というのは間違いなく限定されたものだっただろう。
それがアスファルト舗装が発明され、普及したことにより、それこそ今の時代でいうインターネットの様に、世界は革命的に変わったはずだ。
それまで過疎集落であった町が、アスファルト道が通されたことにより物流がスムーズになり、それまで存在はしていたが世間に知られていなかった観光資源などの認知が広がり、住民・観光客が増え、一躍大きな街となった・・・そんな町がごろごろあるはずである。
自転車だけでいうと、未舗装路とアスファルト道では時速に及ぼす影響というのは計り知れないものがある。
平地・上り坂でいうと1.5~2.5倍、下り坂なら最大4倍強、未舗装路とでは時速が変わってくるのだ。
ちなみに調べてみると、アスファルト舗装を発明したのはスコットランド人らしい。
更に空気入れタイヤを発明したのもスコットランド人で、大手タイヤメーカーの社名になっている「ダンロップ」氏らしい。
とまぁ、色々講釈を垂れたけれども、この時はそれほどアスファルト道に変わったことの感動が大きかったのです。
だってこの道未舗装路で走りたくないわ・・・
下るに連れてこの道の全貌が見えてきたのだが、これは全くとんでもない道であることが分かってきた。
このまま山肌に沿って幾重にも織り込まれた九十九折れを下り、川底まで落ち切った後に先ほどから見えている「気の触れたような」ジグザグ道を上っていくらしい。
上り坂もさることながら、この下り坂だ。
少し下をのぞき込んで道を目で追っていくと、それだけで目が回りそうになる程にグワングワンとうねっている。
下っている途中の目算としては、ジグザグの一番上の段まで3時間くらいと見立てていたが、如何なものか。
それでも最後の2段くらいはきつかった記憶があるけれども。
結局ジグザグ最後の段には一時間半で登頂。
思っていたより時間も掛からずに済んだ。
最後の段からは、南へと向かってスーッと一本筋の道が通っている。
流石にこれを走り切ったというのは、征服感というかやり切った感を覚える。
この頂上にホテルがあり「はい、ここでこの日終了!」とできればどれだけキリがよく、気分よく一日の走行が終われるだろう。
現実にはもちろんそんなことは叶う訳も無く、断崖絶壁の中を進んで行かなければならない。
この時点で時刻は15時過ぎ。
野宿ができそうな場所を探しながら走るのだが、集落や民家が点在するようになってしまった。
舗装路の上り坂を上り続ける事1時間半ほど。
丘の頂上にPallascaの町が見えた。
そして、この町が見えてからがこの日一番きつかった。
「この町で終わりだ」という安心感から緊張が解けたのか、それとも単純に体力の限界がきていたのか、足に全く力が入らなくなってしまった。
丘の頂上に辿り着き、Pallascaの町の入り口に辿り着いたのは17時過ぎ。
もうすっかり夕暮れの陽が町に差し込んでいた。
町の中央広場に着いた時、近くにいた親父さんに「この近くに安宿ない?」と聞くと、中央広場に面した看板の出ていないホスペダヘ(安宿)に連れていかれた。
床が木板で所々剥がれた、埃が飛び交う牢獄のような部屋に案内されたが、もう他を探す気力も残っておらずここに落ち着くことにした。
この日は朝から心をすり減らされる様な道を走り続けていたためか、結局私は「心を摘まれなかった。」
勝った負けたでもないが、少なくとも道中に諦めることはなかった。
それでもホトホト疲れ果てたのか、晩ご飯後はすぐに床に就いたのであった。
(走行ルート:Mollepata→Pallasca)